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ハサン・アクバル (クウェート)
※ハサン自身はアメリカ人
【1971 ~ 】



ハサン・カリム・アクバルは (出生名マーク・フィデル・クールス) 、1971年4月21日、カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。

父親はジョン・クールスと言い、ジョンは刑務所に入っている間にイスラム教に改宗し、1974年に刑務所から出所する前に姓をアクバルに改姓した。

ハサンの母親はジョンと結婚する前にイスラム教に改宗し、生まれて間もないハサンの姓もアクバルに変えた。


1988年、ハサンはムスリム (「神に帰依する者」を意味するアラビア語でイスラム教の教徒の事) として カリフォルニア大学に入学する。

ハサンは大学在学時に予備役将校訓練部隊に参加した。


大学では航空関係の機械のエンジニアリングを目指し、1997年、大学を卒業する。

しかし、卒業後、ハサンは借金をしてしまい、借金から逃れる為に徴兵募集に応じ、軍に入隊した。


軍に入隊して数年後、ハサンは軍曹として第101空挺師団に配属となった。


2003年3月までに、ハサンはクウェートの北にある砂漠の米軍野営地に移る。


同年3月23日、ハサンは野営地の明かりを操作している電力の電源を切った。

そして、ハサンは4つの手榴弾を手にすると、同僚が眠っている3つのテントに放り込んだ。

手榴弾が爆発し、多数の怪我人が出た。

現場は混乱し、ハサンはライフルを同僚の友人らに向けて発砲した。

結局、銃撃でクリストファー・サイフェルト (27歳♂) が死に、手榴弾ではグレゴリー・ストーン (40歳♂) が死亡した。

サイフェルトは背中を撃たれた事で死んだ。

また、他に14人の軍人か負傷した。

ハサンはその場で逮捕された。


2005年、ハサンは軍法会議により裁判にかけられ、ハサンは罪を認めた。

だが、ハサンには軍にいた際、精神病の病歴があった為、事件当時は心神喪失であったと弁護側は主張した。

また、ハサンは14歳の時、精神的に異常だと病院で診察されており、過酷な軍隊の生活で悪化したと述べた。

弁護側はハサンが「パラノイア (妄想を始終持ち続ける精神病) 、不合理な振る舞い、不眠症と睡眠障害」を抱えていたとも主張した。

ハサンは大学在学時、大学生活に適応するのが難しく悩んでいた事、軍隊に入った後、

「宗教的で人種的な嫌がらせを受けた」

と上司に不平を述べていた事もわかった。

ハサンの軍の上司は、ハサンの軍での任務遂行能力は標準以下だと述べた。

また、ハサンは第326技術部隊に配属された時、チームリーダーとなった事があったが、降格となり、低レベルな仕事を与えられた。

ハサンの戦友は、ハサンが孤立しており、精神的に追い詰められていたと供述した。

ハサン自身の日記には2003年2月4日に、

「私は1人のイスラム教徒も殺さなかった。だが、軍にいる限りいつ殺す事になるかわからない。私は誰を殺すべきか間もなく選択に迫られるだろう」

と書き、手榴弾を盗んで野営地を照らしている発電機の電源を切る事、その後の攻撃の計画等が記されていた。

この事を検察は述べ、計画性があった事を主張し、死刑を求刑した。


同年4月21日、ハサンは計画的殺人2件で有罪判決となり、同年4月28日、ハサンには死刑が宣告された。

余談だが、ハサンは戦争時に海外で戦友を襲撃して罰せられた兵士となり、これはアメリカでは『ベトナム戦争』以来、初の出来事であった。


最後に裁判でのハサンの言葉で終わりたいと思います。

「他の問題があり、人生が危うくなっている」



∽ 総評 ∽

戦争地で仲間を襲撃し、殺害したハサン。

ハサンは元々精神的に問題があり、それが極限状態により悪化の一途を辿った。

戦争地での同様の事件としては、以前掲載した2012年にロバート・ベイルズが現地の村人を襲撃し、17人殺害した事件が記憶に新しいが、ベイルズは現地の人を殺害したのに対し、ハサンは仲間を襲撃して殺害している。

ハサンは軍内で差別を受けたと述べたが、これは実際にそうだったのだろう。

しかも、同じイスラム教徒を殺害しなければならないというプレッシャーからハサンの精神は破綻してしまった。

色々な負の条件が揃った故の凶行と言えるだろう。

このハサンの事件は被害者数や内容は珍しいという事はなく、それほど注目されるものではないが、現地で同僚を殺害するという行為が、アメリカでは『ベトナム戦争』以来という事もあり、その名を歴史に刻んだ。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 2人
(他負傷者14人)
《犯行期間:2003年3月23日》