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ジェフリー・マクドナルド (アメリカ)
【1943 ~ 】



ジェフリー・ロバート・マクドナルドは、1943年10月12日、アメリカ・ニューヨーク州ジャマイカ地区で生まれた。


マクドナルドは高校の時、明るくクラスの人気者で、
「人気があり将来成功しそうな人」
という部門において、最も多くの票を獲得する人気者であった。


高校時代、マクドナルドはコレット・スティーブンソンという女性を好きになり、デートするようになった。


賢かったマクドナルドは、奨学金を得てプリンストン大学に入学する。

そして、この大学に通っている時にスティーブンソンと付き合うようになった。


1963年秋、付き合っていたスティーブンソンが妊娠した為、マクドナルドは結婚する事になった。


1964年4月、マクドナルドはキンバリーという子供が生まれている。


マクドナルドはプリンストン大学を卒業した後、家族はシカゴへと引っ越し、シカゴのノースウェスタン医科大学に進んだ。


1967年5月、マクドナルドには2人目の子供、クリスティンが生まれる。


1968年、マクドナルドはノースウェスタン大学医科大学を卒業し、それと同時にニューヨークに移り住み、コロンビア長老教会派の会員医療センターで研修期間を終えた。


1969年、マクドナルドは軍に参加する事となり、駐屯地であるノースカロライナ州フォートブラッグへ引っ越す事となった (当時のアメリカはまだ徴兵制度があった) 。


1970年2月17日午前3時42分、フォート・ブラッグの発送係が、マクドナルドから緊急通報を受ける。

マクドナルドは家族がそれぞれベッドルームで死んでおり、自身も襲われ怪我を負ったという知らせだった。


マクドナルドはすぐに近くの病院に搬送された。


コレットはこの時、3人目の子供を妊娠しており、コレットはベッドルーム横の床に倒れていた。

コレットは両腕が折られており、ナイフとアイスピックで37回も刺されていた。

ベッド上の壁には血で「ブタ」と書かれていた。


キンバリー (5歳) の死体は花壇で見つかり、頭を殴られており、10回ほど首をナイフで刺されていた。


クリスティン (2歳) も同じく花壇で見つかり、クリスティンはナイフで33回も刺され、アイスピックでは15回も刺されていた。


マクドナルドの傷はそれほどでもなく、切り傷と打撲に加え、刺し傷が1つあり、それは肺の近くまで到達していた。

マクドナルドは入院することとなった。


唯一の生存者であるマクドナルドの回復を待って警察は、事情を聞く事になった。


回復したマクドナルドは警察に、16日の夕方、リビングルームのソファーで寝ていると、コレットとキンバリーの悲鳴で目が覚めた。

マクドナルドはすぐにコレット達の下に向かうと、3人の武装した男性がその場にいたと告げた。


そして、4人目の侵入者 (マクドナルドが言うには白い帽子を被った白人女性) が、
「ブタは殺せ」
と何度も繰り返していたという。


その後、3人の武装した男性達が、マクドナルドにゴルフクラブとアイスピックで襲い掛かってきた。

マクドナルドも抵抗し、着ていたパジャマを破ってアイスピックの攻撃を防ぐのに使用した。


最後はベッドルームに通じる廊下で気絶したと、マクドナルドは事件の一部始終を述べた。


マクドナルドは気が付くと、家の中は静まりかえっており、コレットの下に行き回復させようと試みるが、すでに死んでいる事を悟った。


その後、子供達も同様に回復させようとするが、すでに死んでおりダメであった。


マクドナルドは洗面所に行き、自分に付けられた傷を確認した。

そして、警察に通報したのだった。


しかし、軍はマクドナルドの発言を全く信用していなかった。

マクドナルドの発言は証拠が何もなく、マクドナルドが言っている裂けたパジャマの繊維がリビングルームで見つからなかったのである。

また、パジャマの繊維は、クリスティンの爪の間で発見されたのである。


壁に書かれた「ブタ」という血文字の下には外科用手袋が捨てられており、その指の先端は血に染まっており、血文字を書いた事が一目瞭然であった。


同年4月6日、軍の調査員はマクドナルドに詰問した。


同年5月1日、マクドナルドは妻コレットと娘2人の殺害で逮捕された。


当初はマクドナルドは無罪を主張するも、数々の証拠が犯人がマクドナルドであると示しており、後にマクドナルドは殺害を認めた。


後にマクドナルドは軍から名誉除隊となっている。


マクドナルドにはクリスティン殺害による第一級謀殺と、コレットとキンバリー殺害の第二級謀殺の2つの訴因で有罪判決を受けた。


1979年8月29日、マクドナルドには3つの終身刑が言い渡された。


判決の直後、マクドナルドは保釈の申請を申し込むが、拒絶されている。



∽ 総評 ∽

『グリーンベレー殺し』と呼ばれ、家族を皆殺ししたマクドナルド。

いまいち解らないのはマクドナルドの動機だ。

特に精神病という事もないし、どちらかというと順風満帆な人生を送っていた。

不倫という線もあるが、そう言った情報は特に見当たらない。


犯行の様子を見る限り、マクドナルドだけ生存するというのは明らかに不自然で、誰が見てもマクドナルドに疑惑の目は向くだろう。

子供達は滅多刺しされているにもかかわらず、自分は致命的な怪我を負ってないのである。


ただ、本人は未だ健在なので、いずれ事件の真相について解明されるかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 3人
(他胎児)
《犯行期間:1970年2月17日》