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セルゲイ・マルティノフ (ロシア)
【1962 ~ 】



セルゲイ・マルティノフは、1962年6月2日、ソビエト連邦チェリャビンスク州ナイアペペトロフスクで生まれた。


1992年、マルティノフは名前不詳の10代の女性を強姦し、殺害した疑いで逮捕された。

裁判でマルティノフは有罪判決が下され、刑務所に収監された。


2005年、マルティノフは約14年の刑務所生活から解放された。

しかし、マルティノフは釈放された直後、ケメロヴォで少女を強姦しようとナイフで脅すが、少女は逃げる事に成功した。

少女の証言によりマルティノフは警察の危険人物のリストに名を連ねる事となる (未遂であった為、マルティノフは逮捕される事はなかった) 。


2007年6月、マルティノフは女性を殺害する。

そして、死体をウドムルト共和国 (ロシアのウラル山脈の西側にある国) のグラゾフに運ぶと、バラバラに切断して捨てた。


同年7月、マルティノフはオヘンブルク州フヤソフカで8歳の少女を強姦する。


2008年5月、マルティノフは強盗を働き、弊害となった男性を殺害する。


同年6月、初老の女性を森に連れて行き、殺害する。

その後、死体を切断し、バラバラにして捨てた。


同年11月、マルティノフはオリョール州で女性を殺害する。


2010年8月、マルティノフはバシコルトスタン共和国 (ロシア連邦を構成する沿ヴォルガ連邦管区に含まれる共和国) で70歳の女性を強姦して殺害する。

マルティノフはこれまで殺人を犯して捕まらなかった事で自信を抱き、警察に対し、

「正午にチェリャビンスクにいる」

というメモを残し、警察を挑発した。


同年、マルティノフはヴォロネジ州の女性を殺害するが、これがマルティノフによる最後の犠牲者となった。


同年11月18日、マルティノフは逮捕された。

逮捕のきっかけは、マルティノフが犠牲者の1人から携帯電話を盗んでおり、それを使用した事で場所が特定され、逮捕されたのだった。

逮捕される時、マルティノフは一切の抵抗を示さず、素直に従った。


裁判で検察はマルティノフが2005年に刑務所から釈放された後、7人の女性と1人の男性を殺害し、その後、ロシアの中央から西部にかけて少なくとも10の州で暴力的犯罪を行ったと話した。

更に、マルティノフは少女に対する性的虐待及び暴行を行い、女性の乳房や生殖器を取り除いた事もあったと供述した。


2012年5月23日、裁判で検察は事件の詳細を公開し、マルティノフが犯行の証拠を隠す事もなかった為、その犯行を
「警戒せず大胆に行動した」
と語った。

また、マルティノフの殺害動機について、検察は
「彼は多くの売春婦を標的としており、社会をクリーニングする為に殺害した」
と述べた。


同年11月10日、マルティノフは終身刑が言い渡された。


最後にマルティノフが刑務所に収容後、殺害動機について他の受刑者に語った言葉で終わりたいと思います。

「退屈だったから殺した」



《殺人数》
9人
(他被害者多数)

《犯行期間》
1992年、2005年~2010年8月




∽ 総評 ∽

世の中の浄化の為、または退屈だったからという理由で9人殺害したマルティノフ。

マルティノフの家庭環境や成長過程の詳細がない為、何故、これほどの異常性を身につけたのかよくわからない。

また、初めに殺害した時、マルティノフはすでに30歳になっており、仮にそれまで犯罪を行っていなかったとしたら、かなりの遅咲きと言える。

ロシアのシリアルキラーはこれまで何人も紹介してきたが、このマルティノフを含む陰惨で残酷な人物が多い。

殺害理由も売春婦を汚い物と見なし、社会を綺麗にする為に殺害したという身勝手なものだった。

更に、後に同房の受刑者に退屈だったから殺したとも話しており、その動機は身勝手極まりなく救いようがない。

こんな生きていても危険なだけで何の意味もない人間はさっさと処刑するのが一番である。