マルセル・バルボー (フランス)
【1941 ~ 】
マルセル・アンリ・バルボーは、1941年8月10日、フランス・オワーズで生まれた。
父親は蒸気機関車の運転手、母親は織物工場で働いていた。
バルボーは4人兄弟の長男であり、待望の初めての子供という事で可愛がられ、何不自由なく育った。
母親は兄弟の中でも特にバルボーを溺愛した。
バルボー14歳の時、高校進学に失敗してしまい、進学を諦めたバルボーは、機械工場で働き始める。
1960年12月13日、バルボーはフランス軍に入隊し、アルジェリアに移動となる。
この当時のアルジェリアはフランスの植民地であったが、アフリカの相次ぐ独立の機運にアルジェリアも触発され、フランスからの独立を掲げた。
その為、フランス政府とアルジェリアの間に争いが起こっていた。
バルボーはパラシュート部隊に志願したが、原因不明の目眩に襲われ、後方支援に回される事となった。
その後、バルボーは2年間、軍役を務め上げ、2つの勲章を拝領している。
退役したバルボーはフランスに戻り、警官になろうとするが試験に落ち、以前勤めていた機械工場に戻る事となった。
この頃、バルボーは映画館で働いていたジョシアンヌ・バンドパンセールと出会い、その後、結婚した。
バルボーは2人の子供が生まれている。
1968年、バルボーの母親が乳癌により死去する。
バルボーは母親に溺愛されていた事もあり、母親の事が大好きであった為、そのショックは計り知れないものがあった。
それは、毎日母親の埋葬された墓地を訪ねる程であった。
1969年1月10日、バルボーは自宅で夕食の準備をしている女性を窓越しからカービン銃で撃った。
女性は背中から肩を撃たれ倒れたが、傷は浅く命に別状はなかった。
同年1月14日、17歳の少女が帰宅途中の道を歩いていると、バルボーに腹部を撃たれた。
少女の傷は浅く、一命は取り留めたが、逃走するバルボーの姿を少しだけ確認する。
しかし、夜で暗かった事もあり、男か女かもわからなかった。
同年1月23日、化粧品販売員のテレーズ・アダム (49歳♀) が、自宅のガレージにいた時に、闇に隠れていたバルボーに鈍器で後頭部を叩かれ、その場で気を失って倒れた。
その後、バルボーは銃でアダムのうなじを撃ち、射殺した。
アダムは服を脱がされ全裸にされていたが、強姦されてはいなかった。
バルボーはアダムの死体をガレージから数m離れた空き地へ運び、ハンドバッグを奪って逃走した。
アダムの死体は翌日発見された。
1971年、弟ジャン=リュイが交通事故で死亡してしまう。
兄弟は仲が良かった為、バルボーは母親同様ショックを受ける。
同年11月、メリエンヌ・ミシュリンヌ (44歳♀) が、夕食の準備をしている最中に赤いスカーフで顔を隠した男が家に侵入する。
家には他にメリエンヌの娘スザンヌ (19歳♀) がいたが、男は銃で親子を脅すと、家の外へ連れ出した。
線路近くに連れて行くと、メリエンヌを縄で縛り、こめかみに銃を突きつけた。
スザンヌは男が母親に銃を向けている隙に逃げ出したが、数秒後、背後で銃声が聞こえた。
すぐに警察に駆けつけたスザンヌは、犯人の男について
「がっしりとした体格で、猫のような眼をしていた」
と説明した。
警察はこのメリエンヌ殺害までに同様の事件が4件発生しており、その内2人が殺害されていた。
捜査を進めると、全ての事件に使用されていた銃が一致した事で、同一犯による犯行だと断定した。
この頃には犯人は『Shadow Killer (闇の殺人鬼) 』と呼ばれるようになっていた。
1973年2月6日、映画館で働くアニック・デリール (29歳♀) が仕事帰りにバルボーに襲われ、後頭部を鈍器で殴られ気を失う。
デリールは服を脱がされた後、バルボーにうなじを撃たれて死亡した。
バルボーは同じくハンドバッグを奪って逃走した。
同年5月29日、墓地にあった車の中からユージン・シュテファン (25歳♂) とモーリセット・ヴァン・イフテ (23歳♀) の死体が発見される。
2人は恋人同士であり、2人は撃たれて死んでいた。
このシュテファン殺害はバルボーによる初めての男性被害者であり、これまでの犠牲者に使用された銃とは異なった為、当初はバルボーの犯行ではないと思われた。
1974年1月8日、ジョセット・ルチエ (29歳♀) が家のバルコニーにいると、バルボーが家に侵入し、ルチエの後頭部を撃って射殺した。
その後、ハンドバッグを奪って逃走した。
ルチエの死体は3日後の11日、不審に思った隣人の通報により発見された。
同年2月、バルボーの弟ロジェが電車へ飛び込み自殺してしまう。
これでバルボーは母親と2人の弟を短期間で失った事となった。
同年9月3日、バルボーは逮捕される。
この時の容疑は窃盗であり、殺人ではなかった。
家宅捜索を行うと、その盗品の多さに警官は驚き、そこには銃もあった。
その事をバルボーに問いただすと、
「昼間に妻が1人だと心配だから」
と説明した。
バルボーは裁判で懲役1ヶ月が言い渡され刑務所に収容された。
1975年11日26日、ジュリア・ゴンサルヴェス (29歳♀) の死体が発見される。
ゴンサルヴェスはほぼ全裸であり、後頭部を鈍器で殴られこめかみを銃で撃たれていた。
ゴンサルヴェスは数日前から行方不明となっており、捜査が行われていた。
実はゴンサルヴェス殺害の際、通行人が犯人を目撃しており、この通行人の証言からモンタージュ写真が作られている。
1976年1月6日、フランソワーズ・ヤクボウスカ (21歳♀) が仕事帰りに帰路についていると、バルボーに後頭部を殴られる。
バルボーはヤクボウスカを連れ去ると、胸を何度もナイフで刺した。
最後は銃でこめかみを撃って射殺した。
この頃にはオワーズの街はパニックとなっており、夕方や夜に出歩く女性は極端にいなくなっていた。
被害者が全て黒髪の女性であった事から、髪の色をかえる女性が相次いだ。
同年12月14日、バルボーはついに逮捕された。
逮捕されたバルボーだったが、バルボーは犯行を否定し続けた。
だが、様々な証拠がバルボーが犯人だと断定していた。
肝心のバルボーの殺害動機だが、母親が乳癌にかかった際、乳房を摘出しており、この事でバルボーは正常な乳房を持っている女性に対して憎しみを抱いた為とされた。
また、黒髪の女性を狙ったのも、母親が黒髪だったからだった。
更に、バルボーはハンドバッグを盗んだものの、金目のもの一切盗まず、また、強姦は一切行わなかった。
裁判で検察はバルボーに死刑を求刑したが、バルボーはあくまで無実を主張した。
1981年6月10日、バルボーには終身刑が言い渡された。
∽ 総評 ∽
母親や兄弟の死のショックから次々と女性を殺害したバルボー。
バルボーの家庭は普通の家庭で何の問題もなく、通常、多くのシリアルキラーが幼少の頃に受ける虐待等がないにもかかわらず、バルボーはここまで異常になってしまった。
バルボーは母親の死にショックを受け、犯行に及ぶようになったが、それほど母親を愛し、また、母親からも寵愛されていたのだろう。
バルボーは元々異常だったのかもしれないが、母親の死でギリギリ保っていた精神状態が破綻してしまった。
動機にみられる通り、バルボーは母親が乳癌により乳房を摘出した事にショックを受け、正常で健康な女性を憎むようになった。
また、犠牲者は一様に母親と同じ黒髪の女性であり、わざわざそういう女性を標的にした。
殺害動機としてはシリアルキラーにはよくあり珍しいという事はないが、その理由は身勝手極まりなく、酌量の余地は微塵もない。
バルボーは頭部を撃つ射殺を主に行ったが、殴ったり刺したりと殺害方法が様々で特にこだわりがなかった。
通常、殺害相手にこだわる場合、殺害方法もこだわる場合が多いが、バルボーは少し異質であった。
フランスのシリアルキラーはこれまで何人も紹介してきたが、少し特殊で異質な存在が多く、個人的にはかなり印象に残っている人物が多い。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 8人 (他被害者多数)
《犯行期間:1969年1月10日~1976年1月6日》
コメント
コメント一覧 (8)
バルボーは母親の死によって精神的に滅茶苦茶になったようですが、やったことは完全に逆恨みでしょう。冷たい言い方ですが、母親が死んだ事は誰のせいでも無いですし。
この人は良く言えば繊細、悪く言えば打たれ弱い人だったのではないかと思います。
テッド・バンディは典型ですね。
仰る通り逆恨み以外の何物でもないですね。
バンディの場合はそういう容姿の女性に振られたという恨みなのでまだわからないでもないですが、母親が乳癌になって乳房を摘出したとか死んだとかって恨む事ではないですからね。
ケンパーも多くの女性を殺害してますね。
私も同感です。
ただ、フランスはEUに加盟しているので、今後死刑は復活しないでしょうね。
それは良いアイディアですね。
地雷は減るし凶悪犯はいなくなるし一石二鳥ですね。