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ラリー・グリフィン (アメリカ)
【1954 ~ 1995】



1980年6月26日、アメリカ・ミズーリ州セントルイスで、クイントン・モス (19歳) が殺害される。

モスは街角で薬を売ろうとした所、車から銃撃されて殺害されたのだった。

殺害後、犯人は逃走したのだが、この殺害現場にはロバート・フィッツジェラルドという名の白人男性の目撃者がいた。

ロバートの証言では、3人の黒人に出会い、その内の1人が車の窓から右手に持ったショットガンでモスを撃ったという。


その後、ロバートの証言を下に警察は捜査に乗り出し、同年6月30日、警察はラリー・グリフィン (1954年9月23日生まれ) という黒人男性を逮捕した。

逮捕されたグリフィンは一貫して無実を訴えた。

しかし、警察がロバートにグリフィンの写真を見せた所、ロバートは犯人がグリフィンで間違いないと供述した。

また、モス殺害時、グリフィンのアリバイを証言を出来る人物は誰1人いなかった。


グリフィンは裁判でも一貫して無実を主張する。

グリフィンの弁護士もロバートがモス殺害時に犯人が右手でショットガンを持ち、発砲したという目撃情報を聞き、グリフィンは左利きという事実を法廷で述べ、グリフィンに犯行は不可能だと力説した。

また、グリフィンは事件の2、3週間前から左腕を怪我しており、しかも、犯人の車と銃が捨てられていたのだが、そこからグリフィンの指紋は一切検出されなかった事実を述べた。

グリフィンに対する不利な証言は、全て状況証拠しかなく、決定的な証拠は一切なかった。

しかも、グリフィンの弁護団は、裁判前に警察と検察官が不正行為を働いていた事を明らかにした。

グリフィンの弁護側は、モス殺害はギャング団によるものだと主張した。


実はグリフィンが殺人に関与していないという事実を知る2人の目撃者が存在したのだが、グリフィンの弁護側はその目撃者を見つける事が出来なかった。

結局、グリフィンにはモス殺害で死刑が言い渡された。


1995年6月21日、ミズーリ州の刑務所においてグリフィンに対して致死量の注射による死刑が執行された。

享年40歳であった。

グリフィンは死刑直前まで無実を訴え続けた。


余談だが、グリフィンについた最初の弁護士はとても有能とは言えず、刑事事件を弁護するのに必要な経験が決定的に欠如していた。

その為、グリフィンの無実を示すいくつもの証拠や目撃者がいたにもかかわらず、それを提示する事が出来なかった。

後にロバートは裁判でグリフィンに対する証言を偽証した事を認めた。


2005年、ミシガン大学の教授が事件の再調査を行い、グリフィンが無実であると結論づけている。



∽ 総評 ∽

無実を訴え続けたにもかかわらず処刑されたグリフィン。

グリフィンはほぼ無実という動かぬ証拠があるにもかかわらず、公正な裁判を受ける事が出来なかった。

以前から何度も言っているが、私は死刑には賛成だ。

しかし、死刑で唯一恐ろしいのがこのグリフィンにみられる冤罪の可能性だ。

ただ、この事件は冤罪どうこうより、グリフィン本人が散々無実を主張し、しかも、証拠も不確かなものばかりにもかかわらず、死刑にしてしまった司法に問題があるだろう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 1人

《犯行期間:1980年6月26日》