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鄭 明析 (韓国)
【1945~ 】



1945年3月16日、韓国・忠清南道錦山郡珍山面で鄭は生まれた。

7人兄弟の三男として生まれた鄭は、子供の頃からキリスト教に信仰心を持っており、日曜学校に通っていた。


1966年、1968年と2度「ベトナム戦争」に参加し、その戦争で得た資金を錦山のソンマック教会の建設に出資した。


1975年、鄭は「統一教会」に入信し、後の自身による教団立ち上げの際、その教えに多大な影響を受けた。


1977年、鄭は「統一教会」を脱退した。


1978年6月1日、鄭は33歳の時、韓国の首都ソウル・西大門区南加佐洞で宣教を始め、信者を募った。


1980年2月、ソウルで「愛天教会」を立ち上げる。


1983年、鄭はキリスト教・メソジスト派のヨハンウェスレー神学校に通った。


1985年、長年通った功績を認められ、牧師按手を受けている。


「愛天教会」はその後、「韓国大学生宣教会」、「世界青年大学生MS連盟」、「国際クヤスチャン連合」と名前を変え、現在の「摂理 (キリスト教福音宣教会) 」となった。


1989年7月、信者と共に自身の故郷を月明洞として開発し、岩や木、水等の自然の物を使用した聖殿「自然聖殿」を作り上げる。


順調に信者が増えていき、日本人の信者も多くいた。


だが、1999年3月、韓国のドキュメンタリー番組で、「摂理」の脱退者が、鄭が多くの女性信者に対し性的暴行を行っていたと、打ち明ける。


2001年6月、鄭は女性信者に対する強姦容疑で国際手配される。


2007年5月11日、鄭は逃亡先の中国で、婦女暴行の容疑で逮捕される。

しかし、中国で裁かれる事なく、嫌疑なしで韓国に送還された。


2008年1月11日、韓国の最高裁判所にあたる韓国大法院で、慰謝料として7000万ウォン (約700万円) の支払いを鄭に言い渡した。

鄭は判決に納得行かず、直ぐに上告する。


2009年4月23日、韓国大法院は鄭の上告を棄却し、鄭に懲役10年を言い渡し、判決は確定した。


鄭によって性的被害を受けた者は、韓国人で1万人以上とされる。

また、日本人の信者は有名大学に通う20代の女性を中心として二千数百人と言われ、その中で鄭によって性的暴行をされたのは100人以上とみられている。


2018年2月18日、鄭は刑期を終え、出所した。


最後に鄭が好んだ女性について掲載したいと思います。

「背が高くて色白、グラマーな女性が好み。処女ばかりを狙っている」



∽ 総評 ∽

若い女性信者を集めては、自身の性欲を満たす為、肉欲の限りを尽くした鄭。

被害者は全て合わせると1万人以上とも言われ、被害者数も凄いが、鄭の性欲もまた凄まじい。

教祖が信者に手を出すのは珍しくもなんともないが、鄭の場合はその数が凄い。

アジア屈指の強姦大国の名に恥じぬ異常ぶりだが、殺人を行わなかっただけまだましかもしれない。

ただ、鄭は詩の才能があり、その詩は韓国詩大事典に掲載されていた。

また、絵画の才能もあり、アルゼンチンのアートフェアにおいて、代表作家として選出されるほどであった。

そちらの方に力を入れていれば、犯罪者としてではなく、芸術家として著名な人物になれたのかもしれない。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★☆☆☆
・残虐度 ★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★★☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 0人
(強姦被害1万人以上)
《犯行期間:1980年~2001年》