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デイビッド・クルーガー (カナダ)
【1939 ~ 2010】



デイビッド・マイケル・クルーガー (出生名ピーター・ウッドコック) は、1939年3月5日、カナダ・オンタリオ州ピーターボロで生まれた。

クルーガーを生んだ時、母親はわずか17歳で、母親は1ヶ月間だけクルーガーを母乳で育てたが、すぐに養子縁組に出してクルーガーを見放した。

クルーガーは里子に出されたが、1つの家に留まる事なく、3年もの間様々な家をたらい回しにされた。

しかも、クルーガーはそれら色々な里親の少なくとも1つの家に虐待された。

その際、クルーガーは首に重い損傷を負っている。


クルーガーが3歳の時、フランクとスーザンのメイナード夫妻に引き取られ、ようやく安定した生活を送るようになる。

しかし、この頃からクルーガーは精神的な障害がみられるようになり、その事で近所の子供たちからいじめを受けた。


ある時、クルーガーはいつも以上に執拗ないじめを受け、藪の中に捨てられた。

そして、倒れていた所を発見されたクルーガーはすぐに病院に運ばれ治療を受けた。


クルーガーはオンタリオ州キングストンにある情緒障害の子供達が通う学校に行く事となる。


クルーガー15歳の時、学校を追い出され、再び養父母の元に戻った。

その後、クルーガーは公立の学校に通うようになり、歴史や英語の成績は良かった。


クルーガーは再び学校を辞め、自転車に乗ってトロントへ向かった。


1956年9月15日、クルーガーは自転車に乗り、ウェイン・マレット (7歳♂) を見えない所に誘い、首を絞めて絞殺した。


死体は翌日に見つかったが、服は脱がされ顔は埃まみれで汚れており、ふくらはぎと腰に傷を負っていた。

これらの傷はマレットが強姦された事を如実に示していた。


同年10月6日、クルーガーは自転車に乗り、ゲイリー・モリス (9歳♂) を誘拐すると、モリスを叩き、強姦した。

そして、喉を刺して首を絞め、殺害した。

その後、クルーガーはモリスの死体周辺にクリップをばら蒔いた。


1957年1月19日、クルーガーは自転車に乗ってキャロル・ボイス (4歳♀) に近づくと、ボイスを誘拐した。

そして、ボイスの服を脱がし、無理やり強姦した。

強姦した後、ボイスを絞殺し、木の枝をボイスの目と膣に刺し込んだ。

だが、このボイス殺害の際、自転車に乗るクルーガーを目撃した人物がおり、その目撃証言から合成写真が作られた。


ボイス殺害から2日後の1月21日、クルーガーは合成写真が決め手となりトロントで逮捕された。


同年4月11日、裁判ではクルーガーはボイス殺害のみで起訴される。


しかし、4日後の15日、クルーガーは精神異常を理由に無罪となり、オーク・リッジの警備体制が厳しい精神病院に収監される事となった。

精神病院に収監されたクルーガーだったが、1960年代、当時、まだ精神病患者に対する治療が確立されていない事もあり、様々な薬を実験的に投与されてしまい、症状は更に悪化してしまう。

クルーガーは精神病院で同じ収容者に対して同性愛行為を繰り返した。

すでに正気ではなかったクルーガーは、想像上のギャング 『Brotherhood』 を作り、収容者をギャングに無理やり引き入れた。

このギャングに入るとクルーガーに強姦されなければならず、収容者はクルーガーに強引に強姦された。


オーク・リッジでは手に負えないと判断されたクルーガーは、別の施設に移送された。

この施設に来た時に名前をデイビッド・マイケル・クルーガーに変更した。

クルーガーはここでブルース・ハミルという収容者と出会う。

ハミルは以前収容されていたデニス・カー (27歳) という男性を殺したいとクルーガーに話し、クルーガーは協力する事にする。


1991年7月13日、クルーガーとハミルは外出許可を得、ハミルは金物屋に行き手斧とナイフ、寝袋を購入する。

クルーガーはカーが収容されているブルックビル病院へ向かい、カーを外に連れ出した。

そして、クルーガーはパイプレンチでカーの頭を叩き、失神させる。

その後、ハミルも合流し、2人でカーを切りつけて突き殺した。

カー殺害後、クルーガーとハミルはカーの体を切断し始め、バラバラにした後、クルーガーはカーを死姦した。

クルーガーはカー殺害でオーク・リッジに戻された。


2010年3月5日、クルーガーはオンタリオの施設で病死する。

享年71歳。

ちょうど71回目の誕生日の日であった。


最後に、逮捕された際、クルーガーが供述した言葉で終わりたいと思います。

「私が恐れるのは母が発見するという事でした。それが私の最大の恐れでした」



∽ 総評 ∽

子供ばかり強姦して殺害したクルーガー。

クルーガーは自転車で子供をさらったが、犯行道具として自転車を常に使用するというのは珍しい。

クルーガーは生まれてすぐ母親に捨てられ、その後、里親をたらい回しにされ、虐待を受けた。

これによりクルーガーは精神に異常をきたしてしまい、正直、クルーガーにも同情の余地はある。

クルーガーは精神病院に実に34年収容されたが、良くなる所か悪化の一途を辿った。

前述した通り、時代もあるだろうが治療の実験台にされクルーガーは異常さが増してしまった。

精神病院でのギャング結成等も自身の欲求を満たす為だけに作ったもので、この時点でクルーガーは回復の見込みは皆無で、外に出すべきではなかった。

クルーガーによる犠牲者は全部で4人だが (殺害された人数) 、その犯行は人数以上に残酷で陰惨と言える。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 4人
(他強姦多数)
《犯行期間:1956年~1957年、1991年7月13日》