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ジョック・パルフリーマン (ブルガリア)
※パルフリーマン自身はオーストラリア人
【1986 ~ 】



1986年11月13日、パルフリーマンはオーストラリア・シドニーで生まれた。


パルフリーマンはリバービューのセントイグナシウス高校を卒業した。

その後、どういった経緯かはわからないが、パルフリーマンはブルガリアに向かった。


2007年12月28日夜、ブルガリアの首都ソフィアでパルフリーマンは酒を飲んでいた。

すると、フットボールファンのグループに殴られているロマ人 (かつてジプシーと誇称された東欧圏にいる少数民族で、現在差別の対象となっている) の男性がいた。

パルフリーマンはその男性の助けに入り、法学部学生のブルガリア人、アンドレイ・モノフ (20歳) とアントアン・ザハリエフ (19歳) をナイフで突き刺す。

このパルフリーマンの攻撃で、モノフが死亡、ザハリエフは病院に運ばれ、一命を取り留めた。

パルフリーマンは通報により駆け付けた警官にすぐに逮捕される。


裁判でパルフリーマンは正当防衛を主張する。

パルフリーマンは男性の助けに入った所、モノフとザハリエフが襲い掛かってきたので、ナイフを抜き、刺したと主張した。

また、パルフリーマンはモノフを刺したのは体の正面だと供述しているにも関わらず、検察側はモノフの背中を刺したとしていた。

それは無防備な相手を刺した事による殺人罪にパルフリーマンを仕立てる為と思われた。

だが、裁判でパルフリーマンの過去の素行が問われた。

2004年、パルフリーマンがオーストラリアにいた時、2人の若者を殺害したとして容疑者となった事があった。

この時は証拠不十分でオーストラリア警察は告訴を諦めているが、限りなくパルフリーマン犯行と見られていた。


2009年12月2日、パルフリーマンには懲役20年が言い渡された。

パルフリーマンは即刻上訴した。


2011年7月27日、ブルガリア最高裁判所は、パルフリーマンの訴えを拒否し、懲役20年を支持した。

また、裁判所はパルフリーマンに対し、モノフの家族に45万ブルガリアレフ (約3000万円) を支払うよう訴えを命じた。



∽ 総評 ∽

正当防衛で殺害したとされるパルフリーマン。

パルフリーマンから仕掛けたとして、相手が2人という事を考えれば確かに正当防衛というのはあり得る話しだ。

ただ、いくら正当防衛だとしてもナイフを取り出し刺すというのは明らかにやり過ぎた。

また、殺人の言い訳として「正当防衛」というのは格好の理由と思える。

刺さないまでも脅す事くらいに留めとくことは出来なかったのだろうか。

そもそもナイフを常備していたというのも問題だろう。

また、オーストラリアで2人殺害した可能性も極めて高く、そうなるとパルフリーマンがまともな精神の持ち主ではないと判断出来る。

どちらにせよ、1人は死に1人は重傷を負ったのだから、懲役20年は決して長くはないと思う。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 1人
(他2人殺害に関与)
《犯行期間:2007年12月28日》