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ギルバート・ジョーダン (カナダ)
【1931 ~ 2006】



ギルバート・ポール・ジョーダンは、1931年12月12日、カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバーで生まれた。


ジョーダンは成長すると理容師として働き始めた。


ジョーダンは若い頃から常習的な犯罪者であり、それは1952年から始まった。

その犯行は強姦や強制猥褻、誘拐や飲酒運転など多岐に渡り、自動車窃盗では逮捕され有罪判決を受けた。


1965年、ジョーダンは殺人を始める。

ジョーダンが標的にしたのは原住民 (インディアン) の女性であった。

ジョーダンは獲物を主にバーで物色し、女性に酒を沢山驕り、酩酊状態にした。

そして、連れ去って強姦し、更に多くの酒を無理矢理口の中に流し込んだ。

その為、犠牲者の多くが急性アルコール中毒で死亡していた。

警察はただの酒の飲み過ぎにより死んだと判断し、それ以上捜査を続ける事はなかった。

マスコミも事件を大々的に報道したが、アルコール中毒による死亡であり、連続殺人とは考えていなかった。

新聞では犠牲者の女性を売春婦と掲載していた。

ジョーダンによる最初の犠牲者は、アイビー・ローズ (♀) とされ、ローズもアルコール中毒で死んでいた。

ローズはホテルの部屋で死んでいたのだが、血中アルコール濃度が0.51もあった (飲酒運転となるのは、0.15~0.25。一般的に0.4以上で酩酊状態となり、まともに歩く事が困難となる) 。


1976年、ジョーダンは軽微な罪により逮捕され、裁判所からの要請でタイガー・ベゼレディ博士によって診察を受ける。

ベゼレディはジョーダンを
「反社会的人格であり、社会的な振る舞いが出来ない人物」
と診断した。


1980年11月30日、メアリー・ジョンソン (♀) が、エールマー・ホテルで死体で発見される。

ジョンソンの血中アルコール濃度は、0.34であった。


1981年9月11日、バーバラ・ポール (♀) がグレンエアード・ホテルで死体で発見される。

ポールの血中アルコール濃度は、0.41であった。


1982年7月30日、ジョーダンの勤務している床屋『Kingsway (キングスウェイ) 』の近くでメアリー・ジョーンズ (♀) が死体で発見される。

ジョーンズの血中アルコール濃度は、0.76であった。


1984年12月15日、同じく『Kingsway』の近くでパトリシア・トーマス (♀) の死体が発見される。

トーマスの血中アルコール濃度は、0.51であった。


1985年6月28日、同じく『Kingsway』近くで、パトリシア・アンドリュー (♀) が死体で発見される。

アンドリューの血中アルコール濃度は、0.79であった。


1986年11月19日、クリフトン・ホテルで、ヴェラ・ハリー (♀) が死体で発見される。

ハリーの血中アルコール濃度は、0.4であった。


1987年10月12日、ヴァネッサ・リー・バックナー (♀) が、ナイアガラ・ホテルで死体で発見される。

バックナーは全裸であり、また、インディアンではなく白人であった。

バックナーは普段、それほど酒を飲まなかったが、これまで同様アルコール中毒で死亡していた。

バックナーは死亡する前、生まれたばかりの新生児の親権を失っており、薬物に溺れ、依存症となっていた。

バックナーからは指紋が検出される。

その指紋がジョーダンのものと判明する。


バックナー殺害から1ヶ月後、エドナ・シェイド (♀) がホテルで死体で発見される。

バックナーとシェイドの死をジョーダンによるものだと判断した警察は、ジョーダンの監視を始める。

しかし、そんな監視の目が光る中、ジョーダンは犯行を重ねる。


同年11月20日、バルモラル・ホテルで、ローズマリー・ウィルソン (♀) が死体で発見される。

ウィルソンの血中アルコール濃度は、0.52であった。


同年11月21日、パシフィック・ホテルでヴァーナ・シャルトラン (♀) が死体で発見される。

シャルトランの血中アルコール濃度は0.43であった。


同年11月25日、レインボー・ホテルで、シーラ・ジョー (♀) が死体で発見される。


翌日の26日、パシフィック・ホテルで、メイベル・オルソン (♀) が死体で発見される。

同年10月12日から11月26日の間の連続殺人の最中、警察はジョーダンの魔の手から逃れたインド人女性を保護する。

ジョーダンは一連の殺人容疑で逮捕される。

しかし、連続殺人の証拠が見つからず、結局、ジョーダンはバックナーの過失致死のみで有罪となり、懲役15年が言い渡された。

ジョーダンは判決を不服としてすぐに控訴する。

このジョーダンの控訴は受理され、ジョーダンは懲役9年となった。


ジョーダンは6年刑期を務め、釈放後、バンクーバー島に身を置かれ、保護観察される事となった。


2000年6月、ジョーダンは女性に無理矢理アルコールを飲ませ、強姦と暴行で起訴された。


同年、ジョーダンは名前をポール・ピアーズに変更しようとしたが、ブリティッシュコロンビア州が認めなかった。


2002年、ジョーダンは保護観察違反を犯し、再び逮捕される。

ジョーダンは有罪判決が下され、懲役15ヶ月と、保護観察3年間が追加された。


釈放された後、2004年8月11日、再び保護観察違反で逮捕される。

ジョーダンがバークレイ (♀) をホテルに連れ込み、無理矢理酒を飲ませた。

バークレイはホテルの従業員とバークレイの友人キャシーによって発見され、病院に搬送された。

バークレイは一命を取り留めたが、逮捕されたジョーダンは無実を主張する。


2005年、結局、証拠なしとしてジョーダンは無罪となり釈放された。


2006年7月7日、ジョーダンは病気で死去する。

享年74歳であった。



∽ 総評 ∽

『The Alcohol Murders (アルコール殺人) 』または『The Boozing Barber (酒浸り床屋) 』などと呼ばれ、主にインディアンの女性を標的にし、大量のアルコールを無理やり飲ませて殺害したジョーダン。

アルコールを大量に飲ませ、急性アルコール中毒などで殺すという殺害方法にお酒を使用するというのは、かなり独特で他にほとんど類を見ない。

通常、急性アルコール中毒で死ぬ場合は、かなりの量を一気に飲んだり、無理矢理飲ませたりした場合に起きるが、実際にジョーダンが無理矢理飲ませたという証拠はなく、その為、ジョーダンを連続殺人で裁く事が出来なかった。

ただ、犠牲者のアルコール濃度を見てもわかる通り、かなりの数値を叩き出しており、本人が好んで飲んだとはとても思えない。

結局、ジョーダンは連続殺人の犯人として逮捕され裁かれる事はなかったが、これでは犠牲者や遺族は浮かばれない。

何度も保護観察力違反を犯し、しかも、その後もアルコールを無理やり飲ませている事から、個人的に一連の犯行はジョーダンだと決めつけて逮捕しても何の差し支えもないはずだ。

ただ、「本人が好きで飲んだ」と言われればそれまでであり (ただし、好きで飲む量ではないだろうが) 、殺害方法としては証拠も残りにくい完璧な方法だと言えよう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 12人

《犯行期間:1965年~1987年11月26日》