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キム・デハン (韓国)
【1946 ~ 2004】



2003年2月18日午前10時前、大邱広域市の地下鉄、中央路駅構内のホームに到着した第1079列車の車内で火災が発生。


火災から3分後、中央路駅の対向車線に1080列車が到着する。

火災発生時、地下鉄の指令センターは状況を正確に把握しておらず、また、元々の防災管理能力の低さが露呈し、運転中止の措置をとらなかった。


その為、火は瞬く間に1080列車に燃え広がった。


緊急事態をようやく悟った指令センターは、1080列車に発車指令を出した。

しかし、火災により停電しており、連絡が届かなかった。

また、指令センターは火災により停電している事に気付く事が出来なかった。


そもそも火災に気付いたのは警察と消防署であり、辛くも脱出した乗客が携帯電話で消防署に通報したからであった。


火は1080列車を燃やし、ようやく気付いた指令センターが運転士に避難指令を出した。

運転士は連絡を受けて即座に全てのドアを開け、乗客に避難するよう告げるが、火災により配線が焼けていた為、前2両のドアしか開かなかった。


運転士は車内放送で乗客に避難を指示し、1度、開いたドアから避難していた乗客と共に自身も避難したが、再び電車を動かせるどうか試そうと運転室に戻る。


運転士は携帯電話で
「人が死んでいるのになんで何の対応もしてくれないんだ!」
と指令センターに抗議するが、指令センターは運転士に電車を動かすのに必要なマスコンキーを抜き、電気を遮断して避難するよう指示する。


運転士は指示通りマスコンキーを抜いて避難したが、これにより唯一開いていたドアが全て閉まってしまう。

窓からの脱出も不可能であった為、閉じ込められた乗客の多くが焼死であった (通常、火災での死亡の場合、焼死よりも一酸化炭素中毒での死亡の方が断然に多い) 。

1079列車の運転士は、火災後に駅員と救助活動を行っていたが、自身の車両から火が上がった事を22分間も通報しなかった。

その為、指令センターは1080列車に連絡するのが遅れる事となった。


また、放火された1079列車は高熱で融解する材質が使用されており、窓ガラスのゴム材が溶けて部品が脱落し、火が全体に行き渡るという結果を招いた。


結局、最終的に死者は192人、負傷者148人という大惨事であった。

死者の内、142人が1080列車で、火元となった1079列車は6人であった。


事件後、自殺志願者のキム・デハンという56歳の男性が、ペットボトルの中に入れていたガソリンを車内に振り撒き、火を点けていた事が判明する。


デハンは放火後、怖くなりその場から逃走したが、直後に逮捕された。


裁判で検察側はデハンに死刑を求刑したが、デハンは元々知的障害や精神障害があり、事件当時、心神衰弱が認められ、2003年8月5日、無期懲役が言い渡された。


2004年8月30日、デハンは収監先の刑務所内で、持病だった脳卒中の後遺症により死亡した。


余談だが、事件後、大邱広域市地下鉄公社は、事件の反省を踏まえた安全対策をほとんど何も行わずに一部区間で運行を再開し、安全意識が低過ぎると避難を浴びた。

また、指令センターの指令員や運転士、駅員等が上層部の指示で口裏を合わせ、組織ぐるみで隠蔽を図り、しかも、隠し切れないと悟ると、一転、運転士2名と指令員に全ての罪を被せようとした。

その為、大邱広域市地下鉄公社への批判は相当なものになった。


裁判で運転士2名と中央駅駅員2名、指令センター職員3名と安全担当者1名の計8名が事故時の不適切な対応により、業務上重過失死傷容疑で、地下鉄役員3名が無線の交信記録を改竄した事による証拠隠滅の容疑でそれぞれ逮捕、起訴された。



∽ 総評 ∽

日本でも今年6月に男が新幹線で自ら灯油を被り火を点けて死んだ事件や (他1人が煙を吸い死亡) 、2008年に大阪の個室ビデオを放火し16人死亡した事件等、類似した事件は起きている。

こういった事件が起こると、必ずといっていいほど管理会社の管理不足、隠蔽工作、罪の擦り付け等が発覚し、更に組織の恥部を晒す事になる。

それ自体は日本を含め、どこの国でも起きている事なのでさして珍しい事ではない。


これほどの被害になったのは、管理会社の怠慢ももちろんあるが、地下という閉鎖的な空間で起きた事が甚大な被害が出た要因だと考えられる。

本人はこれほどの被害になるとは思ってもいなかったであろう。

フェリー沈没事件もそうだが、韓国ではこういった怠慢が蔓延しているのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★★☆☆
・死亡数 192人
(負傷者148人)
《犯行期間:2003年2月18日》