リチャード・マルケット (アメリカ)
【1934 ~ 】
リチャード・ローレンス・マルケットは、1934年12月12日、アメリカ・オレゴン州ポートランドで生まれた。
1956年6月と1957年8月にマルケットは犯罪を犯して逮捕され、刑務所に収監された。
1961年6月8日、ポートランドに住む主婦から警察に連絡が入る。
警察が主婦の家に向かい話を聞くと、犬が紙袋に包まれた物をくわえてやって来たという。
その紙袋の中を見てみると、そこには人間の足が入っていた。
警察が主婦に話を聞いている間、犬は今度は手をくわえて現れた。
警察は周囲を捜索すると、残る部位が次々と見つかった。
部位を調べてみるとそれらは新しく、犠牲者は殺害された直後なのがわかった。
足の爪には赤いマニキュアが塗られていた為、女性だとわかったが、他の部位に限っては同じ女性のものなのか他の人間のものなのかわからなかった。
検死を行うと、全ての部位は同一の人物だという事がわかり、動脈や静脈から血液が完全に抜き取られていた事もわかった。
警察は行方不明者リストを調べ、叔母と暮らし最近家出していた10代の少女に目をつけた。
しかし、叔母によると少女はマニキュアをつける習慣がなく、しかも、靴を死体の足に合わせてみるが、合わなかった。
次に警察が目をつけたのが、ポートランドに住むジョーン・レイ・コードゥル (23歳♀) という2人の子を持つ主婦であった。
コードゥルは2人の子供を持つ母親で、行方不明となっていた。
警察は当初、コードゥルの夫を疑い事情聴取していた。
コードゥルは父の日のプレゼントを買うと出て行き、行方不明になったと夫は話した。
コードゥルは普段はあまり酒を飲まなかったが、母親の病気で悩み、酒を飲むようになった。
そして、コードゥルがバーに行ったと夫は述べた。
警察は夫にコードゥルの足の特徴を聞くが、夫はこれまでしっかりとコードゥルの足を見ていなかったのでよくわからないと答えた。
警察はコードゥルのクローゼットにある靴を検査に回すと、死体の足とサイズが一致する。
その後、警察はバーの常連がコードゥルを目撃しており、行方不明となる前日の7日、コードゥルがマルケットという名の男性と一緒にいたと話した。
早速、警察はマルケットの家を見つけ、中に入るが肝心のマルケットはいなかった。
そして、部屋の中を調べると冷蔵庫の中に新聞紙に包まれみじん切りされたコードゥルの部位を発見する。
また、血まみれのコードゥルの下着も見つけた。
唯一、コードゥルの頭部だけは見つける事が出来なかった。
警察はすぐにマルケットの逮捕状を交付し、マルケット捜索を開始する。
当時のオレゴン州知事マーク・ハットフィールドは、
「今回の事件はオレゴン州の歴史上最も凶悪な事件の1つである」
と発言し、FBIに協力を求めた。
FBIはマルケットを最重要指名手配犯、いわゆる『Ten Most Wanted』の1人に指定した。
しかし、マルケットが追加されたこの時、最重要指名手配犯はすでに10人であった (『Ten Most Wanted』は10人をこえる事は基本ない。逮捕や死亡等で減った場合、増やすのが原則で10人いる場合、どんなに凶悪犯でも追加される事はない) 。
その為、マルケットは緊急に加えられ、この時期『Ten Most Wanted』は11人となったのだが、これは異例中の異例であった。
捜査の末、マルケットはカリフォルニア州で見つかり逮捕された。
逮捕された際、マルケットは一切の抵抗を示さず、しかも、安堵の表情を浮かべた。
マルケットはバーでコードゥルを誘い、部屋へ連れ込み性行為を行った (マルケットはコードゥルとは合意だったと供述した) 。
そして、マルケットを殺害し、バスルームで死体をバラバラにした。
警察はコードゥルの頭部についてマルケットに聞くと、オークス公園の近くを流れる川の土手に警官を連れ、そこでコードゥルの頭が見つかった。
同年12月、裁判でマルケットは第一級謀殺により有罪判決が下され、終身刑が言い渡された。
1973年、マルケットは刑期を11年務めた後、仮釈放された。
1975年4月、オレゴン州マリオン郡スラウで、漁師のバラバラ死体が海の浅瀬で浮遊しているのを発見される。
被害者の部位はほとんどが欠落していたが、最終的には性器以外全て発見され回収された。
そして、捜査の末、遺体はノースカロライナ州に住むネイティブのベティ・ウィルソン (37歳♀) と判明した。
ウィルソンは16歳の時、結婚し、11人の子供を持つ母親であった。
ウィルソンは最後に確認されたのはナイトクラブであった。
当初、ウィルソン殺害はコードゥルの時と同様夫が疑われた。
その理由はウィルソンの夫は普段からウィルソンに暴力を振るい虐待していたからだった。
だが、当時、ウィルソンの夫はノースカロライナ州で働いていたというアリバイがあり、コードゥルを殺害してオレゴン州の海に死体を遺棄するのは不可能であった (オレゴン州はアメリカ西海岸、ノースカロライナ州はアメリカ東海岸) 。
その後の捜査で、警察はマルケットをウィルソン殺害の有力な容疑者と断定する。
警察は捜査令状を取り、マルケットの家を家宅捜索した。
すると、決定的な証拠は得られなかったものの、いくつかの証拠を発見し、ウィルソンの死体発見から55時間後、マルケットは再び殺人で逮捕された。
マルケットはウィルソンを誘った後、性行為を求めたが拒否された為、首を絞めて殺害した。
そして、死体をバラバラにして捨てた。
バラバラにされた死体は、精度高く正確にバラバラにされており、それはまるで医者の外科手術や精肉屋の技術を彷彿とさせる程であった。
もちろんマルケットは医者でもなければ肉屋で働いた事はなく、全て独学であった。
また、マルケットは1974年に、女性をバーで拾い、殺害したと自白した。
マルケットはその女性を首を絞めて窒息死させ、同じく手足を切断してバラバラにした。
マルケットの供述をもとに捜査すると、遺体の一部が発見された。
肝心の女性の身元だが、マルケットも名前を知らず、警察も調べるが、結局わからないままであった。
同年5月、裁判でマルケットは有罪判決が下され、仮釈放がない終身刑が言い渡された。
∽ 総評 ∽
3人の女性をバラバラに殺害したマルケット。
マルケットはFBIから『Ten Most Wanted』の1人に追加されたが、『Ten Most Wanted』は1950年に初めて作成されてから基本10人で構成され、減ったりする事はあるが10人をこえる事は基本ない。
マルケットが追加された時は『Ten Most Wanted』はすでに10人おり、マルケットの入る隙はなかったが、その凶悪性により急遽特別枠として加えられた。
それほど、マルケットの事件が恐ろしかった事の裏付けであった。
身元不明の女性をアメリカではジェーン・ドゥ (男性はジョン・ドゥ) と呼ぶが、アメリカではこのように身元不明の人間が多い。
日本ではあまり考えられないが、アメリカではこのように身元が判明しない事が多い。
死体をバラバラにする理由は、身元を判明されにくくする為や死体を運び易くする為、快楽の為や怨恨等があるだろう。
マルケットの場合は快楽と怨恨どちらもあったように思える。
マルケットがどのような幼少期を過ごしたわからないが、成人した時にはすでに犯罪に手を染めている事からまともでなかったと思われる。
現在、マルケットは82歳となるが、今のところまだ生きている。
さっさと処刑していれば無駄な経費を税金で賄う必要もなく、本当に無駄な事である。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★★★☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 3人
《犯行期間:1961年6月7日~1975年4月》
コメント
コメント一覧 (5)
この人ではありませんが『出来れば殺人をやめたかった。でも、止めることが出来なかった。他に何の楽しみも喜びもなかったからだ』と言った殺人者がいました。殺人にしか喜びを見いだせなかった事にゾッとした反面、可哀想だとも思いました。勿論、殺害された被害者の方が何倍も可哀想なのですが。
この人、女性をバラバラにしたい欲望から逃れられないんでしょうね。
もしも自分が望んでいないのに、そんな欲望を抑えることができない人間だったら・・・と考えると怖いですね。どんな幼少期だったのか気になります。
それはあったかもしれませんね。
本当は止めたかった、けど、止める事が出来なかった。
「殺人は1度体験すると止められない」と、かのウィリアム・ボーニンも言っていましたが、異常者にとっては止められない事なのでしょう。
ただ、未だ刑務所の中でのうのうと生きている所を見ると、殺人にそれほど快楽を得ていないのかもしれませんね。
>さかもとさん
女性をバラバラにする事に最高の快感を得ていたのだと思います。
幼少期の様子は確かに気になりますね。
詳細がなかったのでわからいですが。
これが私のこいつら凶悪鬼畜に対する本音です。
そう言いたくもなりますね。