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マックス・グフラー (オーストリア)
【1918 ~ 1966】



1958年11月1日、オーストリアで1人の男性が逮捕される。

男性の名はマックス・グフラー (1918年5月1日生まれ) と言い、グフラーは旅行セールスマンであった。

グフラーは婚約者を人質に取った罪で逮捕されたのだった。

しかし、警察はグフラーには余罪があるとして尋問すると、同年9月22日に死体が発見されたマリア・ロバス (47歳♀) を殺害していた事が判明する。

そして、警察はグフラーの部屋を捜索すると、その様子に警察は驚愕する。

グフラーの部屋の中には過去6年間で姿を消し、行方不明となっていた女性の遺留品が山程あったからだった。

それは1946年から1958年の間に行方不明となっていた女性の物ばかりで、それは全部で18人分にも及んだ。

警察はグフラーに追及した所、グフラーは4人の殺害を認めた。

グフラーの犯行手口は、結婚広告に自身のプロフィールを掲載し、結婚をちらつかせて女性を誘惑した後、毒殺するというものだった。

グフラーの事件が公になると、その犯行の様子にフランスのシリアルキラーで『青髭』と呼ばれたアンリ・デジレ・ランドリューと酷似していた為『Bluebeard (青髭) 』と呼ばれるようになった (ちなみにランドリューは毒殺ではなく絞殺) 。


裁判でグフラーの罪状が読み上げられたが、それは65ページに及ぶ膨大なものであった。

また、グフラーは9歳の時、頭を強く打ってから性格が短気で怒りっぽくなり、激変したと述べられた。

ある女性については、グフラーがモーターショーで知り合った女性を誘惑し、リキュールを与えて酔わせ、すぐ側の川に顔を押し付け溺死させた。

結局、グフラーは確実な証拠がある3件の殺人事件で有罪判決が下された。


1961年、グフラーには無期懲役の判決が下された。


1966年、グフラーは刑務所内で死去した。

尚、死亡した月日と死因についてはよくわかっていない。



∽ 総評 ∽

結婚を餌に女性を誘惑し、最低4人は殺害したグフラー。

グフラーは子供の頃に頭を強く打った事により性格が変わったので、後の凶行もこの時の影響なのはまず間違いない。

前述したランドリューもそうだが、結婚を理由に誘惑されるというのがこの当時は意外に多かった。

時代的に『第二次世界大戦』直後であり、結婚を餌に誘惑すれば容易く女性を誘う事が出来たのかもしれない。

グフラーは結婚広告に結婚をしたい女性を呼び掛けたが、ネットが普及した現代の方が出会いや結婚をする方法は多岐に渡る。

しかし、現在は女性の警戒心が強い為、このグフラーのように簡単に女性を誘惑するのは難しくなっている (と思う) 。

グフラーは死亡した月日がわかっておらず、死亡した時48歳くらいだったこと、また、死因がわかっていない事からもしかしたら自殺だったのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 4人
(18人の可能性大)
《犯行期間:1946年~1958年》