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オマル・フセイン (デンマーク)
【1992 ~ 2015】



オマル・アブドル・ハミッド・エル=フセインは、1992年9月11日、デンマーク・ボアディングボーで生まれた。

フセインの両親はパレスチナ人で、デンマークへの移民であり、フセインの他に弟が1人いた。


フセインは3年間だけヨルダンで生活していた事もあった。

その後、デンマークの首都コペンハーゲンに引っ越した。


フセインは学校では物静かで勉学に熱心であった。

また、フセインは武術が趣味であり、コペンハーゲンにあるムエタイクラブに所属した。

めきめきと実力をつけたフセインは、2013年にムエタイの試合に出た事もあった。


だが、フセインは内に気性の荒さを秘めており、同年に電車で19歳の男性と口論となり、怒りが頂点に達したフセインは咄嗟に刺してしまう。

この事でフセインは大学を退学させられてしまう。

その後、フセインはコペンハーゲンのギャングが集まる広場に顔を出すようになる。


2014年、フセインは暴行や傷害、不法な武器所持等の複数の罪で起訴される。

そして、同年12月に有罪判決となり、刑務所に収監された。


2015年2月1日、フセインは仮釈放となり出所した。


同年2月15日午後3時頃、フセインは自動小銃で武装すると、コペンハーゲンにある文化センターへ向かう。

この時、文化センターのカフェでは表現の自由等を議論する会合が行われていたのだが、フセインはそこで銃を乱射した。

その後、フセインはシナゴーグ (ユダヤ教の礼拝堂) へ移動し、そこでも銃を乱射した。

この2ヶ所での銃撃によりフィンランド人の男性2人が死亡する。

警官がすぐに駆けつけ、フセインとの銃撃戦が始まり、6人の警官が負傷するも、フセインをその場で射殺した。

肝心のフセインの動機だが、フセインは日頃からイスラム教について話す事を好み、それを冒涜する者に対して怒りを露にしていた。

フセインが特に怒りを露にしていた相手が、ラーシュ・ビルクス (68歳♂スウェーデン人の芸術家) とフランソワ・ジムレ (54歳♂デンマーク駐在大使) であり、特にビルクスはイスラム社会を下品に風刺した絵を描き、イスラム諸国から非難を受けていた。

また、フセインの元級友らによると、フセインは面倒見が良く、頭が良かったと口を揃えて語った。

級友の女性は、学校の前で交通事故に遭った時、フセインがすぐに駆けつけ安否を気遣ってくれたと話した。

ただ、フセインは次第に薬物を乱用するようになり、それから攻撃性が増したとも話した。

フセインは日頃からイスラエルとパレスチナの紛争についてよく話していた。

そして、ユダヤ人が嫌いだと公然と話して憚らなかったという。



∽ 総評 ∽

イスラム社会を冒涜された事に怒りを覚え、銃を乱射したフセイン。

自身が崇拝するものを冒涜された事により怒りを露にして銃を乱射したフセインだったが、個人的にこのフセインの許せない所は、結局、標的としたのは全く関係ない人間という所だ。

崇拝するものを冒涜され怒りを露にするというのは理解出来なくもないが、その冒涜した張本人を殺害するのではなく、何の罪もない人間を襲撃した。

これだと自身の思想を冒涜された恨みだという理由はとても通用しない。

もちろんビルクスのように故意にイスラム社会を下品に風刺するのもとても賛成出来ないが、もし怒りをぶつけるのであれば、ビルクス本人に手紙や書面を送って抗議するのが筋だ。

結局フセインはその苛立ちを世間にぶつける事で鬱憤を晴らしたかったに過ぎない身勝手な人間という事である。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・殺人数 2人
(他負傷者6人)
《犯行期間:2015年2月15日》