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フアン・ルナ (アメリカ)
【1974 ~ 】



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ジェームズ・デゴルスキ (アメリカ)
【1972 ~ 】



1993年1月8日、イリノイ州シカゴ郊外にあるパラタインのノースウエストハイウェイ沿いにある『Brown's Chicken & Pasta (ブラウンのチキン&パスタの店) 』で、店の所有者を含む従業員7人が虐殺されるという事件が起こる。

殺害されたのは、リチャード (50歳♂) とリン (49歳♀) のエーレンフェルド夫妻、グアダルーペ・マルドナド (47歳♂) 、マイケル・C・カストロ (16歳♂) 、リコ・L・ソリス (17歳♀) 、トーマス・メンエス (32歳♂) 、マーカス・ネルセン (31歳♂) であった。

カストロとソリスは地元のパラティーノ高校に通う学生で、アルバイトとして働いていた。

死体の内、6人は38口径の銃で撃たれた事による射殺で、1人は喉を掻き切られた事による失血死であった。

また、店のレジからは2000ドル (約25万円) が盗まれており、強盗による殺人である事がわかった。

エーレンフェルド夫妻の2人の娘 (長女と次女) は、事件の夜、店を訪ねる予定であったが、事件発生した時にはまだ訪れていなかったので助かった (余談だが三女のジェニファーは後にウィスコンシン州議会の議員に当選している) 。

事件発覚後、午後9時には店は封鎖され、店内は冷蔵庫が開けられクーラーが効いていた為、非常に冷えていた。

警察は捜査を進めるが、犯人特定に至る証拠が見つからず、事件は迷宮入りとなってしまった。


2001年4月、事件発生から8年以上経過し、事件現場となった『Brown's Chicken & Pasta』は取り壊され空き地となった。


2002年3月、事件から9年以上が経ち、事件が風化しそうになった頃、警察にとある一報が入る。

電話の主はアン・ロケットという名の女性であった。

ロケットは、
「9年前に起きた『Brown's Chicken & Pasta』 の事件の犯人を知っている」
と告げた。

ロケットはジェームズ・デゴルスキとフアン・ルナという2人の男性が事件の犯人だと告げた。

何故、ロケットが知っているのかと言うと、実は事件当時、ロケットはデゴルスキと交際していた為だった。

また、共犯者のルナは『Brown's Chicken & Pasta』の元従業員であった事を告げた。

このロケットの供述をもとにパラティーノ警察署は再び本格的な捜査を開始する。


同年4月、事件当時、警察は犯行現場から唾液のサンプルを採取していた。

それは店のゴミ箱で部分的に食べられた鶏肉から採取したものだった。

警察はその食べかけの鶏肉を事件発生から今まで冷凍庫に保管していた。

そして、より的確に精度が増した試験方法により、DNAはルナのものと一致した。


同年5月16日、事件発生から9年以上が経ち、よくやくルナとデゴルスキが逮捕され、2人は罪を認めた。

2人はパラタインにあるウィリアム外国語高校で知り合った事がわかった。


2007年5月10日、裁判でルナは有罪判決が下され、同年5月17日、仮釈放のない終身刑が言い渡された。

政府はルナに対して死刑を求めたが、陪審が満場一致とはならなかった為、終身刑のまま変わる事はなかった。


2009年9月29日、デゴルスキは7つの殺人で有罪判決が下され、同年10月20日、ルナと同じく仮釈放のない終身刑が言い渡された。

11人の陪審の内、9人は死刑を求刑したが、2人が終身刑を求刑した為、結局、終身刑となったのだった。

事件は16年経過して全て解決したが、2人の起こしたこの事件は、7人の命だけではない甚大な被害をもたらしていた。

実は事件が発生してから数ヶ月の間、レストラン業界の売り上げが35%も下がってしまい、シカゴ周辺地域で100件以上のレストランが閉鎖に追い込まれている。



∽ 総評 ∽

『The Brown's Chicken massacre (ブラウンのチキン虐殺) 』と呼ばれ、店の所有者や従業員のみ7人殺害したルナとデゴルスキ。

同じ場所で短時間に複数人を殺害する者を『マス・マーダラー』と呼ぶが、通常『マス・マーダラー』は事件を起こした直後に警察に射殺されるか本人が自殺したり逮捕される事であっさり解決する事が多い。

この2人のように何年も経過して逮捕されるというのは極めて珍しい。

しかも、ルナに至っては元従業員なので、疑惑の目が向けられてもおかしくない状況だ。

それなのに2人は約10年もの間、捕まらなかった。

この2人の起こした事件は、前述した通り7名の尊い命だけではない。

シカゴ周辺地域のレストラン100件を閉店に追い込むという甚大な被害をもたらした。

事件がすぐに解決していればこんな事にはならなかっただろうが、犯人が捕まらなかった事で
「食事に行ってる最中に同じような事が起きるかも」
という理由でレストランに食事に行く人が激減したのだろう。

経済やその後の被害 (路頭に迷った多くの従業員やその家族) を考えれば、この2人の罪は人殺し以上に許される事ではない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 7人

《犯行期間:1993年1月8日》