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キャメロン・ウィリンガム (アメリカ)
【1968 ~ 2004】



キャメロン・トッド・ウィリンガムは、1968年1月9日、アメリカ・オクラホマ州で生まれた。

キャメロンにはステイシー・カーケンダルという名の妻と、アンバー・ルイーズ・カーケンダル (2歳。ステイシーの連れ子) 、カーモン・ダイアン・ウィリンガム (1歳) とキャメロン・マリー・ウィリンガム (1歳でカーモンと双子) の3人の娘とテキサス州コーシカーナに住んでいた。


1991年12月23日、ウィリンガムの住居から火災が発生する。

家の中からウィリンガムが現れたのだが、子供を1人も連れてなかった。


消防車が駆け付け消火活動が始まった。

妻のステイシーは買い物に出掛けており、火事の時は丁度家に居なかった。


消火作業が終わり、燃え落ちた家の中から3人の子供の遺体が発見された。

検死の結果、3人共に煙を吸った事による急性一酸化炭素中毒が死因であった事がわかった。

ウィリンガムは軽い火傷で済んだ。

火事の原因は何らかの可燃性の液体によるものであると判明する。


しかし、警察は当初からウィリンガムを疑った。

3人の子供が死んだにもかかわらず、ウィリンガム自身は軽傷であり、しかも、隣人は家から現れたウィリンガムが、前庭で身を屈めるだけであり、助けに行こうとしなかったと述べた。

その為、隣人が中に入って子供を助けに行くよう促したが、ウィリンガムはそれを拒否した。

事件当時、ウィリンガムは妻ステイシーと喧嘩しており、それによる突発的犯行だと思われた。

警察の見解は、妻との喧嘩でムシャクシャしたウィリンガムが子供3人を暴力を振るい虐待し、それを隠蔽する為に可燃性の液体を撒いて火を放ったと見ていた。


そして、1992年1月8日、ウィリンガムは子供3人殺害で逮捕された。

ウィリンガムは逮捕後も一貫して無実を主張した。

裁判で検察側はウィリンガムが幼児虐待を隠蔽する為に故意に火事を起こしたと主張した。

また、妻のステイシーは3番目の子供を妊娠した時、ウィリンガムに流産するよう暴力を振るわれた事を供述した。

更にステイシーは
「彼は子供の面倒を見なかった」
と発言した。


裁判は終始ウィリンガムが不利な方向に進む。

しかも、ウィリンガムは子供を失った悲しさを見せる事もせず、それが陪審員の心証を悪くした。


結局、ウィリンガムには死刑が言い渡された。

判決後もウィリンガムは無実を主張し続けた。


しかし、ウィリンガムの主張とは裏腹に、2004年2月17日、テキサス州ハンツヴィルで致死量の注射による死刑が執行された。

享年36歳。

ウィリンガムのスペシャル・ミール (最後の特別な食事) は、ポークのばら肉、オニオンリング、揚げたオクラ、ハッシュドポテトであった。

また、死刑執行前の最後の言葉は、

「私が唯一したい声明は、私が犯していない犯罪で有罪判決を受けた罪のない男だということです。私は無実にもかかわらず、12年もの間、刑務所内で虐げられました」

と発言し、そして、縛られている両手で猥褻なポーズをとった。


2010年、テキサス州科学捜査委員会は、放火を断定す際の科学的調査が不十分であった事を認め、ウィリンガムに無罪判決を下した。



∽ 総評 ∽

家を放火し子供3人を焼き殺したとされるウィリンガム。

本人は最後まで無実を主張し続けたが、それが聞き入れられる事はなかった。

確かにウィリンガムの普段の素行は、お世辞にも良いとは言えず、それを考慮すると疑われても仕方ないかもしれない。

また、事件当時、子供を助けに行かなかった事が犯人と判断された致命的な原因となってしまった。

ただ、本人は常に無実を主張しており、もう少し慎重に裁判を進める必要があったと思う。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 3人

《犯行期間:1991年12月23日》