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ロニー・ガードナー (アメリカ)
【1961~2010】



ロニー・リー・ガードナーは、1961年1月16日、アメリカで生まれた。


ガードナーは成長するにつれ、窃盗や強盗を行う常習的な犯罪者になっていった。


1980年、ガードナーは強盗を働き、逮捕され刑務所に入れられるが、翌年の1981年に脱獄する。


脱獄から2週間後、ガードナーは恋人の下を訪ねるが、恋人が違う男性と寝ている姿を目撃する。

怒りに達したガートナーは男性に襲い掛かるが、男性が銃を取り出し、ガードナーに発砲する。

返り討ちに遭ったガードナーは、通報により駆け付けた警官に逮捕され、再び刑務所に戻った。


1984年、釈放されたガードナーは、病院の警備員に襲い掛かり、拳銃を奪って逃走する。


同年10月9日、ユタ州ソルトレイクシティに移動していたガードナーは、そこの居酒屋で、バーのオーナーであるメルビン・ジョン・オッターストロームを襲い射殺する。

メルビン殺害で逮捕されたガードナーは、メルビン殺害について裁判前の聴取の為、ソルトレイクシティの裁判所に移送された。


1985年4月2日、ガードナーと護衛が裁判所に入ったが、面会した女性カーマ・ジョリー・ヘインズワースが、ガードナーに密かに22口径の銃を渡した。

警備員がガードナーに駆け寄るが、ガードナーは持っていた銃で警備員に発砲。

警備員は負傷するも一命をとりとめた。

ガードナーは逃走中、弁護士マイケル・バーデイルの右目を撃ち、射殺する。

その後、看守トーマスに2階に行く為、吹き抜けの階段へ案内するよう銃で脅した。

ガードナーはロビーに出ると、たまたま居合わせた執行吏ニコラス・カークを撃ち、重傷を負わせた。

ガードナーは階段を上り、ウィルバーン・ミラーを人質に取る。

ガードナーは裁判所から逃走を図った為、ミラーは隙を見て逃げた。

しかし、外ではすでに裁判所を警官が取り囲んでおり、警官はガードナーに銃を捨て投降するよう呼び掛ける。

ガードナーは銃を捨て、素直に投降した。

逮捕されたガードナーは裁判で死刑が言い渡された。

ガードナーは銃殺による死刑を求めていたが、ユタ州では2004年に銃殺による死刑執行は禁止されていた。

しかし、ガードナーが死刑を言い渡されたのは、2004年前であった為、薬殺と銃殺どちらかを選択する事が出来た。


2010年4月、審理でガードナーは銃殺を選択し、裁判所もこれを受理し、確定した。

ガードナーが銃殺による死刑が確定してから、「残酷だ」と反対する運動が起きた。

また、ガードナーが射殺した弁護士が、死刑に反対派だったことから、弁護士遺族がガードナーの死刑執行停止を求めていた。

殺害された弁護士の娘が、ガードナーとの面会で
「何故、銃殺を選んだのか?」
と尋ねると、ガードナーは

「銃が周りにある生活で、その銃を使って人を殺した。だから銃で死ぬんだよ」

と語った。

そんなガードナーだが、服役中に囚人を刺殺している。


2010年6月15日夜、ガードナーはステーキとロブスターを注文し、映画『ロード・オブ・ザ・リング』を観て最後の晩餐を過ごした。


同年6月18日、銃殺による死刑が執行された。

享年49歳であった。

ちなみに、1976年の死刑制度復活以降、銃殺による死刑執行はこのガードナーで3人目であった。



∽ 総評 ∽

銃殺による死刑で死んだガードナー。

銃殺を選んだ理由が、銃で人を殺したからと言ったガードナーだったが、もしそれが本心なら、本人なりの贖罪という意味があったのかもしれない。

また、ガードナーは死刑執行までが長いと文句を言っていたが (死刑確定から執行まで25年かかっている) 、これも、早く死刑が執行して欲しい遺族感情からしてみればその通りであり、死刑は一刻も早く執行して欲しいものだ。

日本では死刑が確定してから半年以内で刑を執行しなければいけないと、法律で決まっているが、実際は再審の請求や冤罪の予防等を考慮し、死刑が延びているのが現状だ。

ただ、この事件で考えさせられるのは、殺害された弁護士が死刑反対派だったので、その遺族もガードナーに死刑を執行する事を停止するよう求めていた事だ。

普通なら怒りで死刑にしてもし足りないくらいだが、この遺族は冷静に生前の弁護士の意見を尊重したことになる。

私は以前から死刑廃止論者を、
「所詮、他人事から好き勝手言える」
と言っているが、この弁護士家族は完全にその被害者遺族であり、その遺族が死刑に反対しているのだ。

こういう人こそ、初めて死刑廃止を訴える資格があり、その発言に説得力を生むのである。

ただ、筆者は以前から言っている通り、死刑賛成派なので、この遺族が仮に私を説得したとしても、その考えが揺らぐ事はないが。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 3人

《犯行期間:1984年10月9日、1985年4月2日》