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アハマド・スラジ (インドネシア)
【1949 ~ 2008】



1949年1月10日 (1952年12月12日という説もある) 、スラジは農業を営む父と、専業主婦の母の間に生まれた。

両親はインドネシア・ジャワ島出身で、父親は仕事の傍ら魔術や呪術を行っていた。

両親はスラジの事をジャワ語で「運命」という意味を持つ「ナシブ」と呼んで育てた。


しかし、スラジは子供の頃から問題児で、窃盗や暴行等の犯罪を繰り返し、成人すると窃盗と暴行の罪で逮捕され、懲役10年が言い渡された。


出所後、再び犯罪を犯して逮捕され、刑務所に入ったが、この時に精神的に不安定となり、異常が見られるようになる。

そんな精神の不安定さを払拭する為に、スマトラ島のジャングルの中で父親に魔術と呪術を伝授してもらい身に付けた。

イスラム教徒であったスラジは、妻を3人持つ事が出来た為、3姉妹の3人全員を妻にし、家庭を持った。

その3人の妻たちは9人の子供を生み、 子供が生まれた事で落ち着いた生活を送るようになる。

また、スラジは30代に入ると、父親の農業を手伝う傍ら呪術師として近隣住民の相談にのるようになり、「凄いパワーを持っている」と噂になる。

そんなスラジの口コミを聞きつけた裕福な商人や政府関係者たちがスラジを訪れるまでになる。

だが、安定した生活は長く続かなかった。


スラジは1986年、亡き父から10歳の時に聞かされた教えである
「霊的療法を身に付けるには若い女性の死に際の唾液を飲まなければいけない」
を思い出す。

そして、ある日、スラジの夢枕に立った父は
「死ぬ直前の若い女性の唾液70人分飲まなければならない。そうすればお前は優れた呪術医となって大金を稼ぐ事が出来る」
と再びスラジに昔の教えを諭した。

教えを告げられたスラジは、女性を殺して呪術医としてお金を稼ぎ、苦しむ住民を救おうと考える。

この時、スラジはすでにアマン・ダマイ村で一番の呪術師と崇められ、スピリチュアル・ヒーラーという意味の『ダトゥク』という呼び名で呼ばれていたスラジには多くの村人が訪ねた。

村人たちは金銭問題や夫婦問題、病気等ありとあらゆる悩みをスラジに相談した。

そんな相談者の中には若い女性も多く、若い新妻は
「夫が浮気しないようにして欲しい」
と相談され、売春婦は
「もっと客が欲しい」
とスラジに相談に来た。

そんな女性たちはこんな願いを相談に行っていることを恥じ、夫や周りには内緒でスラジに会いに来ており、行方不明になったとしても誰もスラジの犯行だとは気付かず、スラジにとって都合のいい相手であった。

スラジは狙いを定めるとその女性客の悩みや願いを聞き、報酬をもらい魔術を行うと言ってサトウキビ畑に連れて行った。

そして、スラジは『儀式』と称して足首と手首を縛り、土を掘って胸まで体を埋めた。

身動き出来なくしたスラジは、そのまま女性の首を絞めて絞殺した。

その後、彼女たちの唾液を貪るように啜った。

この『儀式』はスラジ1人で行われたわけではなく、3人の妻の内1人が付き添い、殺害後の死体の服を脱がして埋める手伝いもした。

更に、スラジは自分自身がより高い能力を身に付ける為、埋める際は相手の頭がスラジの家の方角を向くようにした。

霊的療法を1日でも早く完璧に身に付けたかったスラジは貪欲に若い女性を求めた。

スラジのもとに若い女性が相談しに来ない時は、売春婦をわざわざ頼んで殺して唾液を啜った。


1997年4月27日、サトウキビ畑で作業していた農夫が、盛り上がった土を見つけ、村長に連絡する。

早速掘ってみると辺り一面に腐敗臭が漂い、村長は警察に連絡。

警察が土の中を掘るとスリ・ケマラ・デヴィ (21歳♀) の遺体だと判明する。

スリは遺体が発見される3日前の4月24日、家の用事をすると言って外出した。

その後、行方不明となったのだが、目撃者の証言でスラジに会っていた事が判明した。

警察は早速スラジの家を家宅捜索すると、スリのバッグや衣類、宝石等を発見した。

しかし、スラジは殺人とは無関係だと述べた。

また、スラジはスリの死体が見つかったサトウキビ畑に赴き祈りを捧げ、スリの遺族とも会い、

「自分が人殺しなんかするわけがない」

と主張した。


だが、警察はスラジを犯人だと確信しており、同年5月2日、スラジは逮捕された。

余罪があると睨んでいた警察は、厳しくスラジを追及する。

当初は「証拠がない」とスラジは否認していたが、後に過去に行った殺人を認めた。

スリは家を出て行った夫とよりを戻したいと願い、スラジを訪ねた。

スラジは10分から15分かけてスリの首を絞めて殺害、死体を埋めたとスラジは供述した。

スラジは1986年から 1997年の11年間、11歳から30歳の実に42人の女性を殺害した事を述べた。

スラジは

「捕まるとは思っていなかった。自分が殺す事、彼女達が殺される事は運命なのだと受け止めていたからだ。だからどこにも逃げなかったし隠れもしなかった」

と供述した。

ただ、スラジは強姦や屍姦は否定した。


同年12月11日、スラジに対する裁判が始まり、警察の尋問では42人の殺害を自供したスラジだったが、裁判では無罪を主張する。

信用していた村人たちは激怒し、スラジに向かって石を投げつけた。

3人の妻たちも殺人の共犯者として裁判にかけられた。

3人の中でも第一夫人であるツミニは殺人に立ち会い、死体遺棄にも積極的に手伝ったとして、重罪に問われた。


1998年4月27日、裁判でスラジには死刑が言い渡された。

ツミニも最初は死刑が言い渡されたが、後に終身刑に減刑されている。


2008年7月10日、スラジは銃殺による死刑が執行された。

享年59歳。


最後にスラジがスリに言った言葉で終わりたいと思います。

「大丈夫、全て思い通りになる」



∽ 総評 ∽

呪術師として若い女性を呼び集め、殺害してその唾液を啜ったスラジ。

本人は42人と述べたが、このスラジの犯行期間中に少なくとも80人もの行方不明者が出ており、インドネシア当局はそれらもスラジの犯行だと考えていた。

いくら父親の教えに従ったと云えど、唾液を啜るというのはかなり特殊な犯行だ。

この手の殺人鬼は強姦とセットになるのが通例だが、スラジは強姦は否定してる。

殺人を自供しているスラジが、ここまできて強姦を否定する理由は特になく、多分、スラジの言ってる事は本当だろう。

だが、以前掲載したシーウィーは子供の頃に内臓を食べれば強くなれるという教えを遵守し、殺害しては内臓を食べた。

このスラジもそうだが、東南アジアの殺人鬼は独特な発想や思考で殺人を行う人物が多いような気がしてならない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 42人以上

《犯行期間:1986年~1997年4月24日》