image
















ジョン・ナムギュ (韓国)
【1968 ~ 2009】



1989年、高校を卒業したジョンは、わずか1年後に強盗を犯し、懲役2年6ヶ月、執行猶予4年が言い渡された。

ジョンは窃盗や家宅侵入、強姦等の常習者で、それらの罪で逮捕された前科を持っていた。

刑務所から出所したジョンは、仕事を見つける事が出来ず、一緒に住む母親、兄弟共に家庭は困窮していた。

この貧乏に苦しんでいたという事が、ジョンの精神を歪ませ、金持ちを憎み、あらゆる金持ちを殺そうと考えるようになる。

また、ジョンは仕事と結婚相手を見つける事が出来ない事に対しても怒りを露にした。


そして、ジョンは2004年2月から韓国・ソウル特別市南西部で殺人を始める。

ジョンが標的にしたのは女性であった (夫のいない女性) 。


同年3月27日午前4時30分頃、ジョンはソウル特別市クァナク区に住むキム (55歳♀) の家に侵入する。

家にはキムの他に娘2人がおり、ジョンはまずキムを鈍器で撲殺する。

その後、娘2人を鈍器で襲撃し、1人を撲殺し、1人に重傷を負わせる。

しかもジョンは死体を毛布に包み、火を点けて逃走した。

キムの娘の1人は、襲撃時は生きていたが、数日後に死亡した。


2005年4月18日、ソウル特別市クムチョン区で、ジョンはファン (47歳♀) の家に侵入する。

ジョンは鈍器でファンを殴り殺し、続いてファンの13歳の息子も鈍器で殴り撲殺した。

そして、ファンの家から金品を盗んで逃走した。


同年10月9日、ジョンは障害者のコミュニティ・センターに侵入し、2人の精神障害を抱えた女性を襲い、負傷させた。


2006年4月24日午前4時50分頃、ジョンはソウル特別市ヨンドンポ区にあるキム (26歳♀) の家に侵入する。

しかし、ジョンはキムの反撃に遭い、駆けつけた警官により逮捕された。


こうしてキムは2004年2月から2006年4月までに、ソウル特別市南西部で少なくとも13人を殺害した事を自供した。

ジョンは映画『羊たちの沈黙』や犯罪に関する本や心理学に関する本、科学と人体の本も読み漁った。

また、犯罪には体力が必要だと思い、毎日10km走り込み体力をつけ、警察の捜査を撹乱する為に多種多様な武器をあえて使用した。

ジョンは犯行の際、地下鉄を利用し、足跡を残さないよう細心の注意を払った。

また、目撃者を全て殺し、証拠隠滅の為に服や毛布で死体を包み、燃やすようにして完全犯罪を目指した。

しかも、ジョンは火を放って火事の現場を訪れ、燃え盛る様子を見て興奮したと話した。

更に、ジョンはソウル特別市内で多くの監視カメラが設置してあるカンナム区 (江南区) を避けて犯行に及んでいた事がわかった。


2006年9月20日、裁判でジョンには死刑が言い渡された。

このジョンに対する死刑宣告は韓国内で物議を醸した。

その理由は、韓国では1997年12月に最後に死刑が行われて以来、約10年間死刑が行われなかった為であった。

その為、韓国はアムネスティ・インターナショナル (1961年に発足した世界最大の国際人権NGO団体) に、2007年に『死刑のない国』の1つとして紹介されていた。

韓国では当時、事実上、死刑が廃止されているような状態であり、国全体としても死刑廃止の流れであった (余談だが、ジョンの死刑宣告まで、1948年以降、実に920人が処刑されている) 。


2009年11月22日、ジョンはビニール袋で縄の輪を作り、独房で首を吊った。

すぐに警備員に発見され、ジョンは病院に搬送されるが死亡が確認された。

享年40歳であった。

このジョンの自殺に関して、後に刑務所内の管理体制を疑う声が集まった。

自殺を容易にさせてしまった事もそうだが、囚人には本来禁止されている物が外界から容易に持ち込まれていた為だった。

現に、韓国では2004年から2008年までの836人の囚人が、禁止された物 (現金、携帯電話、タバコ) を刑務所内に持ち込んでいた。


最後にジョンが残したノートに書かれていた内容で終わりたいと思います。

『政府は死刑を廃止する事を検討しようとしません。命は雲のようなもので、行ったり来たりします』



∽ 総評 ∽

貧困を恨み殺人に走ったジョン。

以前掲載した『至尊派事件』のメンバーも自分達が貧乏な事を恨み、金持ちを標的にした。

このジョンも同様で、貧困から金持ちを恨み、それが殺害動機となった。

貧困は生まれてきた環境で多少しょうがない所はあるが、結婚出来ないのは自身のせいでしかない。

そんな理由で殺人を繰り返すというのは身勝手極まりなく救いようがない。

ジョンは政府に死刑廃止を訴えかけていたが、自身が死刑を宣告された事に対する抵抗なのかもしれない。

もしそうだったとしたら、13人も殺しておいてよくそんな事を言えたものだと呆れてしまう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 13人

《犯行期間:2004年2月~2006年4月》