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フィリップ・ガリドー (アメリカ)
【1951 ~ 】



フィリップ・クレイグ・ガリドーは、1951年4月5日、アメリカ・カリフォルニア州コントラコスタ郡に生まれた。

そして、ガリドーは同州のブレントウードで育った。


1969年、ガリドーはリバティ高校を卒業したが、この頃、ガリドーはバイク事故を起こし、その時の怪我の影響からか、性格が変わってしまう。

そして、ガリドーはドラッグに依存するようになった。


1972年、ガリドー21歳の時、14歳少女を強姦し、逮捕される。

起訴されたガリドーだったが、少女が法廷に立って証言する事を拒んだ為、有罪になることはなかった。


1973年、高校のクラスメイトであったクリスティン・マーフィーと結婚する。

しかし、ほどなくして離婚した。

後に離婚したマーフィーはガリドーの事を
「彼は口汚かった。私が離婚しようと話すと、彼は私に暴力を振るい拉致した」
と話している。


1976年、ガリドーはカリフォルニア州サウスレイク・タホで女性を拉致する。

25マイル (約40キロメートル) 北にあるネバタ州リノの倉庫に連れて行き、強姦した。

その際、たまたま通りがかった警官が、外に停めてあったガリドーの車の鍵が壊れている事に気付き、調べようとした所、倉庫の中から女性の悲鳴が聞こえた。

警官が倉庫の中に入ると、ガリドーが女性を強姦している最中であり、その場で警官はガリドーを逮捕する。


ガリドーには裁判で有罪判決が下された。

裁判所が精神鑑定を行った所、ガリドーは「性的異常者で慢性的薬物常習者」という診断が下されている。

また、この裁判の手続きをしている時の取り調べでガリドーは、

「私は中学校や高校の側に車を止め、女子高生を見ながら自慰行為を行っていたことがある」

と供述している。


1977年3月9日、ガリドーには懲役50年の刑が言い渡され、カンザス州リーベンワース刑務所に収監された。

この刑務所で、服役中の祖父の面会に訪れたナンシーと出会った。


1981年10月5日、ガリドーはナンシーと獄中結婚する。


1988年1月22日、ガリドーは仮釈放され、GPSのブレスレッドを足首に装着し、警察官の訪問を定期的に受けるなどの監視下に置かれるようになった。


1991年6月10日、当時、小学校5年生であったジェイシー・リー・デュガードは、メイヤーズ小学校に通学しようと家を出た。

家からすぐそばのバス停でスクールバスを待っていたジェイシーに、ガリドーは車で近付く。

そして、ジェイシーの目の前に車を止めると、ガリドーは妻ナンシーと共に車を降り、力ずくでジェイシーを車の中に押し込むと、車に乗って逃走した。

ジェイシーの継父カール・プロビンと何人かのクラスメイトがその様子を目撃していた。

カールは咄嗟に自転車に乗ってガリドーの車を追い掛けたが、自転車では追い付く事は出来なかった。

ジェイシー誘拐直後、初めに容疑者として疑われたのは実父のケン・スレイトンと、自転車で追い掛けた継父カールであった。

しかし、捜査の末、2人は犯人ではないことが判明する。


事件が公になると、サウスレイク・タホにマスコミが殺到し、何十人もの地域のボランティアがジェイシー捜索活動を手伝おうと名乗りを上げた。

この地域総出の捜索活動は大規模な運動に発展し、全米中がジェイシーの事件に釘付けとなった。

しかし、大規模な捜査のかいなく、ジェイシーは見つかる事はなかった。


時は流れ2009年8月24日、ガリドーはFBIのサンフランシスコ支局を訪れ、報告書を提出した。

その報告書には宗教や自身が過去に起こした性的犯罪について書かれていた。

性的犯罪についてはその解決策や、自身が性的犯罪行為を起こさなくなった理由、過去の自分自身を含む性的異常者を治癒する為の知恵等、4ページに渡って書かれていた。


同日、ガリドーはカリフォルニア州大学バークレー校を訪れた。

ガリドーは独自の宗教イベントを大学内で開きたいと、許可をもらう為に訪れたのだった。

ガリドーに対応したリサ・キャンプベルは、ガリドーの挙動に不審を感じ、翌日にまた来るよう告げた。

ガリドーは自分の名前を告げると、その場を後にした。


翌日の25日、キャンプベルは同僚警察官アリー・ヤコブスに前日の話をした。

ヤコブスがガリドーについて調べると、過去に強姦事件を起こしており、現在仮釈放中の身であることがわかった。

約束通りガリドーが再び大学に現れると、ガリドーは2人の少女と一緒であった。

キャンプベルが少女について尋ねると、ガリドーは自分の娘だと答えた。

その場に同席したヤコブスは、少女達の挙動や仕草が普通ではないと感じた。


更に翌日の26日、仮釈放事務所がガリドーに話があるので来るよう告げた。

ガリドーはナンシーと成人女性1人、そして、大学に連れて行った少女2人を連れて事務所を訪れた。

そして、その場でガリドーとナンシーを逮捕した。


取り調べを行った警官は驚愕の事実を知る。

成人女性は18年前に誘拐され行方不明であったジェイシーだと分かり、また、2人の少女エンジェル (15歳) とスターリット (11歳) は、ジェイシーが生んだ子供で、父親はガリドーであると判明したのだ。

この事が世間に知れると、ジェイシーが生きていたという喜びと事件の異様さにより全米中が騒然となった。

また、その後の取り調べで数々の事実が判明する。

ガリドーの家の隣人は、家のフェンス越しにジェイシーと会った事があり、隣人が
「ここに住んでいるの?それとも訪ねに来ただけ?」
と聞くと、ジェイシーは
「住んでいるの」
と答えた。

その後、ガリドーの家の周りにはプライバシー・フェンスが建てられたという。


また、ジェイシーは1994年頃と1998年頃に女の子を産んでいるが、人前に顔を見せる際は、ジェイシーは自分はガリドーの娘であり、2人の娘は歳の離れた妹であると紹介していた。

また、エンジェルとスターリットもジェイシーは姉であると言っていた。

ガリドーの家は印刷会社を経営していたのだが、ジェイシーは会社でグラフィックデザイナーとして働いていた。

印刷会社の顧客の1人は
「ジェイシーと電話で話した事もあるし、実際に会った事もある。仕事の出来栄えはとても素晴らしかった」
と供述している。

更に顧客の1人は
「彼女は自分が誘拐された事や、自分の本当の正体等、ほのめかすような事は全くなかった」
と供述した。

ジェイシーはこの働いている間、電話やメールをする事が可能だったが、ジェイシーは一切しなかった。

また、政府はジェイシーに対して
「当局が犯人を逮捕する機会を逃すなど、過去に類例がなく、悲劇的なケースだ」
とし、州政府に対し保証金18億円を支払う事となった。


2011年、ガリドーには懲役431年の終身刑が言い渡された。

また、妻ナンシーはガリドーの犯行に積極的に協力したとして、懲役36年が言い渡された。


事件後、ジェイシーは18年間に及ぶ自身の体験談をまとめた『奪われた人生―18年間の記憶』という本を出版している。



∽ 総評 ∽

18年の長きに渡って生活を共にしたガリドーとジェイシー。

頭を打って異常になるシリアルキラーは多い。

以前紹介したボビー・ロングも温厚な人物であったが、頭を打ってから異常性欲になり凶暴になってしまった。

ガリドーが実際そうなのか真意はわからないが、可能性は極めて高いだろう。

この事件が少し異質なのは、通常、アリエル・カストロの事件のように、監禁するとされた側は何度も逃げようと試みたりその機を伺うものだ。

ジェイシーも当初はそう考えていたのかもしれないが、事件発覚時はジェイシーはすでにその生活を受け入れており、特に今の生活から逃げ出そうとしていなかった。

極限状態により犯人に同情したりすることを『ストックホルム症候群』というが、この事件はそれとも少し違う。

そういう点を考慮すると、このガリドーの犯した事件はかなり異質だと言える。

また、この事件はガリドーが大学に行かなければ、発覚する事はなかった。

ということは永久的に発覚しなかった可能性は高く、そう考えると恐ろしいの一言に尽きる。

余談だが、地元の新聞社がガリドーの父親マニュエルに取材を申し込んだところ、マニュエルは
「しゃべる代わりに金を出せ」
と金銭を要求してきたという。

まさに、この親にこの子ありである。

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この記事が今年の最後の記事となりました。

おかげさまで今年は365日、1度も欠かさず投稿する事が出来ました。

これも皆様の応援があって初めて達成する事が出来たと思っています。

実は1度だけ、個人的理由でブログ自体を閉鎖しようかと思った事がありました。

しかし、多くの方から「毎日更新を楽しみにしています」というご意見を沢山頂き、続けようと思い現在に至りました。

今年も1年ありがとうございました、来年もよろしくお願い致します。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★★☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 0人
(強姦多数)
《犯行期間:1991年6月10日~2009年8月26日》