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アルヴィン・ケリー (アメリカ)
【1951 ~ 2008】



アルヴィン・アンドリュー・ケリーは、1951年3月14日、アメリカ・テキサス州カルバーソン郡で生まれた。

ケリーにはシンシアという名の妻がいた。


1984年4月30日夕方、ケリーは妻シンシアを連れ、麻薬ディーラーのロン・ウィルソンと会った後、ジェリー・グレン・モーガン (30歳♂) の家に向かった。

シンシアは夫のケリーがモーガンの家に行く事もその目的も知らなかった。

モーガンの家に到着すると、ケリーはシンシアに銃を渡し、車にいるよう促し、自身も銃を持ってモーガンの家に侵入した。

ケリーがモーガンの家に侵入してしばらくすると、シンシアは車の中で銃の発砲音と赤ん坊の泣き声を聞いた。

その後、シンシアもモーガンの家に入ると、丁度、ケリーがモーガンの妻ブレンダ (25歳♀) を壁に叩きつけている最中であった。

そして、モーガン夫妻の子供デヴィン (生後22ヶ月♂) が泣いている姿を見ていた。

ブレンダは
「子供だけは助けて!」
と叫び、シンシアに頼んだ。

シンシアはブレンダに言われた通りデヴィンを保護する。

ケリーは背後からブレンダの首を撃った。

そして、ケリーは虫の息のブレンダをベッドルームへ運んだ。

シンシアはデヴィンをリビングルームの椅子に置き、ケリーに従ってベッドルームに入った。

ベッドルームに入ると、モーガンがすでに撃たれて死んでおり、モーガンの死体の側にブレンダを置いた。

シンシアはリビングルームに戻り、デヴィンを抱えてケリーの下へ行った。

そして、シンシアはデヴィンだけは助けるようケリーに頼むが、ケリーは泣き叫ぶデヴィンをシンシアから奪うと、躊躇なく顔面を撃って射殺した。

その後、ケリーはシンシアに銃を向け車に戻るよう促した。

シンシアが家を出ると、家の中から発砲音が聞こえた (虫の息のブレンダを撃った音) 。

そして、モーガンの家にあったテレビやビデオカセット・レコーダー、何丁かの銃を盗んでケリーとシンシアは逃走した。


翌日の5月1日、家族がモーガンの家を訪ねた事で事件が発覚。

結局、モーガンは胸を数回撃たれた事により死亡し、ブレンダは首を撃たれた後、背中を撃たれた事で死亡した。

警察はすぐに捜査を進めるが、犯人特定には至らなかった。


その後、事件は6年間未解決のままとなった。

ケリーはモーガン一家殺害前から武器の不法所持による逮捕歴があったのだが、殺害事件の時にもいくつかの事件で逮捕状が出ていた。


1985年9月、ケリーはモーガン一家殺害ではなく、別件の強盗の罪で逮捕され、懲役5年が言い渡された。


1986年3月、ケリーは仮釈放された。


1988年2月、ケリーはドラッグの違法取引により逮捕され、懲役5年が再び言い渡された。


しかし、同年6月にまたも仮釈放された。


1990年8月、ケリーはこの当時のルームメイト、ジョン・フォード (♂) 殺害で逮捕される (この時、ケリーはシンシアとはすでに離婚しており、フォードと一緒に住んでいた。どういう関係性で殺害に至ったか詳細不明) 。

ケリーはフォード殺害を認め、懲役30年が言い渡された。

しかし、この頃、警察はモーガン一家殺害をケリーの仕業だと断定し、この時、ケリーはフォード殺害で服役中であったが、訴追された。


1991年10月、ケリーはデヴィン殺害で有罪判決を受け、死刑を言い渡された。


2008年10月14日、ケリーはテキサス州ハンツヴィルで致死量の注射による死刑が執行された。

享年57歳であった。

ケリーのスペシャル・ミール (最後の特別な食事) は、本人の意思で食べなかった。



∽ 総評 ∽

一家3人を殺害したケリー。

モーガン一家殺害は強盗目的であるが、ケリーは当初からモーガンの家に向かっている。

もしかしたら顔見知りだったのかもしれないが、詳細がない為わからない。

当時の妻シンシアが22ヶ月の赤子は殺さないようケリーに話したが、ケリーは容赦なく殺した。

22ヶ月であれば、ケリーの顔など認識できるわけもなく、ほっておいても害は何もない。

普通の人間なら、赤子を見てそれを手にかけようとは思わない。

そんな小さな子供を容赦なく殺害したケリーには良心の呵責が微塵もない鬼畜と言えるだろう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 4人

《犯行期間:1984年4月30日、1990年》