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ビタリー・カロエフ (スイス)

※カロエフ自身はロシア人
【 1956 ~        】



2002年7月1日、ドイツ南部のユーバーリンゲン上空で、飛行機事故が起こる。

バシキール航空便とDHL611便が空中で衝突し、両機合わせて71人全員が死亡した (バシキール航空便が69人、DHL611便が2人。DHL611便には乗客は乗っていなかった。バシキール航空便69人の内、乗客は60人で、その内45人が子供) 。

この事故に対し、ロシア当局は事故原因はスイス管制の不適切な指示であると主張する。

結局、スイス全域とドイツ南部を管制していたスカイガイド社の設備に複数のトラブルが発生していた事が判明。

更に、管制上の規律違反が重なり、事故が発生したことも解った。

当時、2人の管制官の内、1人は休憩の為、管制業務から離れており、2機だけでなく、管轄空域の航空管制をたった1人で行っていた。

その1人で業務を行っていたのが、ピーター・ニールセンで、この1人で業務を行うのは本来規律違反であるが、スカイガイド社では長年の習慣になっており、黙認されていた。


2004年2月24日、スイス・チューリッヒで、ニールセンが自宅前で刺殺されているのを発見される。

ニールセンは飛行機事故後、管制官の職を辞していた。

犯人はロシア人建築士のビタリー・カロエフで、カロエフはスイス警察に逮捕された。

実はカロエフの妻と2人の子供が、ニールセンのミスで衝突事故を起こしたバシキール航空便に乗っていた。

カロエフは事故が当時の航空管制官であったニールセンの責任だと知り、ニールセンの自宅を訪ねた。

カロエフはニールセンに事故で死んだ妻と子供の写真を見せ、謝罪を求めた。

しかし、ニールセンは謝罪どころかカロエフの家族写真を捨てた。

怒りが頂点に達したカロエフはその場でニールセンを刺したのだった。


裁判でカロエフは妻子3人が亡くなってからの約2年間、ショックのあまり働きもせず、ほとんどの時間を家族の墓の前で過ごしていた事が解る。


その為、ニールセン殺害時の心神衰弱が認められ、2005年10月26日、カロエフには懲役8年を言い渡された。


2007年11月8日、裁判所はカロエフは事件当時、心神喪失により責任能力がないとされ、刑期が5年3ヶ月に短縮され、カロエフは釈放された。


同年11月13日、釈放されたカロエフはロシアに帰国している。



∽ 総評 ∽

妻と2人の子供を飛行機事故で失い、その間接的な原因を作った元航空管制官を殺害したカロエフ。

カロエフは家族を心から愛しており、その家族が突然、飛行機事故で亡くなるというのは、相当なショックだったことは想像に難くない。

カロエフは謝罪を求めてニールセンの家を訪ねたが、仮にニールセンが謝罪をしたからといって殺害しなかったとは限らない。

なぜなら、カロエフはわざわざ刃物を持参しており、話しだけするならそんなもの持参する必要はない。

その為、カロエフは初めから殺害するつもりだった可能性が高い。

ただ、これも復讐にはなるのだが、以前掲載した『ベナベンテ事件』や『ドクターS』の事件と同列に並べるのはさすがに違うような気がする。

その2つの事件は、相手が明確で悪質、誰がどう見ても犯人は鬼畜だったが、このニールセンの場合、初めからニールセンが「飛行機を衝突させよう」としたわけではない。

偶然とは言わないが、会社の体制等が絡んでおり、100%ニールセンだけ悪いかと言えばそうではない。

カロエフからしてみれば、ニールセンにしか憎しみをぶつけるしかなく仕方ないのかもしれないが、もっと別の方法があったのではないだろうか。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 1人

《犯行期間:2004年2月24日》