クリスティーン・フォーリング (アメリカ)
【1963 ~ 】
1963年3月12日、アメリカ・フロリダ州ペリーでフォーリングは生まれた。
フォーリングと姉は生まれて間もなく両親に見放され、養子縁組に出された。
新しい養父母に引き取られる事になったフォーリング姉妹であったが、養父母は姉妹を虐待した。
その為、フォーリングは成長するにつれ癇癪持ちとなり、精神的なものからくる肥満傾向と、発達障害となった。
フォーリングはてんかん発作を抑える為、薬を服用するようになる。
フォーリングは成長するにつれ、猫を虐待するようになる。
その数は9匹にも及び、フォーリングは高所から猫を落として殺すという残酷なものであった。
フォーリングは9歳の時、姉とオークランドに住んだ。
12歳の時、フォーリングは家を出た。
1977年9月、フォーリングはわずか14歳で20代の男性と結婚する。
しかし、結婚当初から夫婦に喧嘩が絶えなかった。
喧嘩は6週間も続き、フォーリングが夫にステレオを投げつけたこともあった。
だが、フォーリングは精神的にかなり追い詰められ、心気症 (自分が重病だと錯覚する精神病) となる。
そんなフォーリングは病気や怪我でもないのに、病院に50回以上通院した。
また、フォーリングは膣出血や蛇に噛まれたと言っては病院に通った。
そんなフォーリングはベビーシッターの仕事を始める。
フォーリングは隣人や親類の子供を見るようになった。
1980年2月、フォーリングが世話をしていたキャシディ・ジョソン (2歳) が動かなくなる。
病院に連れて行くと、脳炎と診断され、同年2月28日、ジョンソンは死亡した。
検死の結果、死因は頭への鈍い外傷であるとわかり、警察はベビーシッターをしていたフォーリングに事情を聞く事になった。
フォーリングは気が付くと、ジョンソンがベビーベッドから落ちていて動かなくなっていたと述べた。
このジョンソン殺害は事故として処理された。
フォーリングはフロリダ州オキーチョビー湖近くに移り住む。
この地でも再びベビーシッターをするが、ジェフリー・デイビス (4歳) が、フォーリングが世話をしている最中に、呼吸が停止する。
病院に運ばれるも、デイビスは死亡する。
検死の結果、デイビスは筋心臓炎であると判明した。
更に数日後、デイビスの従兄弟であるジョセフ・スプリング (2歳) が死亡するが、このスプリングのベビーシッターもフォーリングだった。
スプリングを診た医者は、ウイルス感染の可能性があると診断する。
1981年7月、フォーリングは家政婦の職を得、ウィルバー・スウィンデル (77歳) の家で働く事になる。
翌日、スウィンデルは死亡する。
スウィンデルは老齢であった為、 自然死とみられ、疑いはもたれなかった。
1年後の1982年、フォーリングが世話をしていたトラヴィス・コールマン (生後10週) の呼吸が止まり、そのまま死亡してしまう。
しかし、同年7月2日、コールマンの検死を行った結果、コールマンは窒息により死亡した事が判明する。
警察は直後に一緒にいたフォーリングを重要参考人として事情聴取すると、フォーリングはコールマン殺害を認めた。
更に、過去3人の幼児の殺害も認めた。
裁判でフォーリングは殺害動機について聞かれ、
「『赤ちゃんの顔の上に毛布を置いて殺せ』という誰ともわからない声を聞いた為、殺した。」
と発言した。
フォーリングの弁護士は精神喪失による減刑を求めたが、1982年12月3日、25年は仮釈放無しの終身刑が言い渡された。
∽ 総評 ∽
赤ん坊や幼児を殺害したフォーリング。
フォーリングは「殺せと命令された」として殺害したらしいが、いまいちその動機がわからない。
通常、フォーリングのように赤ん坊や幼児を殺害するのは、「代理ミュンヒハウゼン症候群」の場合が多いが、老婆を殺害している事からそう言った理由ではないだろう。
精神をだいぶ病んでいた為、見知らぬ声が聞こえるのもわからないでもないが、何となくこのフォーリングの場合、嘘をついてるように個人的には感じてしまう。
ただ、フォーリングは生まれてすぐに親に見捨てられ、養父母には虐待されるという辛い幼少期を送った。
フォーリングが異常になったのは、その時の影響だと思われるので、その点は同情の余地はあるだろう。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 最低3人以上
《犯行期間:1980年~1982年》
コメント
コメント一覧 (4)
一番 シッターをしてはいけない タイプの人。
日本でも 子供達をぐるぐる巻きにした 保育所がありましたが
何故に その職業を選んだのかがわからない。
絶対に合わないって自分で分からなかったのでしょうか…
仰る通りですね。
こういった人物がやるような仕事じゃないです。
そもそも、面接とかの段階でなんとかならないものでしょうか。
「私は不幸なのにこいつらは幸せそうなのがムカつく…という逆ギレ」
「不幸な境遇で、尚且つ預かった子供が死んでしまうような不幸な人なのに頑張っている私、えらい…と言う自己陶酔」
「そんな私を、優しい人が慰めてくれないかな?…という期待」
この三つが複雑に入り混じって犯行につながったのではないかと思います。
もちろん、代理ミュンヒハウゼンの傾向もあったのではないかと思いますが。
…しかしこの人、殺人博物館にも掲載されていたのですが、写真があまりにも違いすぎて同一人物だと一瞬では理解できませんでした(笑)
その可能性はありますね。
sccorさんの言う考えが微妙に入り混ざったのかもしれません。
殺人博物館さんのサイトを確認しました。
本当に別人ですね。
犯罪を犯す前の写真だったんですかね。