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ゲルトラウト・アルツベルク (オーストリア)
【1972 ~ 】



2005年6月、オーストリアの首都ウィーンで1人の女性が逮捕される。

女性の名はゲルトラウト・アルツベルクといい、ウィーン在住の33歳の女性であった。

アルツベルクが逮捕された理由は子殺しであった。

アルツベルクは2000年から2005年の間、自身の生後間もない赤ん坊を殺害した。

アルツベルクが手にかけた子供は全部で4人で、生んでは次々と殺害していった。

アルツベルクは4人の内、2人の赤ん坊は冷蔵庫に遺棄して捨て、もう2人の赤ん坊はバケツに入れてその中にコンクリートを流し入れ埋めて捨てた。

アルツベルクのアパートを捜索した警察が、家の中で4人の赤ん坊の遺体を発見した。

また、共犯者としてアルツベルクのボーイフレンド、ヨハネス・ジェンサー (39歳) も逮捕された。

肝心のアルツベルクの殺害動機だが、当時、アルツベルクは金銭的に困窮していた為、請求を支払う事が出来ず、精神的に追い詰められていた。

精神的に不安定だったアルツベルクは、子供を持つと交際していたジェンサーに振られると勝手に思い、次々と殺していったのだった。


裁判が開かれると、殺害された4人の子供の父親が誰かという事に焦点が集まった。

交際していたジェンサーの子供かとされたが、それはアルツベルク本人が否定した。

また、ジェンサー自身もそれを否定した。

しかも、ジェンサーはアルツベルクと交際していた時、アルツベルクが妊娠していた事すら知らなかったと述べた。

アルツベルクは裁判の最中、時たま天井を見上げる事もあったが、ほとんど視点を変えず、表情も変える事もなく沈黙を保っていた。

法廷にはアルツベルクの隣人も出廷し、アルツベルクが妊娠している姿を度々目撃したと述べた。

また、アルツベルクが頻繁に地下にある冷蔵庫に行っていたと述べ、当時、その事を聞くと

「アイスクリームが好きで冷蔵庫に持って行っている」

と述べていたと語った。

更に、隣人はアルツベルクが5回目の妊娠をしていた事を目撃しており、5人の子供がいるはずだと述べた。

しかし、5人目についてはアルツベルクが語る事はなかった為、結局、実際に5人目がいたのか5人目も殺したのかわからなかった。


2006年3月31日、アルツベルクは3件の殺人で終身刑が言い渡された。

判決を言い渡された時、アルツベルクは泣きもわめきもせず無感情で、表情が全く変わらなかった。

ジェンサーは犯行を否認していたが、懲役15年が言い渡された。

判決が確定し、手錠を掛けられたアルツベルクが法廷を去った後、ジェンサーは裁判官に
「私はまだ彼女の力になる事が出来ますか?」
と尋ね、アルツベルクと結婚したいと述べた。

すると、裁判官は
「私は反対です」
ときっぱりと答えた。

このアルツベルクの事件が公になると、オーストリアではこういった凄惨な事件が少なかった為、オーストリア全土が唖然とし、騒然となった。



∽ 総評 ∽

恋人に振られない為に自身の子供を次々と殺害したアルツベルク。

今まで自身の子供を手にかける母親を何人も紹介してきたが、大抵が『代理ミュンヒハウゼン症候群』だったり、保険金目当ての殺害だったりだが、このアルツベルクのような理由というのは珍しい。

子供がいれば振られるというのはアルツベルクの勝手な理屈であり、子供たちからしてみればたまったものではない (ただし、実際は他人の子供を生んだとわかれば大抵の男性が別れるであろうが) 。

アルツベルクは金銭的に追い詰められ精神が破綻したようだが、追い詰められた原因は本人なわけだし (もしかしたら違うかもしれないが) 、とても許される事ではない。

ただ、4人という人数もあるだろうが、子殺しで普通に終身刑になるヨーロッパの国々の法律に、日本も少しは見習って欲しいものである。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 4人

《犯行期間:2000年~2005年》