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ジョン・ロビンソン (アメリカ)
【1943 ~ 】



ジョン・エドワード・ロビンソンは、1943年12月27日、アメリカ・イリノイ州シセロで5人兄弟の3番目として生まれた。

ロビンソンはアルコール中毒の父親と厳格な母親によって育てられた。


学校では大人しく目立たないロビンソンは、13歳の時にボーイスカウトに参加し、

「将来は神父になりたい。そして、イタリア・ローマに行って働きたい」

と迷いなく話し、周囲の人を驚かせていた。


そんなロビンソンは夢を現実にする為、カトリック教会の神学校に進学する。

だが、ロビンソンは成績が振るわず、たった1年で落第し、中退してしまった。

ロビンソンはこの事に酷いショックを受ける。


その後、ロビンソンは放射線医学の専門学校に転校したのだが、その学校もたった2年で退学してしまう。


ロビンソン21歳の時、ナンシー・ジョー・リンチという女性と結婚する。

その後、双子の子供 (2人共に男の子) に恵まれた。


中途退学の為、放射線技師の資格を得る事は出来なかったのだが、ロビンソンは証明書を偽造し、22歳の時にミズーリ州カンザスシティの小児病院に放射線技師として就職する。

しかし、放射線の学校を途中退学し、しかも、元々賢くなかったロビンソンはすぐに無能な事が同僚に露呈してしまう。

小児病院の同僚たちはロビンソンが実は資格を持っていないのではと疑い、本人に問い詰める。

しかし、ロビンソンはそんな同僚たちの発言を一蹴する。


だが、このままではいつかバレるかもしれないと思ったロビンソンは、翌年、小児病院を辞めた。

そして、偽りの履歴書を作成し、トルーマン元大統領の主治医が経営するクリニックに転職する。

明るく人当たりの良いロビンソンは元大統領の主治医から信任を得る事に成功する。

しかし、その信任を利用し、クリニックの銀行口座に不正にアクセスし、現金を引き出した。

また、患者やスタッフと浮気を繰り返すようになる。

ロビンソンは

「妻は今、病気が重く末期の状態」

と女性に同情を誘い、浮気を繰り返した。


しかし、ロビンソン26歳の時、これまでの数々の悪行がバレてしまい、3万3000ドル (約330万円) を横領したとして逮捕される。

起訴されたロビンソンだったが、初犯という事もあり禁錮刑は免れ、3年間の保護観察処分となった。

その後、ロビンソンは反省するどころか再就職先で再び横領したり、物を盗んだりしてクビになるという生活を繰り返した。

ロビンソンは天才的な詐欺師の才能があり、相手を言葉巧みに信用させ、信頼して丸め込む事を得意とした。

「妻が病気で死にかけており、高額な医療費が払えない」
とロビンソンに相談した友人に対しては、

「水栽培に投資すれば儲かり、医療費も払える」

と騙して2万5000ドル (約250万円) を搾取した。

また、ロビンソンが標的にしたのは友人・知人だけではなく、家族や親族すら標的にした。

言葉巧みだったロビンソンは、詐欺が発覚して逮捕される事はほとんどなかったが、1969年から1991年の22年間で4度起訴され、有罪判決を下された。


ロビンソンは『the International Council of Masters』というSMカルト集団に参加し、そこで「Slavemaster」と呼ばれる任務に就いた。

それは、カルトメンバーに強姦される為の生け贄を拉致して来る事が任務であり、ロビンソンは積極的に任務をこなす事となる。


1984年9月、ロビンソンは詐欺目的で2つのダミー会社を立ち上げ、販売代理人としてポーラ・ゴドフリー (19歳♀) を雇った。

ロビンソンはゴドフリーを仕事の研修と称し、誘惑する。

その後、ゴドフリーは行方不明となる。

何の連絡もないゴドフリーの両親が娘の安否を心配し、警察に通報した。

警察はゴドフリーを雇っているロビンソンに話を聞きに行くが、ロビンソンは

「何も知らない」

と言った為、捜査は行き詰まった。

しかし、数日後、ゴドフリーの署名で両親宛に手紙が届く。

それを見た両親は安心するのだが、その手紙はロビンソンがタイプライターで打ったものであった。

警察は捜査を終了してしまうのだが、結局、ゴドフリーは2度と姿を現す事はなかった (遺体は現在も発見されていない) 。


1985年1月、ロビンソンはシェルターで4ヶ月の赤ん坊を持つリサ・シュタージ (19歳♀) に狙いを定め、

「支援してあげる」

と言葉巧みにシュタージを誘い出し、モーテルの部屋に滞在させた後、行方不明となる。

実はモーテル滞在時、シュタージは義母に電話しており、心配になった義母が警察に通報する。

通報を受けた警察は、すぐにゴドフリーと共通点がある事に気づく。

また、シュタージがロビンソンとシェルターで接触していたという情報を得た為、再びロビンソンに話を聞きに行った。

ロビンソンは警察に対し、

「彼女は新しい彼氏と3人で生活をするといっていなくなった」

と話した。

その後、ゴドフリー同様、シュタージから
「幸せにやっている」
というタイプライターで打った手紙が家族に届き、再び警察は捜査を断念する事となった (もちろんこれもロビンソンが打ったものだった) 。


1987年、ロビンソンが雇っていたキャサリン・クランピット (27歳♀) が行方不明となる。

クランピットの死体も同様に発見されなかった。


同年、ロビンソンは窃盗罪で逮捕される。

実はこの時、ロビンソンは保護観察期間中であり、保護観察違反となってしまった。

刑務所に収監されたロビンソンは、得意の嘘を吹聴し、刑務所内の図書館従業員ビバリー・ボナー (49歳♀) の同情をかい、交際する事となる。


ボナーは結婚しており、1993年、ロビンソンの出所に合わせて医者の夫と離婚した。

ロビンソンはボナーに医者の元夫に扶養手当を送らせるよう指示する。

ボナーはロビンソンの言葉に従い、元夫に
「オーストラリアに行く事になるから、私書箱宛にして」
と告げた。

そこまでさせた後、要済みとなったボナーをロビンソンは殺害する。

そして、ボナーの遺体をドラム缶の中に入れ、ボナーの所持品と一緒に郊外にあるレンタル倉庫を借りてそこに入れた。

ボナーの元夫は元妻がオーストラリアに住んでいると思い込み、扶養手当を送り続けた。

ロビンソンはそれを受け取り生活の足しにしていた。

ロビンソンは世の中にインターネットが普及し始めている事に目をつける。

出会い系チャットに「Slavemaster」という名前で登録し、労せず獲物を物色出来ると考えた。

そして、ロビンソン更に多くのお金を手に入れようと、シーラ・デール・フェイス (45歳♀) という脳性麻痺の15歳の娘デビー・リンがいる女性を狙った。

ロビンソンが狙ったのは脳性麻痺のリンがもらっている障害者手当てであった。

ロビンソンはフェイスに

「私はチャリティー好きの億万長者。あなたたち母娘を是非助けたい。カンザスシティに引っ越してくれば職を与え、娘さんの治療費の面倒もみましょう」

と嘘をついた。

そして、母娘をカンザスシティに呼び寄せると、デビーが受け取っていた障害者手当ての小切手を自身の会社名で借りた私書箱宛に送らせるよう手配した。

それを済ませると、母娘を殺害した。

2人の死体はボナー同様、ドラム缶に入れてボナーの死体を置いてあるレンタル倉庫に入れた。

ボナーとデビーの手当てを毎月受け取って生活していたロビンソンは、働きもせずにネットばかりやっていた。

SM好きのロビンソンはネットでBDSM (ボンテージ・調教・SM) の愛好者が集まるチャットルームに入り浸り、

「報酬を支払うので従順なセックスパートナーが欲しい。もし願いを叶えてくれるならアパートも仕事も用意する。だからカンザスシティに来て欲しい」

と呼び掛け、多くの女性がロビンソンが用意したモーテルの部屋にやって来た。

ロビンソンはそれらの女性とSMプレイに興じたが、多くの女性がロビンソンを不気味に感じすぐに逃げた。


1997年、BDSMのチャットルームで、インディアナ州在住のイザベラ・レウィッカ (21歳♀) という女性と出会う。

レウィッカはゴシックホラー好きのポーランドからの移民で、ロビンソンは

「私の会社はカンザスシティでは有名な出版社であり、私の会社の職を約束しよう」

と言葉巧みにレウィッカを誘った。

レウィッカは大学教授の両親に
「良い仕事が見つかった」
と話して通っていた大学を中退し、ロビンソンのもとに向かった。

レウィッカは用意されたモーテルの部屋に来ると、
「今後、115年間、彼の奴隷になる」
という契約書を交わし、銀行預金を含む全てをロビンソンに捧げる事で合意した。

契約を交わした後、SMプレイを満足するまで行ったロビンソンはレウィッカを殺害する。

ロビンソンは周囲にレウィッカの事を

「彼女は海外に移住した」

と話した。


レウィッカ殺害後、今度はロビンソンは看護師のシュゼット・トルーテン (28歳♀) とチャットルームで知り合い、

「年収6万ドル (約600万円) を払う。海外旅行に同行して夜は私の奴隷になって欲しい」

と呼び掛けると、トルーテンは喜んでやって来た。

そして、ロビンソンは散々トルーテンとSMプレイを満足するまで行うと、殺害した。

ロビンソンはトルーテンの家族には
「私は幸せです。新生活をスタートさせてるので探さないで下さい」
という内容の手紙をタイプライターで打って送った。

しかし、その内容に違和感を感じたトルーテンの家族は、警察に行方不明届けを提出した。

また、ロビンソンに仕事を斡旋された女性ばかり相次いでいなくなっている事から、警察は不審に思い捜査を開始した。

この捜査にはFBIも加わり、ロビンソンを徹底的にマークした。

実は捜査官たちはロビンソンの事を
「詐欺師としてはそれなりだが、殺人には荷担してない小者」
だと軽く見ていた。

だが、ロビンソンをマークしていく内、ロビンソンがそんな甘い人間でないと知らされる事となる。

昼間は堂々と家族と生活したが、日が暮れると怪しい人間と接触し、夜になると多くの女性と関係を持っていた。

そして、捜査官がロビンソンがBDSMのチャットルームでトルーテンと知り合っていた事を突き止め、そのやり取りの記録を全て入手する。

やり取りはかなり異常なものだったが、合意の上で行われたとなれば犯罪にはならない為、容易に手が出せなかった。

また、行方不明となっている多くの女性たちを殺したという証拠もなく、そもそも行方不明となっている為、殺害されたという証拠すらなかった。

捜査が行き詰まっていると、とある女性が警察を訪ね、
「性的暴行でロビンソンを訴えたい」
と言い出した。

ロビンソンは当初は完璧に事を進めていたが、犯行に慣れてくると、次第に手口が疎かになり、完璧にコントロールしていたと思っていた女性たちに不審に思われるようになっていた。

その後、他の女性たちも同様に訴えたいと言い出し、警察はロビンソンを殺人ではなく別件での逮捕に踏み切った。


2000年6月2日、ロビンソンは自宅にいる所を逮捕された。

捜査官はロビンソンの家や貸し倉庫、ロビンソンが所有していた牧場などありとあらゆる場所を捜索した。

すると、ドラム缶の中から腐敗した遺体が発見され、それは全部で5体に及んだ。

検死の結果、遺体の2つはレウィッカとトルーテンだとわかり、2人はハンマーのような鈍器で頭を繰り返し殴られていた事がわかった。

しかも、2人に一切抵抗した痕がなかった事から、不意打ちか動けないように拘束されてから襲われたと判断された。

残る3体は行方不明となっているゴドラフ、シュタージ、クランピットだと思っていたが、実際はフェイス、デビー、ボナーである事が判明する。

3人も頭を繰り返し殴られた事で殺害された。

遺体が見つからなかったゴドラフ、シュタージ、クランピットだが、3人はロビンソンが所属するカルト集団に生け贄として捧げられたと推測された。


2002年8月7日、カンザス州で裁判が始まり、ロビンソンが数々の証拠があるにもかかわらず、無罪を主張する。


しかし、2003年1月21日、ロビンソンはあらゆる罪で有罪となり、レウィッカとトルーテン殺害で死刑が言い渡された。



∽ 総評 ∽

『Internet Slavemaster (インターネット・スレイブマスター) 』または『Internet killer (インターネット殺人者) 』と呼ばれ、初のインターネットを使用した本格的な連続殺人鬼とされるロビンソン。

ロビンソンはSMを好んだ生粋のサディストであり、女性を支配して拷問する事に快感を得ていた。

ロビンソンは生粋の詐欺師であり、言葉巧みに女性を騙し、用済みとなれば容赦なく殺すという鬼畜振りを発揮した。

それは扶養手当や障害者手当て等、普通の金品を奪うのではなく、何ヶ月何年も自分に給付されるよう根回し、搾取し続けるという非情なものだった。

また、ロビンソンは女性を生け贄としてメンバーで強姦して殺害するというカルト集団に所属し、組織に生け贄の女性を引き渡していた。

有名なカルト集団というと、ヘンリー・ルーカスやオーティス・トゥールが所属した『死の腕』があるが、アメリカではこういった集団が多々存在する。

この集団の詳細はよくわからないが、ロビンソンはカルト集団の一員として生け贄を送った (ただし、本人が語らない為、実際送ってたかどうかは不明) 。

ロビンソンは子供の頃、神父を目指したが、自身の能力に反して志が高かった為、神学校を落第してしまった。

この事が相当ショックだったのは想像に難くない。

もし、普通に神学校に通い、神父になっていたならば、このような凶行を行わなかった可能性はある。

ただ、それならば違う道を歩めばいいだけの話で、そのショックにより殺人を始めましたと言われて納得出来る人などもちろんいないだろう。

ロビンソンは良心の呵責が微塵もなく、また、騙して要済みとなると容赦なく切り捨てるという非情振りを発揮し、人間性は完全に欠落しており、生粋のサイコパスと呼べるだろう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★★☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 8人以上

《犯行期間:1984年9月~1999年》