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ジェームズ・ランダル (アメリカ)
【1954 ~ 】



ジェームズ・マイケル・ランダルは、1954年8月28日、アメリカで生まれた。


1984年3月4日、マサチューセッツ州ボストンで、ホリー・ジーン・コート (♀) が行方不明となる。


その後、同年5月上旬にマサチューセッツ州ロイヤルストンのダム近くの沼地で、コートの絞殺死体が発見された。

実は殺害されたコートは、ランダルの当時の妻リンダの友人であり、その為、ランダルにコート殺害の容疑が掛かった。

しかし、証拠がなかった為、ランダルを逮捕する事が出来なかった (しかし、現在ではランダルが殺害した可能性が極めて高いと言われている) 。


だが、1986年7月18日、ランダルは妻リンダに対する誘拐と強姦の罪で逮捕され、有罪判決を受けた。

マサチューセッツ州裁判所は、ランダルに5年から7年の禁固刑を下した。


1992年、釈放されたランダルはフロリダ州に引っ越す。


1995年10月20日、フロリダ州オールドスマーで、ランダルは売春婦のウェンディ・エヴァンズ (♀) を絞殺し、殺害する。

ランダルは道にエヴァンズの死体を捨てた。

後日、エヴァンズの全裸死体はトラック・ドライバーによって発見された。


1996年1月18日、ランダルは売春婦シンシア・ピュー (♀) を絞殺し、殺害する。

ピューの死体は翌日の19日に発見された。


警察はこの2件の殺人を同一人物によるものと判断し、捜査を進めた。

すると、犯行現場に残された車のタイヤの跡と、ランダルの所有するトラックのタイヤが一致する。


同年6月27日、警察はランダルに話を聞く為、家を訪れる。

ランダルと話した警官が家をあとにしようとすると、ランダルがトラックに乗ろうとする。

警官はランダルに更なる質問をしようとトラックから降りるよう告げるが、ランダルは無視して発進した。

警官はすぐさまランダルを追跡する。

ランダルと警察との追走劇が繰り広げられ、途中ランダルはトラックを放棄し、徒歩で逃走する。

警官もすぐに徒歩でランダルを追い掛けるが、逃げられてしまった。


しかし、4日後の7月1日、ランダルは逮捕された。

逮捕されたランダルは、エヴァンズとピュー殺害を認めた。

また、ランダルには逮捕時に付き合っていたガールフレンド、テリー・ジョー・ハワードへの暴行と、強姦の容疑があることも判明する。

しかし、警察はマサチューセッツ州とフロリダ州で起こっている他の殺人事件にもランダルが関与しているとみていた。


1997年4月4日、ランダルはエヴァンズとピューに対する第一級謀殺により、フロリダで有罪判決となり、裁判官のスーザン・シェーファーは、
「犯行は狂暴であり、冷淡で残酷」
とランダルを非難し、ランダルには死刑2回分を言い渡した。


ランダルは上訴し、2000年、最高裁判所はランダルへの第一級謀殺を第二級謀殺へ変更し、死刑判決から終身刑に変更された。



∽ 総評 ∽

警察の尋問後に逃走して逃げ切ったランダル。

よくテレビでやっているアメリカの警察と凶悪犯のカーチェイスというのは、まさにこのランダルのような事件を放送しているのだろう。

テレビで放送されているのは、カーチェイスの末、凶悪犯はもちろん捕まっているが、ランダルは逃げ切った (そもそも、見逃しているものを放送するわけないので、実際はこのランダルのように逃げ切っている場合も多いと思うが) 。

ランダルは売春婦を殺害し、妻やガールフレンドにも暴行を加えた生粋のサディストであった。

ランダルの子供の頃の様子がよくわからない為、何故、このような異常な人格になったかわからないが、多分恵まれた環境ではなかったであろう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・殺人数 2人以上
(強姦多数)
《犯行期間:1995年10月20日、1996年1月18日》