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レミュエル・スミス (アメリカ)
【1941 ~ 】



レミュエル・スミスは、1941年7月23日、アメリカ・ニューヨーク州アムステルダムで生まれた。

スミスはアフリカ系アメリカ人で、スミスの家は非常に宗教的な家庭であった。

その為、スミスは両親から虐待と呼べる程、厳しく宗教について躾られた。

また、スミスは幼少から10代にかけて何度も脳に損傷を負った (親からの虐待かは不明) 。


スミス11歳の時、9歳の女の子の首を絞めて窒息死させた。

しかし、これは後のスミスの証言だけであり、立証はされなかった。


1958年1月21日、スミスは近所に住むドロシー・ウォーターストリートを殴って撲殺した。

この時、スミスは16歳であり、証拠はスミスの犯行を示していたが、地方検事が供述書を急いで揃えようとした時に紛失してしまい、結局、スミスは逮捕される事はなかった。


同年の夏、スミスは警察に目をつけられていたが、その目を掻い潜り、メリーランド州ボルチモアに移動し、そこで25歳の女性を誘拐し、強姦して散々殴りつけた。

スミスは女性を放置したままその場を去り、スミスはすぐ逮捕された。


1959年4月12日、裁判でスミスには懲役20年が言い渡された。


1968年5月、スミスは約10年刑期を務めた後、仮釈放され地元のニューヨーク州に戻った。


1969年5月20日、スミスは女性を誘拐し、強姦した。

同じ日、スミスは強姦した女性の母の友人の女性 (46歳♀) を誘拐し、強姦した。

スミスは再び逮捕され、裁判で懲役4年から15年の不定期刑を言い渡され、ニューヨークの刑務所に収監された。


1976年10月5日、約7年の刑期を務め、スミスは出所した。


同年11月24日、感謝祭前日、ロバート・ヘッダーマン (48歳♂) とその秘書マーガレット・バイロン (59歳♀) が、ニューヨーク州オールバニにあるヘッダーマンの店の裏で無惨な姿で発見される。

死体のすぐ側には人間の糞便が見つかり、それは殺害された2人のものではない事がわかった。

警察はそれを押収し、検査に回すことにした (この時、スミスの職場が近くにあった) 。


同年12月23日、ジョーン・リッチバーグ (24歳♀) が、コロニー・センターモールの駐車場で死体で発見される。

リッチバーグは車内で強姦され殺害された。

この事件でスミスは、その残忍な犯行と現場に残された毛髪から主要な容疑者となるが、確実な証拠が揃うまで逮捕されなかった。


1977年1月10日、オールバニでスミスはギフトショップで22歳の女性を誘い出そうとする。

しかし、女性が激しく抵抗した為、スミスは女性の祖母 (60歳) を人質にとり、殺すと脅した。

応援が駆けつけると、スミスは祖母を殴って気絶させ、手を踏みつけた後、投げ捨てた。

その後、スミスは逃走するが、数年後、祖母は新聞やニュースでスミスの顔を見て、自分を襲った人間だと断定した。


同年7月22日、ニューヨーク州スケネクタディの電車の線路近くでマライリー・ウィルソン (30歳♀) が死体で発見される。

ウィルソンの死体はバラバラにされてはいたが、これまでの事件と比べるとそれほど激しい損傷ではなかった。

この事件の目撃者は、犯人が非常に大柄な男性だと供述し、これはリッチバーグ殺害時に確認された男性と非常に酷似していた。

スケネクタディ警察は、スミスをウィルソン殺害の最重要容疑者とした。


同年8月19日、マリアンヌ・マッジオ (18歳♀) が、スミスに誘拐され強姦される。

その後、スミスがマッジオにオールバニの方へ運転するよう命じ、マッジオに運転させた。

しかし、途中、警察に車を止められ、スミスはあっけなく逮捕された。


1978年3月5日、これまでの証拠を照合し、それらを突きつけられたスミスは、ウォーターストリートを含む5人の殺害を認めた。


裁判でスミスは多重人格障害に苦しんでいたと主張した。

また、スミスを診察したカウンセラーによると、スミスにはジョンという弟がおり、ジョンは生まれて間もなく脳炎で死亡した。

そのジョンの人格がスミスの中に存在するのではと述べた。


その為、当初はスミスが裁判に適応出来る精神状態にないとされたが、同年3月9日、サラトガ郡で強姦の罪で有罪判決が下され、懲役10年から20年を宣告された。


同年7月21日、スミスはスケネクタディの裁判で最低25年は仮釈放のない終身刑が言い渡された。

判決を下されたスミスは直後に自殺を試みている (未遂に終わった) 。


1979年2月2日、スミスはオールバニでヘッダーマンとバイロン殺害で起訴され、懲役50年の終身刑が言い渡された。

スミスは他にウィルソンやリッチバーグ殺害でも起訴されたが、結局、それらに関しては棄却された。


1981年5月15日、グリーンヘブン刑務所の女性看守ドナ・パヤン (31歳♀) が職場から仲間の同僚に電話した。

同僚がパヤンを迎えに行くが、パヤンは現れなかった。

刑務所の看守達など数百人が徹夜で刑務所内を徹底的に調べるが、見つける事が出来なかった。

しかし、ゴミ収集トラックが刑務所のゴミ箱を回収し、20マイル (約32km) 離れたゴミ捨て場にゴミを捨てた時、バラバラにされたパヤンの死体が発見された。

この刑務所内で女性看守が殺害されるというのはアメリカの歴史上初めての事であった。

余談だがパヤンの葬式には5000人もの警察関係者が参列し、当時のニューヨーク州知事ヒュー・ケアリーは「 (犯人逮捕への) 迅速な対応」を誓った。


同年6月6日、パヤン殺害がスミスではないかと嫌疑を受ける。

まだ、スミスが犯人だと確定する前に、スミスにはパヤン殺害容疑により義務的な死刑判決が下された。

その後、パヤン殺害の証拠がいつくか提示され、犯人はスミスだと断定された。


1983年1月20日、パヤン殺害の裁判がついに始まり、全米の注目を集めた。

スミスの弁護側は、他の看守や囚人達による証言や数々の証拠は何の根拠もなく、陰謀説を主張した。


しかし、同年4月21日、スミスはパヤン殺害で有罪判決が下された。

だが、スミスはすでに終身刑で服役しており、そんな囚人に対して唯一の抑止力と考え、当時のニューヨーク州の法律はスミスが自動的に死刑を宣告される事を義務づけた (当時、ニューヨーク州は死刑を廃止しており、2004年に復活するも、2008年に再び廃止された。結局、ニューヨーク州は1963年以降死刑は執行されていない) 。


同年6月10日、スミスには死刑が言い渡された。


1984年7月2日、スミスは死刑に対してその合憲性に意義を唱えて訴えた。


同年、スミスの死刑は終身刑に変更となった。



∽ 総評 ∽

女性看守を含む6人を殺害したスミス。

スミスは宗教に厳格な家庭に生まれ、スミス自身も親にそれを強いられ精神が歪んでしまった。

これまで親が熱心な信者であり、それにより精神が破綻した殺人鬼を何人も紹介してきたが、これは虐待と何らかわりない。

また、スミスは頭部への打撃を何度も経験し、脳が損傷した事により精神が異常になった可能性が高い。

その異常性は11歳から殺人を犯す異常振りであった。

詳細はないが、恐らくそれは両親からの折檻だと思われる。

スミスは女性看守を殺害したアメリカで初めての殺人鬼となり、そういう点では非常に有名となった。

ただ、16歳の時に殺人を犯した時、検事が供述書を紛失してしまい、裁かれる事がなかった。

検事の怠慢はとても許される事ではなく、もし、この時、しっかりと裁かれていれば、もしかしたらその後の凶行は起こらなかった可能性はあり、それは悔やまれてならない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 6人

《犯行期間:1958年1月21日~1981年5月15日》