image
















レオ・ジョーンズ (アメリカ)
【1950 ~ 1998】



1981年5月23日、アメリカ・フロリダ州ジャクソンビルで事件が起こる。

パトロールに出ていた警察官トーマス・ザフランスキ (28歳♂) が、頭を銃で撃たれて殺害されたのだ。

このザフランスキ殺害で逮捕されたのが、レオ・アレクサンダー・ジョーンズ (1950年4月13日生まれ) という黒人男性であった。

目撃者が言うにはジョーンズがザフランスキを撃ち、走り去ったというのだった。

しかも、ジョーンズが撃った事を自慢し、その時、銃を持っていたとも述べた。

しかし、この目撃者の発言は信憑性に欠けており、証拠としては不十分であった。

逮捕されたジョーンズは警察の尋問に対し、ザフランスキ殺害を認めた。

だが、この自白は実はジョーンズの本意ではなかった。

その後の裁判でジョーンズは、自白は警察による強要であると主張した。

ジョーンズは拘束されてから12時間、休むことなくぶっ通しで尋問を受け、警官が代わる代わる自白を強要した。

また、それでも自白をしないジョーンズに対し、警官は自白するよう暴行を加えた。

だが、それらの裁判でのジョーンズの証言は、ことごとく受け入れられる事はなかった。


同年、裁判でジョーンズには死刑が言い渡された。

判決を不服としてジョーンズはすぐに控訴したが、その後の裁判でも自白は有効だという判断が下された。

結局、ジョーンズは電気椅子による死刑が確定した。

その後、ジョーンズは最高裁判所に電気椅子による死刑は残酷だと訴えたが、その訴えすらも退けられてしまう。


1998年3月24日、ジョーンズは電気椅子による死刑が執行された。

享年47歳。

ジョーンズの死刑はアメリカで死刑が復活した1976年以降、フロリダ州において41番目の死刑執行であった。

また、ジョーンズは無実を主張し続けたにもかかわらず刑が執行された影響からか、ジョーンズの死刑執行後、しばらくの間死刑が行われなかった。

再び死刑が執行されたのは、約1年ぶりのことで、それは奇しくも以前掲載したジェラルド・スタノであった。

ジョーンズのはスペシャル・ミール (最後の特別な食事) は、ステーキ、ベークドポテト、目玉焼きにトーストであった。

ジョーンズの死刑執行後、ジョーンズを取り調べした警察官らは、ジョーンズに虚偽の自白をさせる為、結託して暴行を加えた事が判明した。

また、退職した警官クリーブランド・スミスは、同僚のリンウッド・マンディ巡査が、ジョーンズを暴行した事を自慢していたと話した。

マンディ暴行をすぐに打ち明けなかった理由は、退職金を受け取りたかった為で、問題が起きて首になる事を恐れたからだった。



∽ 総評 ∽

無実を訴えたのにもかかわらず、死刑を執行されたジョーンズ。

冤罪自体はどこの国でも起こっており、それは特別という事はないが、ジョーンズは自白を無理やり強要されてしまった。

余りの精神的・肉体的苦痛に耐えきれなくなり、思わず嘘の自白をしてしまったが故に、人生を終わらせる結果となってしまった。

もちろんやっているにもかかわらず、やってないと嘘をついて罪を逃れるという人間も山程いるだろうが、ジョーンズの場合は頑なに無実を主張していて、しかも、不確かな証言のみで確たる証拠が存在しないのである。

このような場合、特に「疑わしきは罰せず」の理論を用いなければならず、無実を訴えている人間の声に耳を傾けないのはどういうことだろうか。

冤罪にもかかわらず死刑が執行される気持ちは、本人にしか到底わかり得ないが、その心境は察するに余りある。

また、警官たちが後にジョーンズに暴行した事を認め、そのせいで無実の人間が処刑される。

しかも、嘘の証言をした理由が首になって退職金を受け取れないからという身勝手なものであった。

「良心の呵責」という気持ちが少しでもないのだろうか?



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 1人

《犯行期間:1981年5月23日》