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ゲオルグ・グロスマン (ドイツ)
【1863 ~ 1922】



ゲオルグ・カール・グロスマンは、1863年12月13日、ドイツ・ニュールピンで生まれた。


グロスマンの幼少時については詳しくわかっていないが、若い頃から子供を襲って強姦したり、SM行為や獣姦を繰り返す等、異常な行動が目立った。


そんなグロスマンは幼児に対する強姦の罪で何度となく逮捕され、刑務所や精神病院に何度も入っていた。


グロスマンはベルリンのシェレジェン鉄道のターミナル駅近くのアパートで1人暮らししていたのだが、前科や精神病の病歴により、徴兵されなかった。

仕事も出来ず、物乞い等での生活を余儀なくされる (一説では元肉屋で働いていたといわれる) 。


そして、グロスマンは1913年頃から殺人を始めるようになる。


グロスマンはターミナル駅付近を徘徊し、1ヶ月に2回到着する長距離列車を待った。

長距離列車が到着するとホームで待ち伏せし、都会に職を求めて来た女性を物色。

グロスマン好みの肉付きの良い女性に狙いを定めると、話し掛け、自分は独り身の為、メイドを募集していると話し掛けた。


仕事を探しに来ている娘にとってこれほど嬉しい事はなく、喜んでグロスマンに付いて行った。


グロスマンはアパートの部屋に女性を連れて来ると態度を豹変させ、女性に暴行を加えると無理矢理全裸にし、強姦した。


そして、グロスマンはすぐには殺したりせず、叫ぶと殺すと脅し、飽きるまで何日も性奴隷として強姦し続けた。


その後、飽きると肉切り包丁で切り刻み殺害した。

殺害後、人肉を解体し、自分で食べる用と販売用に分けた。

そして、販売用の肉は塩漬けにしてミンチにし、自らソーセージを作り肉屋に卸した (一説ではホットドッグにしてターミナル駅で売ったとも言われている) 。


お金が無かったグロスマンは、殺した女性の肉を毎日料理して食べ、食費を人肉で賄った。


そんな生活をグロスマンは8年間も続けた。


1921年8月21日、グロスマンの部屋から女性の悲鳴と争う音を聞いたアパートの大家が警察に通報。


駆け付けた警官が部屋に踏み込むと、グロスマンは殺したばかりの女性を解体している最中であった。

警官は部屋の中を調べると、女性3人分の肉が発見され、また、グロスマンは日記をつけており、殺害日や被害者の名前も克明に記録していた。

その日記には8年間で実に50人以上もの名前が書かれており、殺害して食べていた事が判明した。


裁判でグロスマンにはギロチンによる死刑が言い渡されたが、それを聞いたグロスマンは法廷で大笑いした。


しかし、1922年7月5日、刑務所内で首を吊って自殺した。

享年58歳であった。



∽ 総評 ∽

女性を言葉巧みに誘っては殺し、その肉を食べたグロスマン。

このグロスマンを含め、以前掲載したフリッツ・ハールマンとカール・デンケの3人は、旧ドイツのほぼ同時代に暗躍し、個人的に『旧ドイツ3大食人鬼』と呼んでも差し支えないと思う。


自身のつけていた日記には50人以上の名前が書かれていたが、実際、証明されたのは25、6人と言われている。


貧乏でお金が無かったグロスマンにとって、性欲も食欲も満たせるこのやり方は最高だと感じたであろう。


グロスマンのようなカニバリズムを得意とするシリアルキラーは多いが、大抵が性的興奮の為に食べている人物が多く、グロスマンのように日々の食事をほぼ人肉のみで賄うというのは、ジェフリー・ダーマーを含め数が少なく非常に珍しい。


前述した通り、この時代のドイツは異常な殺人鬼を多数輩出したが、中でもグロスマンはかなり異常な部類であろう。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 50人以上

《犯行期間:1913年~1921年8月21日》