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ホセ・ハラボ (スペイン)
【1923 ~ 1959】



ホセ・マリア・マニュエル・パブロ・デ・ラ・クルース・ハラボ・ペレス・モリスは、1923年4月28日、スペイン・マドリードで生まれた。


ハラボは生まれてから数年後、家族と共にアメリカ・フロリダ州マイアミに移住した。


ハラボはアメリカで異国の人間という事でいじめられた。

その為、ハラボはアメリカという国を憎むようになる。


成長したハラボは、人身売買の罪で逮捕され、懲役3年が言い渡された。

これがハラボ最初の犯罪であった。


その後、ハラボはフロリダ州スプリングフィールドにある精神病院に入ることになる。


退院後、1940年代後半にスペインに帰国する。


帰国したハラボは母親からの仕送りで生活し、多くの金持ちと友人となった。

金持ちの友人には「自分はギャンブラー」と偽り、ポーカー等のギャンブルで金を使わせていた。


1950年頃から、ハラボは薬物に依存するようにもなっていた。


しかし、母親がハラボに対して仕送りを止めてしまい、ハラボは金銭的に困窮してきた。

だが、ハンサムであったハラボは、女性を言葉巧みに騙し、金銭を得ていた。


ハラボにはベリル・マーティンという名のイギリス人女性のガールフレンドがいた。

お金が無かった2人は、マーティンの持っていたリングを売ってお金を得ようと考える。


ハラボはリングを実業家のエミリオ・フェルナンデスと、フェリックス・ロペスに売った。


しかし、数ヶ月後、マーティンはリングを取り戻して欲しいと、ハラボに頼んだ。


マーティンに頼まれたハラボは、殺して取り返そうと考える。


1958年7月19日、ハラボはフェルナンデスの家に向かった。

フェルナンデスの家から使用人ポーリナ・セラノ (26歳) が現れるが、ハラボは警察と偽り、家の中に入る事に成功する。


セラノはフェルナンデスにお茶を出す為、キッチンに向かった。

ハラボはセラノに向かって鉄の塊で殴り掛かった。

しかし、抵抗に遭い仕留められなかった為、ハラボはキッチンの包丁を手に取り、セラノを刺し殺した。


そして、家にフェルナンデスが不在であるとわかると、ハラボは家の中に隠れて帰って来るのを待った。


フェルナンデスが帰宅すると、ハラボはフェルナンデスの頭部に向かって発砲し、射殺する。


フェルナンデス射殺後、ハラボはゆっくりとマーティンのリングを探すが、見つける事が出来なかった。


すると、物音を聞いた隣人のアンパロ・アロンゾという女性が家を訪ねて来た。

アロンゾはハラボに
「あなた誰ですか?」
と尋ねると、ハラボは警察の人間だと答えた。


だが、アロンゾはハラボを怪しいと思い、家に戻って警察に通報しようと走ったが、背後からハラボに撃たれ死亡した。

アロンゾはこの時、妊娠していたのだが、胎児も死んだ。


ハラボはフェルナンデスの家で眠り、翌朝、ホテルに戻った。


同年7月21日、ハラボは今度はフェリックス・ロペスの店に向かった。

ハラボは隠れてロペスが現れるのを待った。


そして、ロペスが現れると、ハラボはロペスの頭部に向けて発砲し、射殺する。


翌日の7月22日、ハラボは事件の時着ていた血まみれのスーツをクリーニング屋に持って行った。

クリーニング屋の店員はすぐに警察に通報。


数時間後、ハラボは逮捕された。


裁判でハラボは殺人で有罪判決を受け、死刑が言い渡された。


1959年7月4日、ハラボには絞首刑による死刑が執行された。

享年36歳であった。



∽ 総評 ∽

彼女にせがまれ殺人に及んだハラボ。

彼女のリングを売ってお金を得ときながら、返してもらいたいが為に殺害するというのは、理由としては身勝手極まりなく、同情の余地は微塵もない。

また、売っておいてやっぱり惜しくなったと言ってハラボに頼むマーティンもなかなかのものだ。


ハラボの犯行を見る限り、どちらかというと『スプリー・キラー』に近い。

短期間で何人も殺害しており、しかも、物音を聞き付けてやって来た隣人や邪魔な使用人等、容赦なく殺害している。


正直、このハラボの犯行は自分勝手加減で言えば群を抜く酷さと言えよう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・殺人数 4人
(他胎児1人)
《犯行期間:1958年7月19日~同年7月22日》