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ナンシー・キッセル (香港)
【1964 ~ 】



ナンシー・アン・キッセル (旧姓ケーシン) は、1964年、アメリカ・ミシガン州で生まれた。


1989年、ナンシーはロバート・キッセルとニューヨークで結婚した。


その後、ナンシーは3人の子供を生み、1997年、家族で香港に移住する。

家族は香港・陽明山荘に住んだ。

3人の子供たちは香港インターナショナル学校に通った。

夫ロバートはゴールドマン・サックス (アメリカ・ニューヨーク州に本社を置く金融グループで、世界最大級の投資銀行) のアジア特別グループの副社長を務めていたが、2000年にメリルリンチ (元米国三大投資銀行の1つ) に引き抜かれた。


2003年、ナンシーは久し振りに故郷のアメリカに帰省した。

そこでナンシーはマイケル・デル・プライアーという名のニューハンプシャー州出身の男性と出会う。

プライアーはバーモント州にあるキッセルの実家で配線を直した事のある電気修理工で、2度結婚歴があった。

そんなプライアーとナンシーは出会ってすぐ不倫関係となる。


その後、ナンシーは香港に戻ったが、それで関係が終わる事はなく、プライアーと電話で頻繁にやり取りした。

夫ロバートはナンシーに疑惑を抱き、不倫しているのではと思うようになる。

そこで、ロバートは探偵に頼みナンシーを探ると、プライアーというアメリカ人男性と不倫している事が判明する。

ロバートはその事をナンシーに問い詰め、離婚を決意する。

そして、3人の子供に関してはナンシーと親権について争うと言い放った。

すでにロバートに何の愛情もなかったナンシーは、子供の親権を奪われる危機感からロバート殺害を計画する。


2003年11月2日、ナンシーは6歳の娘に与えていたイチゴ味のミルクセーキ (牛乳に甘味料などを加えて作る乳飲料) に多量の鎮静剤を混入し、それをロバートに与えた。

子供たちには外で待機させ、鎮静剤で朦朧としたロバートをナンシーは金属製の装飾品 (ヘビーメタルの彫刻) で何度も殴り、撲殺した。

殺害後、ロバートの死体をカーペットで巻き、貯蔵室に置いた。


しかし、ロバート殺害から5日後の11月7日、ナンシーは逮捕される。

ナンシーはロバート殺害は認めたものの、それは自衛であったと主張した。

ナンシーは不倫も認め、それがロバートにばれてから家庭内暴力を受けていたと供述した。

また、ナンシーは5年間、ロバートから強姦と肛門姦を受け続けていたとも主張した。

しかも、ナンシーはロバートがコカインやアルコール中毒者であったとも述べた。


2005年6月、ナンシーの裁判が始まり、ナンシーは前述したロバートからの暴力による自衛を主張した。

しかし、その時の詳細を突っ込まれ、不利な状況になると、

「記憶がない」

と誤魔化した。

しかし、ロバートの検死の結果、体内から大量のゾルピデム (睡眠導入剤) が検出され、それをナンシーに問いただすと、ナンシーはゾルピデム使用を認めた。


同年9月1日、7人の陪審 (男性5人、女性2人) は8時間の熟考の末、ナンシーには終身刑が言い渡された。


2008年4月、ナンシーは上訴した。


2010年2月10日、ナンシーの訴えに対して再審を命じた。


しかし、同年3月2日、ナンシーは殺人の1つの訴因で告発される。

ナンシーはロバート殺害後、アメリカへ戻りプライアーと駆け落ちする予定であり、しかも、ロバートを殺害してロバートの財産1800万ドル (約20億円) を1人締めするつもりだったと起訴側は主張した。


2011年3月25日、女性7人と男性2人の陪審は、満場一致でナンシーに終身刑を宣告し、確定した。



∽ 総評 ∽

『ミルクセーキ殺人』と呼ばれ、夫を撲殺したナンシー。

不倫や金銭目的の殺人というのは、女性に多く見られる事であり、特に珍しいという事はない。

ナンシーは夫の暴力に耐えかねた末の殺害だと主張したが、死人に口なしを言い事にありもしない事を好き勝手供述した。

もちろん、夫婦の間は当人同士しかしらなく、本当にDVがあった可能性はある。

しかし、ナンシーには暴力で残るはずの傷痕が一切なかった。

結局、ナンシーは自身の殺人を正当化したいだけであり、同情の余地は微塵もない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 1人

《犯行期間:2003年11月2日》