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ジョン・サルヴィ (アメリカ)
【1972 ~ 1996】



ジョン・C. サルヴィ三世は、1972年3月2日、アメリカ・マサチューセッツ州で生まれた。


1994年12月30日の年の瀬、サルヴィはマサチューセッツ州ブルックラインにある非営利組織『プランド・ペアレントフッド・フェデレイション・オブ・アメリカ』に所属するクリニックに侵入する。

クリニックに侵入したサルヴィは、受付係シャノン・ローニー (25歳♀) とリー・アン・ニコルズ (38歳♀) を射殺する。

サルヴィの犯行に駆け付けた警備員リチャード・スロンがサルヴィと銃撃戦を展開し、サルヴィは2丁の銃と700発もの弾薬が入ったバッグを落として逃走した。

サルヴィが捨てて行ったバッグの中に銃器店のレシートが入っており、警察はそこから犯人特定を急いだが、サルヴィに結び付く事は出来なかった。


翌日の12月31日、サルヴィは今度はヴァージニア州ノーフォークにある『プランド・ペアレントフッド・フェデレイション・オブ・アメリカ』を襲撃する。

この銃撃によりサルヴィは逮捕される。

サルヴィの犯行の動機だが、襲撃した両クリニックは非営利組織として妊娠中絶を行っている病院であった。

また、サルヴィは中絶反対を唱える組織のリーダー、ドナルド・スピッツを支持しており、中絶を容易に行う病院へのテロ行為とされた。


裁判でサルヴィの弁護側は事件当時、サルヴィは精神分裂症を患っており、その為、事件の責任能力がないと主張した。

また、サルヴィの母親アンヌ・マリーは、サルヴィが自分は精神分裂症であると話していたと裁判で述べた。


しかし、1996年3月19日、サルヴィは有罪判決を受け、終身刑が言い渡された。


同年11月29日、サルヴィはマサチューセッツ州の刑務所の独房で首を吊って自殺した。

享年24歳。

余談だが、このサルヴィが起こした事件は、その特異性から後に陰謀論がまことしやかに囁かれた。

サルヴィは事件を起こした動機が、中絶に対する反抗から来るものであったが、これは中絶をよしとしない組織の世の中に対する戒めとして行われたのだと思われた。

また、サルヴィは逮捕された直後、サルヴィがフリーメーソンの陰謀、紙幣を操作する陰謀とカトリックに対する陰謀を主張した手書きのメモを幾つか残していた事がわかった。

更にサルヴィは『KKK (クー・クラックス・クラン) 』やバチカンについても触れており、サルヴィ自身が何らかの陰謀に巻き込まれたか、自ら陰謀の手先として働いたのではと囁かれたのだった。

しかも、サルヴィは自殺した事でよりその陰謀論を助長させた。

また、公式にはサルヴィは自殺とされているが、他殺説も根強く、それも余計に陰謀論に拍車を掛ける事となった。



∽ 総評 ∽

中絶を行っている病院を襲撃したサルヴィ。

サルヴィのように同じ場所で短時間に殺人を行う者をマス・マーダラーと呼ぶが、このサルヴィの場合はかなり異質である。

確かにサルヴィの行為はかなり理由としては特異であり、様々な陰謀論が囁かれても仕方がない。

大体の人が都市伝説や陰謀論に少なからず興味があり、噂するのは嫌いではないと思う。

もちろんサルヴィのやった事は許される事ではないが、中絶自体はとても良い事とは言えないので、サルヴィのやった事で世間が少しでも中絶に対して考える事が重要かもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 2人

《犯行期間:1994年12月30日》