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ゲイリー・デイビス (アメリカ)
【1944 ~ 1997】



ゲイリー・リー・デイビスは、1944年8月13日、アメリカ・カンザス州ウィチタで生まれた。


デイビスの母はデイビスが幼い時に離婚し、その後、母は子持ちの男性と再婚する。

しかし、デイビスはその継兄弟に性的虐待を受けた。


9学年 (中学3年) で学校を中退した後、デイビスは1961年にアメリカ海兵隊に入隊する。

デイビスにはトーニャ・アン・テイタムというガールフレンドがおり、後に結婚した。


子供も息子2人生まれるが、結婚生活はほどなくして破綻、離婚する事となった。

デイビスは数々な仕事をこなしたが、全て長続きしなかった。


1974年、リオーナ・コーツという女性と再婚する。

この時、コーツはまだ17歳であった。

その後、4人の子供に恵まれた。

しかし、デイビスは性衝動を抑える事が出来ず、女性を手当たり次第強姦するようになる。

また、1970年と1971年にはカンザス州で、1979年にはコロラド州で重窃盗罪と強盗を働き、コロラド州の強盗で逮捕され、有罪判決を受ける。

逮捕されたデイビスに妻コーツは離婚を突きつけた。


1982年、釈放されたデイビスは今度はコロラド州で強姦と暴行により逮捕され、刑務所に収監される事となる。


刑務所にいる間、デイビスはレベッカ・フィンチャム (♀) と文通し、1984年に獄中結婚する。


1985年、刑務所から解放されたデイビスは、フィンチャムを連れコロラド州バイヤーズへ移動した。


1986年7月21日、デイビスとフィンチャムは、隣人のヴァージニア・メイ (34歳♀) をメイの子供が見ている前で誘拐する。

デイビスとフィンチャムはメイを人気の無い場所に車で連れて来ると、そこでデイビスはメイを強姦した。

そして、メイに向けて14回も銃で発砲し、射殺する。


逮捕されたデイビスは裁判で、弁護士がアドバイスしたにもかかわらず、デイビスは殺人を隠す事なく白状し、1987年7月21日、デイビスには死刑が言い渡された。


1997年10月13日、デイビスは死刑執行直前に、前妻2人と面会した。

デイビスのスペシャル・ミール (最後の特別な食事) は、アイスクリームだけであった。

処刑直前にタバコを要求するが、コロラド刑務所では喫煙追放運動が行われていたので、デイビスの要求は拒否された。

デイビスは致死量の注射による死刑が執行されたが、最後の言葉はなかった。

実はデイビスの処刑は大いに物議を醸した。

それはコロラド州において1967年に最後の死刑が執行されて以来、デイビスの処刑まで同州では死刑が行われていなかったからだ。

当時のコロラド州知事ロイ・レーマーの元には抗議活動と共に温情処置を求める署名が集まった。

しかし、レーマーは
「彼の現在の人格と態度は、リハビリにより更生した事は疑いの余地はない。しかし、だからと言って死刑を回避する正当性があるとは言えない」
と発言し、訴えを退けた。


このデイビスの処刑は現在、コロラド州において1967年以降最初で最後の処刑された囚人となった。

また、1976年にアメリカで死刑が復活して以来、417番目に処刑された死刑囚であった。



∽ 総評 ∽

子供の眼前で母親をさらい、殺害したデイビス。

デイビスは数々の仕事に就き、どれも長続きしなかったが、これは多くのシリアルキラーの典型である。

デイビスの死刑は前述した通り物議を醸したが、反対理由がコロラド州で長らく死刑が行われていなかったからという全く理解出来ない理由であった。

実際、コロラド州では長らく死刑が行われなかった為、雰囲気的に死刑廃止の流れになっていたのかもしれない。

その為、このデイビスの処刑からコロラド州が今後「どんどん死刑が行われるようになる」と危惧したのかもしれない。

ただ、普通に制度として存在しているなら、それに相当する罪を犯した場合、速やかに執行されなくてはらない。

デイビスは継兄弟に強姦されるという悲劇に遭い、デイビスの異常性はこの頃に形成されたと思われるが、その点は同情に値する。

だが、いくら更生しようが遺族からしてみればそんな事どうでもよく、死刑が無事執行されて良かったと思う。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 1人

《犯行期間:1986年7月21日》