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マイケル・ピーターソン (イギリス)
【1952 ~ 】



マイケル・ゴードン・ピーターソンは、1952年12月6日、イギリス・ベッドフォードシァーのルートンで生まれた。


子供の頃から有名になりたいと考えていたピーターソンは、自身に才能や能力がなかった為、暴れる事で自己表現をしていた。

その為、ピーターソンは腕っぷしはめっぽう強かった。


13歳の時、強盗で逮捕され、少年裁判所へ送致された。

この犯罪を皮切りに、車上荒らしや車の窃盗、傷害等で何度も逮捕された。


1972年、ピーターソンは20歳の時、結婚し子供が生まれるが、生粋の犯罪気質が変わる事はなかった。


1974年に手製の散弾銃で郵便局を襲撃し、逮捕される。

裁判でピーターソンには懲役7年が言い渡された。


刑務所に収監されたピーターソンは、刑務作業を拒否しただけではなく、囚人をガラスの水差しで執拗に殴りつけた。

この囚人は一命は取り留めたが、後遺症が残るほどの怪我を負ってしまった。

その他にも気に入らない相手は誰彼構わず殴りかかり、看守に対しても常に反抗的な態度をとった。

そんなピーターソンは問題行動を起こす度に独房に入れられた。

暴れる際は鎮静剤を打たれる事もあった。

手に負えなくなり他の刑務所に移送される事も多々あり、イギリス各地の刑務所をたらい回しにされた。

その為、4年程で仮釈放される罪が、更に加算されていった。


1976年、ピーターソンは隣の独房に入っていた囚人を毒殺しようとしたが、事前に発覚してしまい、パーカスト刑務所に移された。

その後のピーターソンは囚人だろうが看守だろうがお構いなしに殴り、その度に独房に入れられた。

ピーターソンは刑務所内でも筋トレに励み、毎日腹筋3000回を行った為、筋骨隆々な身体をしており、腕力は人一倍強かった。

その凄さは素手で独房の鉄のドアをひん曲げたという伝説で語られる程であった。

この頃にはピーターソンは『イギリスで最も凶暴な囚人』と呼ばれるようになっていた。

その後、ピーターソンは精神病院に送られ、薬漬けにされた。


精神病院を転々としたピーターソンだったが凶暴性は衰える事はなく、ついにイギリス政府は
「こんな男の為に税金は使えない」
と見切りをつけ、1988年10月30日、ピーターソンを釈放する。

ピーターソンは14年ぶりに外に出た。

その後、ピーターソンはナイトクラブを経営していたかつての囚人仲間と出会い、地下ボクシングに参加する。

そこで、憧れている俳優と同じ名前『チャールズ・ブロンソン』というリングネームを名乗った。


だが、女性に指輪をプレゼントする為、宝石店を襲撃し、出所してからわずか69日で逮捕されてしまい、再び刑務所に入れられた。

刑務所に入ったピーターソンは再び暴力に明け暮れるが、そこで美術教師ダニエルソンに絵の才能を認められる。

しかし、ピーターソンはそのダニエルソンを人質にとり立て籠った。

人質をとって立て籠ったピーターソンだったが、特に要求などなく、44時間立て籠った挙げ句、刑務官らと激しく殴り合った末、鎮圧された。

その後のピーターソンは何度か出所しては強盗により逮捕され、刑務所に戻るという事を繰り返し、現在も刑務所で独房に入っている。



∽ 総評 ∽

数々の犯罪を繰り返し、何度も刑務所に収容されては釈放されたピーターソン。

これほどの犯歴を誇りながら殺人だけは犯してないというのは奇跡という他ない。

そのあまりの暴走ぶりに、ついに政府が根負けし、釈放に至るという非常事態が起こった。

よくわからないのが、刑務所の中でも外でも暴れる犯罪者が何故簡単に外に釈放されるのか。

犯罪者に激甘なイギリス司法らしいといえばらしいが、一般人からすればとても恐ろしい。

ただ、語弊があるかもしれないが、相手はほとんど同じ囚人であるし、これだけ見事に暴れ回る姿を見ると、あっぱれだと思えてしまう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 0人
(犯罪暴力多数)
《犯行期間:1965年~ 》