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ジェフリー・カトリップ (アメリカ)
【1949 ~ 】



1975年8月、オレゴン州ポートランドで、カトリップはマレーネ・クレア・カールソン (44歳♀) を殺害する。

カトリップはカールソンと同じアパートに住んでおり、カトリップは盗みを行う為、カールソンの鍵が掛かっていない部屋に侵入した。

この時、カールソンは寝室で寝ており、カトリップはカールソンに襲い掛かり性的行為をしてくれるよう要求する。

しかし、カールソンが拒否した為、カトリップはカールソンを無理やり強姦し、寝ていた枕を顔に押し当てて窒息させようとした。

しかし、上手くいかなかった為、電気コードで首を絞めて殺害した。


カールソンは1週間の内3日は母親と会っていたのだが、1週間連絡もなかった為、不審に思ったカールソンの母親が警察に連絡した。

連絡を受けた警察がカールソンのアパートを訪ねると、カールソンの死体を発見する。

カールソンの死体は発見時、相当腐敗が進んでいた。

カールソンは強姦され絞殺されたのだが、鍵である南京錠はドアの前に置かれていた。

このカールソン殺害は犯人特定には至らず、事件は迷宮入りしてしまう。


1977年4月、アメリカ・ウィスコンシン州ジョンソン・クリークで、ジュリー・ベネット (15歳♀) の溺死体が発見される。

犯人はジェフリー・ポール・カトリップという男性で、カトリップは公園でギターを演奏しており、ギターを教えてもらう為に近づいたのだった。

この日、友人と来ていたベネットにカトリップが飲み物などを提供した。

そして、カトリップはベネットとビールとタバコを買う為に店に向かった。

その後、カトリップはベネットを宝石を見せると言って自室に誘う。

すると、カトリップはベネットを押し倒し、後ろ手に縛った。

カトリップはベネットの服を剥ぎ取り、2時間に渡って強姦だけでなく肛門姦も行った。

実は当初、カトリップはベネットを殺害するつもりはなかったが、凌辱の限りを尽くし後、ベネットが警察に通報すると言った為、殺害する事に決めた。

カトリップはベネットを公園に無理やり連れて行き、川に顔を押しつけ1分間沈めて溺死させたのだった。

当初、警察はベネットは不慮の事故死として処理した。

しかし、ベネットの家族はそれはあり得ないと話した。

何故ならベネットの母親は若い時、救助員として働いていた事があり、その為、母親はベネットに子供の頃から泳ぎを教えており、ベネットが溺れるはずかないと話した。

ベネットの家族は警察に犯人はカトリップという男性だと告げた。

ベネットの家族が
「以前、カトリップは同じアパートに住んでいた。そして、家の近くの公園でカトリップがギターの演奏をしており、ベネットがギターの演奏をカトリップに教えてもらっていた。その後もベネットは事ある毎にカトリップと会っていた」
と話した。

警察はこの家族の証言によりカトリップの家を家宅捜索するが、何も見つける事が出来ず、また、公園の川が証拠を流してしまい、結局、ベネットの死は事故として処理された。


その後、カトリップは別の肛門姦と強盗の罪で逮捕され、服役する事となる。


1993年、カトリップはニーレン・ドール (33歳♀) を殺害する。

ドールとはポートランドのバーで出会い、2人はドールの家へ向かった。

そして、カトリップは性行為する為に縛らせてもらうようドールに頼むが、ドールは拒否する。

その事に腹を立てたカトリップは咄嗟にドールの首を腕で絞め上げた。

気づくとすでにドールは絶命しており、カトリップは死姦を試みるが上手くいかなかった。

その後、ドールの死体を車に乗せ、オレゴン州クラカマス郡まで運び捨てた。

ドールの死体は通行人に発見され、すぐに警察は捜索に乗り出すが、犯人特定には至らなかった。


2012年7月、911に一本の電話が入る。

電話の主はカトリップであり、3件の殺人について自ら自白したのだった。

カトリップは逮捕され、警察に対し

「罪の意識に耐えられなくなり、殺害した被害者の遺族の為にも自首した」

と話した。


裁判ではカトリップの弁護側は証拠がほとんどない事を主張する。

確かに、強姦した証拠は遺体から判断出来るが、殺したという証拠は一切なく、カトリップ本人の自白でしかなかった。


2014年1月17日、裁判でカトリップには3件の終身刑が言い渡された。



∽ 総評 ∽

3人の殺害の罪悪感に苛まれ、自首したカトリップ。

逮捕された時、カトリップはすでに63歳であり、この年齢まで犯行がバレなかったという事は、今後、バレる事はなかったはずであり、本当に罪悪感に耐えられなくなっての自首で間違いないと思われる。

ただ、だからいって遺族が救われる事はない。

特にベネットの家族は事件当時カトリップの犯行だと力説しているにもかかわらず、結局無視されたのである。

ベネットの遺族からしてみれば、とても納得出来る事ではない。

カトリップの犯行がバレなかった理由は、相手との接点の無さにあるだろう。

げんに接点のあったベネットの際は疑われ、逮捕出来る唯一のチャンスだった。

警察の怠慢というのはどこの国も一緒だと痛感させられる。


 
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 3人

《犯行期間:1975年8月、1977年4月、1993年》