image













ジョゼフ・タボルスキー (アメリカ)
【1924 ~ 1960】



ジョゼフ・L・タボルスキーは、1924年3月23日、アメリカ・コネチカット州ハートフォードで生まれた。


タボルスキーによる最初の殺人は1950年3月23日で、この日、タボルスキーは26回目の誕生日の日であった。

殺害されたのはルイス・ウォルフソンで、ウォルフソンは酒店の店主であった。

ウォルフソンはタボルスキーに顔を撃たれて死亡した。


すぐに逮捕されたタボルスキーは、裁判で死刑が言い渡され、コネチカット州の刑務所の死刑囚棟に収容された。

実はタボルスキーの弟アルバートは、ウォルフソン殺害の時、タボルスキーの共犯として加担しており、一緒に逮捕されていた。

アルバートは死刑を回避する為に、タボルスキーに不利な証言を行う司法取引に応じ、タボルスキーが死刑となり、アルバートは終身刑となったのだった。


しかし、死刑囚監房に入っていたタボルスキーが、次第に精神病の症状を見せ始めた為、タボルスキーは精神病施設に移送される事となった。


1955年、タボルスキーに不利な証言を行ったアルバートだったが、アルバート自身が正気でなかった事と、しっかりとして証拠がなかった為、コネチカット州の最高裁判所は、タボルスキーの死刑判決を翻した。

そして、再審により懲役3年未満の刑に変更され、すでに刑務所に入って5年経っている事もあり、タボルスキーはすぐに釈放される事になった。


釈放されたタボルスキーは、常習的な犯罪者であるアーサー・コロンブと出会い、2人は意気投合し、犯罪を重ねるようになる。


1956年12月15日、タボルスキーとコロンブはエドワード・カーピュースキーとダニエル・ヤノフスキーを襲い、2人を縛ると、後頭部から発砲し射殺する。


同年12月26日、タボルスキーはサミュエル・コーンの胸を撃ち射殺。


1957年1月5日、バーナードとラスのシュパイアー夫妻の頭をショットガンで撃ち射殺。


同年1月26日、ジョン・M・ローゼンソールを射殺する。


強盗殺人を繰り返していたタボルスキーとコロンブだったが、ある食料品店強盗を行った時、その店の店主夫妻の頭を殴り気絶させた。

すると、その店主夫妻の3歳の孫娘が店の中を走り回った。

タボルスキーがコロンブにその女の子を撃つよう命令する。


コロンブは女の子殺害をためらい、タボルスキーの隙をみて女の子を隠し、静かにしているよう告げると、床へ向けて発砲した。

タボルスキーはコロンブが女の子を射殺したと思い、その場を去った。


この女の子の証言により、タボルスキーとコロンブが容疑者に浮かび、1957年2月、タボルスキーとコロンブは逮捕された。


同年6月27日、裁判でタボルスキーには電気椅子による死刑が言い渡された。

コロンブもタボルスキー同様、当初は死刑が言い渡される予定であったが、女の子を救った事が考慮され、終身刑となった。


1960年5月17日、タボルスキーは電気椅子による死刑が執行された。

享年36歳であった。


余談だが、1960年に処刑されたタボルスキーは、2005年にマイケル・ブルース・ロスが処刑されるまで、コネチカット州で最後に処刑された死刑囚であった。



∽ 総評 ∽

『狂犬』と呼ばれ、強盗目的で侵入して殺害したタボルスキー。

相棒のコロンブは女の子殺害を不憫に思い、殺さず生かす情けはあったが、タボルスキーは女の子でも容赦なく殺害を指示する非情ぶりであった。

ウォルフソン殺害で死刑が言い渡され、そのまま死刑が執行されていれば、それ以上被害が出る事はなかった。

時代もあるだろうが、死刑だった人間が精神病という理由だけで、懲役3年となり釈放される。

こんなバカげた話があっていいはずがない。

いつも思うのだがこのタボルスキーの場合や、「完治した」として釈放され、事件を重ねた場合、そう判断して釈放させた人間に罪はないのだろうか?



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 7人

《犯行期間:1950年3月23日~1957年1月26日》