ジョン・バンティング (オーストラリア)
【1966 ~ 】
ロバート・ワグナー (オーストラリア)
【1971 ~ 】
ジェームズ・ブラサキス (オーストラリア)
【1979 ~ 】
1999年5月20日、オーストラリア・南オーストラリア州スノータウンにある賃貸倉庫 (旧銀行跡地) で、酸の樽に入った8人の遺体が発見される。
犯人は主犯格ジョン・ジャスティン・バンティング (1966年9月4日、オーストラリア・クイーンズランド州イナラ生まれ) 、パートナーのロバート・ジョー・ワグナー (1971年11月28日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州パラマッタ生まれ) 、2人に従うジェームズ・スピリドン・ブラサキス (1979年12月24日生まれ) であった。
また、その他に旧銀行跡地の賃貸倉庫を借りていた死体処分の役割を担ったマーク・レイ・ヘイド (1958年12月4日生まれ) と、エリザベス・ハービー (1946年10月19日生まれ) 、トーマス・トリヴェリアン (1979年生まれ) 、ジョディ・エリオットの3人の協力者がいた。
この犯罪一味は、一軒家に共に居住し、共同生活を送っていた。
同年5月23日、南オーストラリア州の州都アデレード北郊外の北ソールズベリーで2体の埋められた遺体が発見される。
その後、同年6月末までに、発見された10遺体の内、9遺体までの身元が特定される。
事件自体はスノータウンで起こっているが、スノータウンで殺害されたのはわずか1人で、アデレード周辺で殺害した死体をスノータウンに持ち込んだだけであった。
実際、犯人全員も犠牲者も誰もスノータウンと関係する人間はいなかった。
犯人一味の犠牲になった者は、犯人達の知人や友人、親戚や一時共に暮らしていた者、または犯人一味だった者など、多種多様であった。
ただ、総じて自分達の近辺の人間を標的にしていた。
犠牲者はバンティングの勝手な都合により選ばれた。
バンティングは個人的に小児性愛者と同性愛者を憎んでおり、それが標的の理由となる事が多かった。
ただ、犠牲者には社会的弱者も多く、結局はバンティングの殺人衝動を抑える為には誰でも良かった。
1992年8月、クリントン・トリーザイズ (22歳) が、バンティングにハンマーで頭を殴られ殺害された。
トリーザイズの死体はアデレード北のローワ・ライトに埋められ、1994年まで見つからなかった。
このトリーザイズの死体発見時、オーストラリアのテレビ番組『Most Wanted』で取り上げられており、バンティングはそれを観て自慢していた。
1995年12月、レイ・デービス (26歳) がワグナーとブラサキスの母親ハービーにより、ロープとタイヤ・レバーで絞殺される。
デービスはバンティングの友人であるスーザン・アレン邸の裏庭でキャラバン暮らしをしていた障害年金受給者であった。
デービスはアレンの孫に性的虐待をしていた。
デービスの死体は北ソールズベリーにあった当時のバンティング一味が住んでいた裏庭に埋められた。
スーザン・アレン (47歳) がバンティングらによって殺害される。
アレンの死体は11個に分けられ、ナイロン袋に入れるとデービスと同じ場所に埋められた。
アレンの死後、バンティングらはアレンの年金をアレンに代わり搾取し続けた。
1997年8月、マイケル・ガードナー (19歳) がバンティングとワグナーによる絞殺される。
殺害される際、ガードナーはバンティングとワグナーに死ぬまで立っている事を強要され、そのままくびり殺されたのだった。
ガードナーはOCD (脅迫性障害) を持つ女装癖のあるホモセクシャルで、小児性愛者であった。
1997年10月、バリー・レイン (42歳) が自宅でワグナーに絞殺される。
このレインは女装癖のあるホモセクシャルで、以前、ワグナーを強姦していた。
また、トリヴェリアンも強姦し、性奴隷としていた (このレインはトリーザイズ殺害に関与していたという説がある) 。
レイン絞殺の際、トリヴェリアンにより拷問が行われ、それは指先とつま先、陰茎と睾丸を生きたままプライヤで握り潰されるという残酷なものであった。
レインの死体はカーペットに巻かれ、酸に満ちた樽に漬け込まれた。
1997年、一味であるトリヴェリアン (18歳) の死体がアデレードで木にぶら下がった状態で発見される。
死体発見時から検死官トリヴェリアンを自殺と断定していた。
自殺と断定された理由として、トリヴェリアンは誇大妄想的な精神分裂病患者であり、死神が殺しに来るという幻覚に苦しんでいたからだった。
だが、実際はレイン殺害を他人に口外しようとした為、バンティングとワグナーに殺害されたのだった。
トリヴェリアンは木の下で首に縄を掛けられている間、バンティングとワグナーに箱の上で自力で立っている事を強要された。
トリヴェリアン殺害後、バンティング一味は北ソールズベリーからマレイ・ブリッジに引っ越した。
1998年4月、キャビン・ポーター (30歳) が殺害される。
このポーターはブラサキスのヘロイン仲間であった。
ある時、ポーターがヘロインに使用する注射器を置き忘れてしまい、その注射器がバンティングにたまたま刺さってしまう。
これに激怒したバンティングはポーター殺害を決め、ポーターがブラサキスと飲んだ薬により車の後部座席で寝た所をバンティングとワグナーに絞殺されたのだった。
ポーターの死体はそのまま酸の樽に漬け込まれ、スノータウンに運ばれた。
1998年9月、トロイ・ユード (21歳) が殺害される。
ユードはハービーの息子で、ブラサキスの異父兄弟であった。
ある時、ブラサキスが以前、ユードに猥褻行為を受けた事をバンティングに告げる。
怒ったバンティングはユード殺害を決断し、バンティングとワグナーは鋼板とジャッキ・ハンドルでユードに殴りかかり、手錠を掛けてベッドから引きずり下ろした。
そして、猿轡をし、バスルームへ連れて行く。
バンティングとワグナーは、ユードの指先とつま先、陰茎と睾丸を潰した。
激痛に絶叫し、呻くユードに対し2人はブラサキスへの過去の猥褻行為の謝罪を強要し、生きたままユードを解体し始めた。
ユードの残骸は樽に漬け込まれ、スノータウンに持ち込んだ。
1998年9月、知的障害者のフレデリック・エリオット (18歳) が、バンティングに呼び出され、陰惨な拷問の末、殺害された。
このエリオットの母親ジョディは、当時、バンティングとは愛人関係にあった。
エリオットは手錠を掛けられ口を塞がれた。
そして、執拗に殴られ、指先とつま先、陰茎と睾丸をプライヤで潰され、陰茎と肛門に電極を差し込まれると感電させた。
鼻や耳、陰茎はタバコの火やライターで炙られ、散々拷問された挙げ句に絞殺されたのだった。
この拷問を行う前にバンティングはエリオットの声をテープレコーダーで録音しており、エリオットが死んでいない事を偽装し、福祉年金を横領した。
バンティングとワグナーは、マレイ・ブリッジのフランセス通りで1人暮らしするゲイリー・オドワイアー (29歳) を殺害する。
オドワイアーは車の事故により脳を損傷し、知的障害となり医療年金を受給していた。
バンティングとワグナー、ブラサキスの3人は、飲み物を差し入れるという事を口実にオドワイアーの家に侵入する。
その後、手錠を掛けて猿轡し、ベルトで背中と臀部を叩き、指先とつま先、陰茎と睾丸をプライヤで潰した。
そして、エリオット同様陰茎と肛門に電極を差し込み感電させ、全身をタバコの火とライターで炙り、殺害したのだった。
1998年11月、エリザベス・ヘイドン (37歳) が、行方不明となる。
ヘイドンは以前、殺害したフレデリック・エリオットの母親ジョディの姉妹であり、ジョディはバンティングと愛人関係にあった。
実はこの時、ジョディはヘイドンの夫マークとも不倫関係にあり、ヘイドンもマークもバンティングとは親交があった。
ヘイドンが殺害されたのは1998年11月20日で、夫マークがジョディと一緒にいて家を空けていた所、バンティングとワグナーが家に侵入して殺したのだった。
その後、ヘイドンの兄がヘイドンの身を案じ、マークに詰め寄るが、マークはヘイドンの兄にボーイフレンドと家を出て行ったと語った。
だが、実際はヘイドンの死体を自身の手でスノータウンに運び始末していた。
ブラサキスの友人デイヴィッド・ジョンソン (24歳) が殺害される。
ジョンソンはホモセクシャルでなかったが、ブラサキスが勝手にそう決めつけていた。
ブラサキスはジョンソンが欲しがっていたパソコンを餌に誘き寄せ、拷問の末、預金口座の暗証番号とカードをブラサキスとワグナーに渡した。
ブラサキスとワグナーはウェークフィールド港付近にあるATMでジョンソンの預金口座にアクセスするが、暗証番号が違い、現金を引き出す事が出来なかった。
2人は再び暗証番号をジョンソンに聞き出そうとスノータウンに戻るが、ジョンソンはすでにバンティングによって絞殺されていた。
バンティングとワグナーはジョンソンを解体し、体の一部を食べた。
警察は5年間にも及ぶ執念の捜査の甲斐もあり、1999年5月21日、バンティング一味をついに逮捕するに至った。
2001年6月21日、ブラサキスには26年は仮釈放のない4回分の終身刑が言い渡された。
同年9月6日、ハービーは裁判で刑が確定する前に癌で死亡している。
ちなみにハービーの葬式にバンティングは参列している。
2002年9月27日、ワグナーには仮釈放なしの10回分の終身刑が宣告された。
2003年9月8日、主犯バンティングは、アレン以外全ての殺人に関与した為、仮釈放なしの11回分の終身刑が宣告された。
また、バンティングの裁判中、法廷で事件の詳細が述べられると、聞いていた陪審員3人が事件のあまりの残酷さに途中で辞退した。
これは殺人の様子をテープで録音し、法廷で流すと陪審員や傍聴人の何人も退廷させたローレンス・ビッテイカーの時と類似している。
2006年、ヘイドンは犯罪幇助により18年間は仮釈放がない懲役25年が言い渡された。
ジョディは1999年1月から精神病が悪化し、アデレード精神病院に入院していたが、その後、消息不明になっている。
不倫中に妻ヘイドンを殺害され、その死体を始末したヘイドンはいまだ殺人についての判決が下されていない。
∽ 総評 ∽
『スノータウン・マーダーズ』と呼ばれ、そのあまりの残虐さ残酷さから『オーストラリア史上最悪』とも評された。
その犯行の残忍さ、または短絡的な理由での殺人は驚愕の一言に尽き、世界でも稀にみる残酷さであろう。
バンティングらが恐ろしいのは、身内や近辺者を標的にした事で、仲間達は「次は自分の番では?」という恐怖に怯えていた事であろう。
バンティングはこの殺人一味のボスであったが、バンティングの意向は絶対であり、ワグナーとブラサキスが右腕・左腕として一味を支配していた。
ただ、ワグナーとブラサキスはバンティングに従っていたが、絶対服従という事ではなく、自らも積極的に拷問に参加していた。
こんな異常な事件が約7年のも間、密かに行われていたと思うと、恐ろしいの一語に尽きる。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★★★★★★★★★
・異常性 ★★★★★★★★★☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 10人
《犯行期間:1992年8月~1999年5月》
コメント
コメント一覧 (13)
酸の樽とか睾丸潰しとか、メキシコのカルテルかよ、とか思いながら見てましたが、背筋が冷えました。
本当に恐ろしい。
警察は何をしてたんだか…
こんな残酷なことをする人がいるという現実に考えさせられます
人が一番厄介で恐ろしいですね
本当に恐ろしいですね。
こんな陰惨な事件がわずか15年前に行われていたのですから。
その通りですね。
人間が一番怖いです。
ブラック企業と通じるものはありますね。
この不景気な時代なので、雇う方は「雇ってるだけありがたく思え」という考え方になるし、雇われる方は「雇ってもらえてるだけまし」という悪い考え方になってしまいます。
なにかとっても過剰なものを感じます。
また、尼崎の連続変死事件も思い浮かべてしまいました。
かなり強烈な事件ですね、これは。ぼくは震撼しました。
快楽殺人でしょうね。
犯行を重ねる度に余計に拍車が掛かってきたのではないでしょうか。
尼崎の事件は確かに衝撃的でしたね。
近年の日本でも抜群の事件だったと思います。
どうやらそのようですね。
早速訂正させて頂きました。
教えて頂き誠にありがとうございます。
良かったです
この事件の動画や画像で事件の残虐性とカメラに向かって中指を立てるワグナーや満面の笑みを浮かべるバンディングを見て、全く反省の色の無い犯人一味の姿が印象的でした
教えて頂きありがとうございます。
恥をずっと晒しているようなものなので、言って頂けると助かります。
犯行の内容は世界でも稀にみる残虐振りかと思います。
その為、勝手ながら「オーストラリア史上最悪」と命名させて頂きました。