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ラマダン・マンスール (エジプト)
【1980? ~ 2010】



ラマダン・アブドル・ラヒム・マンスールは、1980年 (1980年代という説もある) 、エジプト・タンタ (首都カイロの北にある町) で生まれた。


マンスールは若い頃に家を出て、ストリートギャングの一員となった。

ギャングの幹部はマンスールに生きて行く上での方法や技術を教え込んだ。


マンスールはアーメド・ナグイ (12歳♂) という少年を強姦しようと襲う。

しかし、強姦は失敗してしまい、ナグイは警察にその事を告げる。

マンスールは逮捕されるが、証拠がないとして解放された。

解放されたマンスールは警察に告げ口した少年に対し、復讐の為にナグイを襲い、強姦した後にカミソリで切りつけて殺害する。


マンスールは電車でカイロとアレキサンドリアを行き来した。

そして、マンスールはギャング団と共に電車や車両の上にいるストリート・チルドレンを誘った。

マンスールは仲間と共に少年を散々強姦し、拷問の限りを尽くしていたぶり殺害した。

そして、トラックの上から捨てて遺棄した。

また、それでもかろうじて息のあった子供は、生き埋めにするかナイル川に廃棄して殺した。


2006年、ギャング団のメンバー2人が逮捕され、マンスールらによる犯行が明るみになる。

マンスールは逮捕され、1999年から2006年の7年間で少なくとも32人の少年がマンスールらの餌食となり、強姦され殺害された事が判明した。

また、被害者はわずか10歳から14歳の少年たちばかりであった。

マンスールはその犯行の手口から『Express Train (急行列車) 』を意味する『al-Tourbini』と呼ばれるようになった。

マンスールの事件が新聞に掲載され、その犯行が明るみになると、エジプト全土が騒然となった。

しかし、マンスールの故郷では一種のお祭り騒ぎとなり、更にマンスールにあやかった商品や企業が多数現れ、問題となった (詳細省く) 。

その事にジャーナリストであるジョン・ブラッドリーは触れ
「これらの反応は被害者や遺族の事を考えるととても理解出来ないし、容認出来ない。現代のエジプト社会に問題がある」
と自身の著書に書いている。


2007年、裁判でマンスールはギャング団のメンバーで共犯者のファラグ・サミエル・ムハンマド (別名「ハナタ」) と共に有罪判決が下され、死刑が言い渡された。


2010年、マンスールの死刑が執行された。



∽ 総評 ∽

『al-Tourbini』と呼ばれ、ギャング団のメンバーとして少年ばかり30人以上強姦して殺害したマンスール。

ゲイ殺人鬼というのはシリアルキラーの中には多いが、女性の強姦殺人とは異なり、相手に高齢者を狙うという事はまずない。

その為、必然的に相手は若い少年になってしまい、陰惨なものとなってしまいがちだ。

そもそもマンスールがゲイになった理由がわからないが、強姦しようとして失敗し、通報された相手を復讐して殺害するという鬼畜振りを遺憾なく発揮した。

また、マンスールはギャング団の一員として少年を強姦して殺害しているが、たまたまメンバーがゲイだとは思えない。

もしかしたらこのマンスールの所属したギャング団は、もともと少年を強姦する為に結成された組織なのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 32人以上

《犯行期間:1999年~2006年》