アリ・カヤ (トルコ)
【1979 ~ 】
カヤは幼少期から常習的に犯罪を繰り返していた。
その犯罪は窃盗や強盗等で、17歳の時に初めて逮捕され、刑務所に収監された。
1997年、カヤ19歳の時、刑務所から釈放された。
そして、釈放されたこの年からカヤは殺人を始める。
同年、カヤはトルコ・アランヤにある不動産事務所で働くようになったのだが、その事務所で叔父セラル・カヤを突き殺す。
カヤはこの叔父殺害で逮捕され、懲役5年が言い渡されると、シリフケ刑務所に収監される事となった。
1999年、カヤは仮釈放で外に出る事になった。
釈放されたカヤは、ゼイネル・アビディンを殺害する。
また、カヤはアビディンの母親を襲い強姦した。
この件で再び逮捕されたカヤは、刑務所で精神障害と判断され、刑務所から精神病院に移送される事となった。
その後、退院したカヤは、早速アランヤで3人殺害する。
また、ミュージックホールのオーナー等、他に2人を殺害した。
そして、逮捕されたカヤは裁判で精神病と判断され、拘留されずに精神病院に入る事となった。
その後、カヤはアランヤ刑務所で、ケマル・アクサカルとハサン・アスケログルの2人の監督官を殺害した。
カヤは人格性障害と診断され、サァィキィアトゥリィク病院に入院する事となった。
2000年3月13日、すぐに退院したカヤは、アヤン・カルタールとタイファン・サシーンを殺害する。
両者共に喉と腹部を刺されていた。
この犯行でカヤは『The Babyface Killer (ベビーフェイス殺し) 』と呼ばれるようになった。
2001年、逮捕されたカヤは、シャンルウルファ刑務所に収監されることになった。
だが、カヤは再び解放され、メフメト・ポイラズを殺害する。
2002年11月、カヤは再び逮捕された。
2003年、カヤはシャンルウルファ刑務所の扉が開いているのを確認すると、そこから脱走する。
車で逃走したカヤだが、アランヤのマフムットラルで不審車両として通報され、警察に止められ逮捕された。
逮捕された時、エルダル・ユルマズという偽名の身分証明書をカヤは所持していた。
2014年1月5日、カヤはガジアンテップ刑務所から再び脱獄する。
刑務官は夜の身体チェックの際、カヤが居ない事に気付いた。
警察と憲兵部隊はカヤ捕獲に広範囲に渡る大規模な捜査を開始した。
同年3月3日、友人の家にいたカヤは、アダナ・メルシンからシリアの境界を横断しようと画策するが、ガジアンテップの中心部で、治安部隊により捕らえられる。
逮捕された時、カヤは銃と殺害した12人の死亡リストを所持していた。
カヤは再びガジアンテップ刑務所に戻される事になった。
∽ 総評 ∽
殺人を行っては逮捕され、また釈放されては殺人を繰り返したカヤ。
初めに収容された時に2度と外に出て来なければ、これほどの被害を出す事はなかった。
確かに1度くらいであれば「完治したかも」という事で外に出す事はわかるが、カヤの場合は何度もである。
こんな事で被害に遭った人は、しっかりとした法整備で臨んでくれていれば殺される事もなったのである。
これでは浮かばれるものも浮かばれるわけがない。
もちろん、精神病患者の多くはきちっとした治療を受け回復し、真っ当な人生を送っているだろう。
ただ、このカヤのように少なからず異常性が治らない人間もいる。
精神病は確かに普通の怪我や傷とは違い、見た目で治ったというのはわからない。
そう言った意味で難しいのはわかるが、せめてもう少し慎重に対応して欲しいと思う。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 12人
《犯行期間:1997年~2002年》
コメント
コメント一覧 (22)
あの辺りでは最も政教分離を果たした国で、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教が混在してなおかつ欧州と中東の価値観も混ざりあった、非常に特殊な国でよく分からない。最近はイスラム教の方に法律が優遇しつつある流れ(例えばアルコールの販売の制限)のようで(政教分離出来てないとしての)国民の不満が出てきている。
後、この投稿で500回目ですね。1つの区切りとしておめでとうございますを贈らせて頂きます。これからも頑張って下さい。応援してます。
確かにトルコはちょうどアジアとヨーロッパの中間地点ですもんね。
複雑な状況で当然かもしれません。
ありがとうございます。
投稿500回目だったんですね。
投稿してる本人が全く気付きませんでした。
これからもよろしくお願い致します。
白ソックス犯が異常でしたので。
前上博ですよね?
自殺サイトで死にたい人を募集して首を絞めて殺害した異常者ですよね。
申し訳ございません、仰る通り日本人は対象外にしています。
知識不足で申し訳ございません。
ヤウスがわかりませんでした。
司法の判断は、もっと犯人の個人的な言動に即して下すべきです。
こんな風に、十把一絡げで判断下すような事するから、真面目に構成した人まで白い目で見られるんだと思います。
本当に可哀想なのは被害者と、心の底からに罪を悔いて、真面目に人生やり直している方々ですよ。
仰る通りですね。
結局、基準を作るのであれば、もっと厳しくすればいいんだと思います。
そうすれば人によって差別になる事もないですし。
本当ですね。
私ならというか誰でも納得いきませんよね。
これが100年前とかでないのが恐ろしいですね。
ヤピシオグルでしたか。
以前掲載しましたが、同じトルコですからそういう体制なのでしょう。
国民からしてみればたまったものではないですね。
トルコというのは歴史的遺産の宝庫と呼ばれるくらい古い国ですから、もう少し成熟しててもよさそうなもんですが…。
ところで、500回記念投稿おめでとうございます!。
これを機に国別インデックス作られたらいかがですか?。Murderpediaみたいに笑。
仰る通り、トルコは世界3大奇観のカッパドキアとかありますもんね。
1度、あの奇妙な岩石群見てみたいものです。
ありがとございます。
先日、ナナシンさんに言われて初めて気付きましたよ。
Murderpediaはアルファベット順でしたよね。
国別に分けるのいいかもしれません。
記事が多くなってしまい、過去の記事の修正とか大変なので。
これからもよろしくお願いします。
こちらの記事を読んでいてあれ?と思ったので数えてみたのですが、
持っていたリストに載っている被害者の人数が10人なだけで
殺害数は10人ではなく12人の間違いではないでしょうか。
記事から抜粋してカウントしたのですが、
叔父セラル・カヤを突き殺す。→1人目
ゼイネル・アビディンを殺害する。→2人目
アランヤで3人殺害する。→3・4・5人目
また、ミュージックホールのオーナー等、他に2人を殺害した。→6・7人目
ケマル・アクサカルとハサン・アスケログルの2人の監督官を殺害した。→8・9人目
アヤン・カルタールとタイファン・サシーンを殺害する。→10・11人目
メフメト・ポイラズを殺害する。→12人目
で何度数えても被害者は12人になるのですが……
リストの人数以外の要因で被害者の数が記述より減るとしたら、
6・7人目がアランヤの3人の内の2人と重複している場合ですが、
この2人がアランヤの3人に含まれるなら
『また、(ミュージックホールのオーナー等、)他に』
と言う書かれ方はされないと思うので、
単純にリストに載っている人数だけを殺害数としてカウントされたか、
纏めて2人殺害された部分(監察官2人とその後殺害された2人)を、
それぞれ1人ずつしかカウントされていなかったのかなと思いまして。
その通りですね。
早速訂正させていただきました。
単純なミスですね。
ご指摘していただき誠にありがとうございます。
それは是非改正されて欲しいですね。
そうなれば真っ先に死刑にされるべきですが、もしかしたら元々刑が確定していた場合は対象外かもしれませんね。
是非死刑復活してもらいたいですね。
そして、このようなシリアルキラーをとことん処罰していって欲しいです。
私もその事件初めて知りました。
今度調べてみます。