image















ピエール・シャナル (フランス)
【1946 ~ 2003】



シャナルは1977年から1986年の間、フランス・マルヌ県ムルムロンで第4騎兵連隊のキャプテンとして勤務していた。

軍人としてのシャナルは申し分なく優秀であった。

それはレバノンの国連平和維持の部隊員として国連から賞を貰う程であった。

シャナルは毎日15km走り、戦闘訓練に余念がなく、また、スカイダイビングを好んだ。


1988年8月9日、ソーヌ=エ=ロワール県の警官が、不審な車両を発見する。

警官が車に近づくと、車には男性が乗っており、名前をピエール・シャナルと言った。

シャナルは

「休暇を利用して観光旅行している」

と警官に話した。

しかし、警官はシャナルの対応に怪しさを感じ、身元を調べた。

すると、シャナルがムルムロンに駐在する軍に所属している事がわかる。

だが、警官はシャナルの言動を不審に思い、車内を調べる事にする。

車両後部座席窓から中を覗くと、何かを包んでいるかのような毛布があり、そこには拘束された男性の頭部があった。

驚いた警官はすぐに男性を解放し、事情を聞いた。

男性はパラッツ・ファルヴェイという20歳のハンガリー人だと判明し、前日の夜、ヒッチハイクしていた所、シャナルに拾われ拘束されたのだった。

また、車内には更に大人の玩具とカメラが発見された。


逮捕されたシャナルは、1990年10月23日、ソーヌエロアール裁判所で懲役10年が言い渡された。

判決を言い渡した時、裁判官はシャナルの行いを痛烈に非難し、刑務所でも独房に配置するよう要求された。


1995年6月16日、シャナルは仮釈放となり出所する。

しかし、警察はムルムロンで1980年1月以来、少なくとも8人が失踪した事件にシャナルが関与しているのではと疑う。

その失踪した人物というのは全員兵士であり、当時は軍役から逃げ出したと言われていたが、軍当局は長らく逃亡の事実を否認していた。

結局、1980年から1982年の間に5人、1990年までに3人、計8人が失踪した事が判明した (その内、数人は死体が発見されている) 。

失踪したのはパトリック・デュポア (19歳♂) 、セルジュ・ハーヴェント (20歳♂) 、マニュエル・カルバリョ (19歳♂) 、パスカル・セルゲンテ (19歳♂) 、オリヴィエ・ドナー (20歳♂) 、パトリス・デニス (20歳♂) 、パトリック・ガッシュ (18歳♂) 、トレヴァー・オキーフ (20歳♂) の8人であった。

1987年にキャンプ近くにドナー他2人の遺体が発見される。

また、同年8月8日、トレヴァー・オキーフの死体が木立の中に体が半分埋め込まれた状態で見つかった。

結局、シャナルは3人の殺害で逮捕され、起訴された。


2003年10月15日、シャナルは裁判の審理中に、拘留されている刑務所でカミソリで大腿動脈を切り、出血多量で死亡した。

享年56歳。



∽ 総評 ∽

軍人ばかり標的にしたシャナル。

男性が男性を強姦して殺害するというのは珍しくないが、同じ軍人ばかり狙うというのは標的としては珍しい。

ただ、最後に狙ったのはヒッチハイクしていたハンガリー人であり、軍人を狙ったのも普段接している為、狙い易かっただけかもしれない。

また、シャナルは8人の中の3人殺害で起訴されたが、裁判の結果が出る前に自殺してしまった。

結果が出てない為、殺人自体も事実ではないかもしれないが、自殺している所を見ると、シャナルでまず間違いないだろう。

フランスのシリアルキラーはこれまで何人も紹介してきたが、このシャナルも含め少し特殊な人物が多い。

国柄なのか個人的にはフランスのシリアルキラーは不思議と陰湿な感じがしない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 8人

《犯行期間:1980年~1988年》