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スティーブン・カトリン (アメリカ)
【1944 ~ 】



スティーブン・デイヴィッド・カトリンは、1944年、生まれて間もなく養子に出され、カリフォルニア州カーン郡に住むグレンとマーサのカトリン夫妻に引き取られた。


1950年代初期、一家はカリフォルニア州ベーカーズフィールドへ引っ越した。


カトリンは高校を中退したが、普通の仕事に関心を示さず、19歳の時、偽造容疑で逮捕された。

カトリンは矯正施設で9ヶ月間収容された。


矯正施設を出たカトリンは結婚する。

しかし、結婚後のカトリンは狂暴であり、日常的に妻に暴力を振るった。

また、カトリンはこの頃には薬物に溺れていた。


1966年、カトリンは離婚せずに別の女性
と結婚する。

重婚は違法であったが、カトリンは婚姻届に偽名を使用し、誤魔化した。

しかも、カトリンは結婚式も行った。


重婚してから数ヶ月後、カトリンは働いていたガソリンスタンドでクレジットカードを盗んだ罪で逮捕された。


裁判で裁判官はカトリンを「中毒者」と非難し、3年の禁錮刑を言い渡した。


釈放後、カトリンは最初の妻と離婚し、本当の名前を使用して正式に重婚した2人目の女性と結婚した。


しかし、この頃にはすでに夫婦関係は冷めており、10ヶ月後に離婚した。

そして、すぐに3人目の女性と結婚する。


だが、8ヶ月後、3人目の妻とも離婚した。

離婚後、カトリンはジョイスという名の女性と出会い、4回目の結婚をする。

しかし、結婚後、カトリンはレーサーのグレンドン・エメリー (♀) と知り合う。

そして、カトリンはエメリーの義理の娘に夢中となり、ジョイスと結婚しているにもかかわらず、結婚してくれるよう求めた。


1976年4月、ジョイスが酷い風邪の症状に見舞われ、ベーカーズフィールドにあるメーシー病院に入院する。


しかし、ジョイスの症状は悪化の一途を辿り、同年5月6日、肺炎により死亡した。

カトリンはジョイスを土葬ではなく火葬するよう強く主張した。


1977年5月、カトリンはケイという名の女性と5度目の結婚をし、カリフォルニア州フレズノへ引っ越した。

そして、そこで車修理の仕事に就いた。

カトリンは普通に働いたが、様々な趣味により浪費しており、常にお金がなかった。


1980年10月28日、養父であるグレンが突然死亡する。

グレンは癌により死亡したのだが、グレンは病気1つした事のない健康な体だった。

グレンはジョイス同様火葬されたのだが、これはカトリンによる強い主張があったからだった。


1981年、カトリンの雇い主は沢山の自動車部品がなくなる事に気づいた。

そして、従業員を調べた所、犯人はカトリンだと判明した。

雇い主はカトリンを訴えなかったが解雇した。

その為、カトリンは更に財政的に逼迫していく。


1984年2月17日、妻のケイが突然病気にかかり入院した。


そして、症状が良くなる事なく、同年3月14日、死亡する。

この頃、カトリンには新しい女性がおり、カトリンはケイの死で保険金5万7000ドル (約1300万円) を手に入れる。

しかし、これら不審死に疑惑をいだいていたカトリンの3番目の元妻が、地元の保安官に話をした。

保安官が火葬した死体の詳細を調べると、ジョイスの組織のサンプルがメーシー病院に残されている事が判明する。


同年11月、ジョイスの組織のサンプルが提供され、調査される事となる。


同年12月8日、カトリンの養母マーサが倒れて病院に運ばれる。

しかし、マーサはカトリンとガールフレンドが病院に駆けつけた直後、死亡し、「脳卒中」と診断された。

カトリンはグレン同様火葬を強く主張するが、検死が行われるまで処分は延期された。

そして、ジョイスの組織サンプルの結果、及びマーサの検死を行うと、除草剤パラコート中毒にかかっていた事が判明する。

パラコートはアメリカで使用禁止されていた。

そして、パラコートが入れられていた瓶がカトリンのガレージで見つかり、瓶からカトリンの指紋が検出された。

調査が着々と進められている時、カトリンは付き合っているガールフレンドと6度目の結婚をする。

しかし、その直後、カトリンはついに逮捕される。


1986年5月、カトリンはモンテレー裁判所に出廷する。


1990年、カトリンは終身刑が言い渡された。


1993年、このカトリンの事件を題材にした映画が製作され、公開されている。



∽ 総評 ∽

元妻と養父母を除草剤パラコートで毒殺したカトリン。

毒殺自体は女性殺人鬼が得意とするポピュラーな殺害方法だが、カトリンが標的にしたのは全て身内であった。

カトリンは歴代の毒殺魔 (アーノルド・パーマーやグレアム・ヤング等) とは異なり、特に毒物に魅了されたわけではなく、女性殺人鬼のような殺害方法の手段としてのみ使用した。

また、カトリンは妻たちを毒殺したのは新しい女性と一緒になる為と、保険金目当てであり、育ててくれた養父母は特に理由がわからず、その犯行は短絡的で鬼畜としか言い様がない。

カトリンは次々と女性をたらしこみ、4度結婚している。

いつも思うのだが、こういった異常なシリアルキラーはやたらと女性にモテる人物が多い。

上手く隠しているというのもあるが、その危険性に女性達が惹かれるのだろうか?

ただ、カトリンは生みの親に捨てられており (詳細がない為確かな事は言えないが、おそらく捨てられた) 、その部分だけは同情の余地はある。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 4人

《犯行期間:1976年5月6日~1984年1月28日》