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カーラ・タッカー (アメリカ)
【1959 ~ 1998】



カーラ・フェイ・タッカーは、1959年11月18日、テキサス州ヒューストンで、3人姉妹の末っ子として生まれた。

タッカーの父ラリーは、メキシコ湾の港湾労働者であった。

タッカーの両親は仲が悪く、タッカーはそれに悩んでいた。


タッカー8歳の時、姉2人の影響でタッカーは初めてタバコを吸った。


タッカー10歳の時、両親は離婚し、離婚訴訟の間、タッカーは姉2人とは父親が異なる事を知る。

実はタッカーの母親が不倫の末生まれたのがタッカーで、それを知ったタッカーは大変ショックを受ける。


タッカー12歳の頃には、すでに薬に手を出し、性交を繰り返すようになっていた。


タッカー14歳の時、学校を退学した後家出し、売春しながら生計を立てた。


タッカー16歳の時、フティーブン・グリフィスという名の整備士の男性と知り合い、結婚する。

しかし、ほどなくして離婚した。


20代前半の頃にタッカーはバイカーと知り合い、そのバイカーの紹介で、ショーン・ディーンという女性と、その夫ジェリー・リン・ディーン (27歳) と知り合う。


1981年、ジェリーはタッカーにダニー・ギャレットという男性を紹介し、タッカーとギャレットは付き合い始める。


1983年6月14日、タッカーはギャレットとその友人たちと週末、ドラッグを楽しむ為に、ジェリーの車を盗んで売ろうと考える。

そして、午前3時頃、タッカーはギャレットと友人のジェームズ・レイブラントとジェリーの家に侵入した。


タッカーとギャレットはジェリーのベッドルームに入ると、ジェリーに乗り掛かる。

ジェリーは驚いたが身を守ろうとジェリーの肘から上を掴み、ジェリーを捕まえる。

すると、ギャレットが床で見つけたハンマーでジェリーに襲い掛かり、何度も執拗に頭を叩いた。

激痛に苦しむジェリーを尻目に、ギャレットは車の鍵を探しに行き、その場を離れた。

ギャレットの打撃により、ジェリーは苦しんでいたが、それがうるさいと感じたタッカーは、つるはしでジェリーを28回叩いたが、叩く度に性的に興奮した。

最後は再び部屋に戻って来たギャレットが、ジェリーの胸に最後の一撃を加えた。


ギャレットが再び部屋を出るが、タッカーは部屋にもう1人デボラ・ソーントン (32歳) という女性がいることに気付いた。

ソーントンは恐ろしい惨状に怯え、壁とベッド・カバーの間に隠れていた。

ソーントンは少し前にジェリーと知り合い、ジェリーが部屋に連れ込んでいたのだった。

ソーントンを発見するなり、タッカーはすぐにつるはしでソーントンに襲い掛かった。

タッカーの攻撃でソーントンは肩を擦りむき、倒れたソーントンにタッカーはつるはしで何度も殴った。

最後の一撃でソーントンの心臓につるはしを突き刺し、その時、あまりの興奮に絶頂を迎えたと、タッカーは後に友人に語っている。


翌朝、ジェリーの同僚が、会社に来ないのを不審に思い、家に行くとジェリーとソーントンの無惨な姿を発見する。

ソーントンの死体の胸には、つるはしが深々と刺さっていた。


同年7月20日、タッカーとギャレットは周囲に殺人を自慢気に語っていた為、通報され逮捕された。


同年9月、タッカーとギャレットは殺人の容疑で起訴された。

タッカーは無罪を主張したが、裁判でタッカーとギャレットには死刑が言い渡された。


刑務所に収監されたタッカーは聖書にふれ改心し、

「私は初めは何を読んでいるのかわかりませんでした。私は改心し、神に許してもらえるよう頼んでいます」

と発言した。


同年10月、タッカーはキリスト教徒となり、後にデーナ・レーン・ブラウンという牧師の男性と獄中結婚した。

このキリスト教への改心により、タッカーの死刑に対する反対運動が起こった。

多くのキリスト教徒からも助命嘆願書が届けられ、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世も異例の助命嘆願を行った。

また、死刑存置派からも、タッカーに対する死刑反対運動に参加した者がいたと噂されるほどであった。

このタッカーの死刑に対する反対運動は、死刑制度そのものに対して改めて注目を集めた。

しかし、当時の州知事で後の大統領になるジョージ・W・ブッシュは恩赦を認めず、タッカーの死刑執行にサインした。


1998年2月3日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年38歳であった。

このタッカーの死刑執行は、南北戦争が行われていた1863年以降、テキサス州で死刑となった初めての女性であり、全米でも当時14年ぶりの女性に対する死刑であった。

また、1976年にアメリカで死刑が復活して以来、2人目の女性に対する死刑執行でもあった。

余談だが、ギャレットは1993年、裁判の係争中に肝臓癌で亡くなっている。


最後に死刑執行前のタッカーの言葉で終わりたいと思います。

「私はもうじきイエスに会えます。皆さんを愛しています。あなた方があちらへ来る時は私と会えるでしょう。私は皆さんを待っています」



∽ 総評 ∽

当時、ブッシュ知事にはかなりの批判の声が寄せられていた。

キリスト教に目覚め、改心した人間を死刑にしてはいけないという風潮がそうさせたのだが、個人的にはそれはどうなのだろうかと思う。

私は何度も言っているが死刑賛成派であり、それは死刑反対派に何を言われても変わる事はない。

確かにタッカーはキリスト教にふれ、人間的に変わったのかもしれない。

だからといって過去に犯した罪が消えるわけではない。

2人の何の罪もない人間が、週末のドラッグパーティーの資金源の為に無惨に殺害されたのだ。

仮に私がジェリーやソーントンの親や遺族であったなら、キリスト教に触れ改心したからといって「じゃ許そう」とはならない。

個人的考えだが、刑務所内で反省しようが改心しようがどうだっていい。

きっちり死刑判決となって刑を執行してもらわなければいけないと思う。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★★★☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 2人

《犯行期間:1983年6月14日》