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ジェーブド・イクバル (パキスタン)
【1956 ~ 2001】



1956年、イクバルはモハメッド・アリ・ムガールの6人兄弟の4番目として生まれた。


イクバルはイスラム教の高校に入学した。


1978年、高校を卒業後、イクバルは自らビジネスを始める。

父ムガールは別荘を2つ買い、1つをイクバルに与え、その家でイクバルはビジネスを続けた。


1998年、イクバルは殺人を始める。

イクバルが標的にしたのは、ラホールの通りに住んでいる孤児や家出してきた男の子であった。


イクバルはそれらの少年を言葉巧みに誘惑しては家に連れ込み、強姦した後、チェーンで首を絞めて殺害。

そして、死体を切断し、塩酸で処理した。

残った死体はローカル川に捨てた。


イクバルには4人の共犯者がおり、サジッド・アフマド (17歳) を筆頭に、少年ばかりであった。

イクバルはその少年たちに指示し、子供を家に連れ込んでいたのだった。


このイクバルの犯行は約1年間に渡り、被害者となった男の子は100人にも及んだ。


1999年12月、イクバルは警察と地元の新聞社に手紙を送り、手紙には今までの殺人の内容が記されていた。


その手紙には殺害した相手、殺害方法等が克明に記されており、それを受けて警察はイクバルの家に向かった。


警察はイクバルの家の中に入ると、壁や床に広がる血痕を発見する。


1999年12月30日、イクバルは逮捕され、共犯者の4人の少年も逮捕された。


逮捕された少年の1人は拘留先で窓から飛び降り、死亡した。


警察はイクバルによる一連に事件を、1980年代中頃にパキスタン・パンジャーブ地方で起きた『ハンマー・グループ』の仕業だと、当初は考えていた。

彼らは家に押し入り、ハンマーで住人を撲殺して回ったのだが、犯人を捕まえる事が出来ず、未解決事件となっていた。


事件が明るみになると、幼い子供がわずか1年足らずで100人も殺害された事に、パキスタン全土が震撼した。


裁判で100人以上の目撃者が出廷し、イクバルに不利な証言を行った。


2000年3月16日、裁判でイクバルは有罪となり、死刑が言い渡された。

共犯者のサジッド・アフマドは、積極的にイクバルの犯行に加担したとして、死刑が言い渡された。

ママッド・ネイディーム (15歳) は、13人の殺人で有罪となり、懲役182年 (殺人1件が14年) が言い渡された。

ママッド・サビア (13歳) には、懲役63年が言い渡された。


2001年10月8日早朝、イクバルと共犯者のアフマドが、刑務所内の独房でシーツで首を吊って死んでいるのを発見された。

しかし、2人の検死の結果、死ぬ前に殴られていた事が判明している (誰に殴られたかは不明) 。



∽ 総評 ∽

少年ばかりわずか1年足らずで100人殺害したとされるイクバル。

ただ、いくら共犯者がいたとして、1年ほどで100人も殺害したということは、1ヶ月平均で8人以上殺害している計算になり、いくらなんでも多過ぎるような気がする。


イクバルがこれほどの残忍な殺害を行った理由がよくわからない。

幼少時の詳しい様子がわからない為、そこになんらかの原因があるのだろうが判然としない。

また、少年を強姦している事から、イクバル自身がゲイだと思われるが、何故、いつからゲイになったのかもわからない。

とにかくイクバルは色々解らない事が多いが、当の本人はすでに死んでいる為、今後2度とわかることはない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★★★☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 100人
(本人自供による数)
《犯行期間:1998年~1999年》