ショーン・ハニフィー (アメリカ)
【1970 ~ 】
ショーン・ポール・ハニフィーは、1970年1月20日、アメリカ・コロラド州デンバーで生まれた。
1989年1月、カリフォルニア州サンフランシスコで、ハニフィーは殺人を犯した。
この殺人がハニフィー最初の殺人と言われているが、詳細は不明。
1991年、ハニフィーはサンフランシスコで2人目の殺人を行った。
この相手も殺害方法等、詳細は不明だが、唯一同性愛者という事だけわかっている (ハニフィー自身が同性愛者かどうかは不明) 。
1992年2月13日、コロラド州デンバーで、ジェームズ・ホールマンの死体が発見される (しかし、この殺人は実際ハニフィーが行ったか疑問が残されている) 。
同年9月15日、ロバート・フェレル (57歳) が死体で発見される。
フェレルの死体は刺し傷が多数あり、ハニフィーが犯人と言われているが、この殺人も疑問視されている。
同年12月29日、アンソニー・カー (33歳) が突き殺された。
カーの死体はクリスマスツリーの木の近くに、毛布にくるまれた状態で発見された。
1998年7月28日、ハニフィーは盗品を売ろうとして逮捕される。
ハニフィーは有罪判決を受け、刑務所に入ったが、2000年7月3日に仮釈放され、すぐに行方をくらました。
同年7月24日、ハニフィーは同じアパートに住むエド・ブラウン (59歳) の所持している物を盗み、それを売ろうとした事で逮捕された。
この逮捕は、ハニフィーが仮釈放中の執行猶予違反での逮捕であり、その為、再び刑務所に入る事となる。
2002年7月26日、ハニフィーは釈放される。
同年8月5日、ハニフィーは刑務所に入る事になったブラウンを拷問して殺害する。
その拷問は凄惨を極め、金槌で滅多打ちされた後、ナイフで突き刺し、内蔵を抜き取り燃やされるというものであった。
翌日、火事で駆け付けた消防隊は焼け跡からブラウンの遺体を発見する。
同年8月8日、ハニフィーはブラウン殺害で逮捕された。
ブラウン殺害について問われたハニフィーは、6時間に及ぶ尋問の末、ブラウンの物を盗んだ事で刑務所に入れられた事を動機として上げた。
更に、ハニフィーは上記した殺人についても認めた (しかし、ハニフィーの証言は曖昧な為、上記殺人については疑問視されている) 。
裁判でハニフィーの弁護側は、ハニフィーがブラウン殺害時、精神状態が不安定であったことを主張した。
しかし、その主張は却下される。
ハニフィーには第一級謀殺で有罪判決を受け、2005年と2007年にそれぞれデイビスとブラウンの殺人で終身刑が言い渡された。
∽ 総評 ∽
8人もの人間を殺害したとされるハニフィー。
人の物を盗んでおいてそれで刑務所に入る事になり、出て来た後、その恨みで殺害するという動機としては身勝手極まりなく、救いようがない。
上記した殺人が詳細不明となっているのは、本人の供述が曖昧な為だ。
ただ、通常、本人が殺害したと言っているのに、ここまで疑惑の目が及ぶのは珍しい。
もしかしたら、警察はハニフィー以外に犯人の目星がついているのかもしれない。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 8人 (確証があるのは2人)
《犯行期間:1989年~2002年》
コメント
コメント一覧 (6)
大抵取り調べで、辻褄が合わなさすぎてばれるそうです。
確かにそうですよね。
自分が実際にやっていないので、辻褄が合わなくなって当然ですよね。
ただ、他の事で張り合うならまだしも、犯罪の凄さで張り合うなんて、その神経が理解出来ませんね。
米国ではその傾向が強く、マッチョな犯罪を犯した者が偉い。
子供が被害者の犯罪者(性犯罪や、誘拐殺人)は虐められて、下手すると命が危ない。
過去にはマフィアやギャングが懸賞金懸けて殺させた事例もある
窃盗犯の逆恨み殺人。なんて女々しい犯罪だと、扱いは悪いでしょうね
なるほど、刑務所内のヒエラルキーが決まってくるんですね。
確かに子供を狙う殺人鬼がかなり忌み嫌われる傾向にあるみたいですね。
…犠牲者が少数でも、ここまで酷すぎる犯行動機だと死刑になる可能性もあるから、ルーカス同様に自白し続けることで死刑を回避しようとしたのではないかと思います。
警察が慎重だったのは、もしかしたらルーカスの二の舞になることを恐れたからだったのではないでしょうか?
…って、なんかルーカスのことばかり書いてますね、今回
なるほど、確かに似ている所はあるかもしれませんね。
もちろん、ルーカスの事は知っていたでしょうし。
もう皆さん十分知っているとは思いますが、いずれルーカスの事は掲載したいとは思っています。