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ダニエル・バルボサ (コロンビア)
【1930~1994】



ダニエル・カマルゴ・バルボサは、1930年1月22日、コロンビアで生まれた。


子供の頃に母親が死んでしまい、バルボサは継母に育てられる。

しかし、その継母から虐待を受け、罰として女装させられた上、その格好で学校に行かされた為、同級生からバカにされた。


そんな環境下で成長したバルボサは歪んだ性格になっており、常習的な犯罪者へとなっていく。


1958年、バルボサはコロンビアの首都ボゴタで窃盗事件を起こし、逮捕される。


その後、釈放されたバルボサは、エスペランザという恋人が出来るのだが、類は友を呼び、このエスペランザもかなり異常な精神の持ち主であった。


バルボサはエスペランザと共謀し、連続強姦事件を始める。


まず、バルボサがエスペランザに命令し、エスペランザが少女を言葉巧みにアパートに誘い出す。

少女に睡眠薬を飲ませ、眠った所をバルボサが強姦した。


このように強姦を繰り返していたバルボサであったが、5人目の少女が警察に通報。


1964年にバルボサとエスペランザは逮捕され、バルボサは強姦罪で懲役8年の刑が言い渡された。


刑期を終え外に出て来たバルボサはブラジルに行くが、1973年、不法入国により現地で逮捕されてしまい、コロンビアに強制送還される。


そして、ここからバルボサは殺人を開始する。


9歳の少女に目を付け、誘拐して強姦。

以前の通報された反省を踏まえ、少女を殺害した。


1974年5月3日、バルボサは殺人により逮捕され、裁判でバルボサには懲役30の刑が言い渡された。


しかし、1984年、バルボサは自身が服役するゴルゴナ刑務所から脱獄に成功する。

ゴルゴナ刑務所は孤島にある刑務所で、バルボサは獄中で島付近の海流の流れを調べ、時期を見計らって簡易ボートで島を脱出したのだった。


コロンビア当局はバルボサは海を渡っている時に、サメに食べられて死んだと思い込み、世間にもそのように報道した。


しかし、エクアドルに流れ着いたバルボサは、バスに乗りエクアドル最大の港湾都市グアヤキルに移動する。

そして、再び殺人を始める。


バルボサの手口は、好みの少女を見つけては、優しく言葉巧みに誘い出し、強姦した後に絞殺するというものだった。


1984年から1986年の2年間で、グアヤキルで最低でも54人は殺害している。


警察はこの連続殺人を地元のギャング集団によるものとみており、まさか1人の人間により起こされたものだとは思わなかった。


ただ、金が無かった為、バルボサは殺人を繰り返しながらも、ボールペンの転売や、殺した相手の装飾品を売るというギリギリの生活を送っていた。


1986年2月26日、エクアドルの首都キトにいたバルボサは、2人の警官がバルボサを不審に思い職務質問をした。

すると、バルボサの持っていたバッグの中から血だらけの服が見つかり、それはバルボサによる最後の犠牲者である少女 (9歳) のものであった。

実はバルボサはその少女を殺害した直後であった。


バルボサはグアヤキルで尋問を受け、当初は偽名を使用していたが、後に元々コロンビアで強姦殺人を繰り返していた脱獄犯であることが判明する。


バルボサはエクアドルで71人殺害した事を自供し、エクアドル当局は本人の供述を基に犠牲者の遺体捜索を開始した。


バルボサの供述により発見された遺体は、マチェーテ (農業や林業で用いられる大型の刃物) で無惨に切り刻まれていた。


殺人の動機については

「不誠実な女たちへの復讐だ」

とバルボサは語った。


裁判でバルボサは、エクアドルの最高刑である懲役16年が言い渡された。


1994年11月13日、バルボサは刑務所内で他の囚人により殺害された。

殺害したのはバルボサが殺した被害者の従兄弟であった。


最後に、バルボサが少女を狙った理由について語った言葉で終わりたいと思います。

「泣き叫ぶからさ」



∽ 総評 ∽

実に72人もの少女を主に殺害したバルボサ。

コロンビアはバルボサ以外にも、多くの大量殺人鬼を輩出しており、他には以前掲載したルイス・ガラビートが138人殺害し、ペドロ・ロペスも300人殺害したと言われている (ただし、バルボサの犯行のほとんどはエクアドルで、ロペスもコロンビアだけではない) 。


前述した通り、連続殺人の殺人数はかなりのもので、これは南米という国柄によるものだろう。

南米はギャングが横行し、麻薬組織の抗争などにより、死体の1つ上がる事が珍しい事でもなんでもない為、捜査が遅々として進まない事が当たり前であった。

その為、バルボサのような大量の連続殺人に繋がってしまうのだ。

国柄、しょうがないと言ってしまえばそれまでだが、被害者や遺族からしてみれば、もっとしっかりしてほしいものだ。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 72人

《犯行期間:1974年、1984年~1986年》