image









ベナベンテ事件 (スペイン)
【?~?】



1992年、研究休暇に訪れた若い女性教師が、車に引き摺り込まれ、目隠しをされる。

そして、町外れの農場小屋に連れ込まれた。

女性教師は裸にされ、剃刀で下腹部と太腿をズタズタに切り裂かれた。

恐怖と激痛でもがく女性教師を男は強姦し、小屋に置き去りにして逃走した。

数時間後、女性教師は血まみれになりながら岩場によじ登った。

たまたま巡回中のヘリコプターに発見され、助けに行くが、女性教師は犯人が戻って来たと誤解し、パニックになる。

何とか女性教師を落ち着かせ、病院に搬送し、女性教師は治療にあたったが、目隠しされていた為、犯人を見ていなかった。

数日後、自宅の庭で飼っている鶏に餌を上げていた主婦か襲われ、目隠しされて鶏小屋に連れ込まれた。

主婦は鶏小屋の中にある支柱に針金で縛られ、服を剥ぎ取られた。

そして、女性教師同様、剃刀で太腿と下腹部をズタズタに切り裂かれられ、強姦された。

更に、主婦は肛門に箒の柄を深々と差し込まれ、シャベルを膣の中に付け根の部分まで深々と突き立てたまま逃走した。

約1時間後、主婦の夫が帰宅し、血まみれで倒れている妻を発見し、すぐさま病院に搬送する。

この主婦は女性教師よりも暴行が激しく、出血が酷かった為、輸血をすることでようやく一命をとりとめた。

シャベルを突っ込まれた膣内は裂けてズタズタであった為、4度に渡って手術しなければならないほどの損傷であった。

この主婦も目隠しされていた為、犯人の顔を見ていなかった。

10日後、就職してまだ2日目の16歳の少女が、職場からの帰宅途中に誘拐され、道路脇の倉庫に拉致された。

少女も前事件同様、太腿と下腹部をズタズタにされ、何度も強姦された。

犯人は散々強姦すると、少女の膣と肛門に大小いくつもの石を詰め込み、その後、腹と背中を殴った。

その暴行は激しく、肝臓か破裂し、乳首は片方切り落とされていた。

警察は捜査を続けるも犯人特定には至らなかったが、法医学者が事件現場から犯人の毛髪と服の繊維を採取する。

そこから香水を特定し、しかも、犯人は喘息持ちであることも判明した。

捜査員は地元の薬局を全て回り、法医学者の作成したプロファイルに一致する喘息持ちの男を探した。

捜査開始2日後、容疑者は特定され、緊急逮捕された。

犯人は農場に1人で暮らす、マニュエル・ベナベンテという男性であった。

逮捕されたベナベンテは、留置所に拘置された。

3時間後、ベナベンテを弁護する弁護士が留置所に到着する。

弁護士はベナベンテとの面会の為に、監房に入り、ドアに鍵を掛けた。

しかし、その直後、監房内から悲鳴が聞こえた。

悲鳴を聞いた警官が駆け付け、ドアを開けると、ベナベンテは喉を耳から耳まで切り裂かれ、床をのたうちまわっていた。

あまりの光景にただ呆然と立ち尽くす警官に、血まみれの弁護士は歩み寄り、ナイフを手渡した。

ほどなくしてベナベンテは出血多量により死亡し、弁護士は逮捕された。

この弁護士は3番目の被害者である16歳少女の叔父である事が判明する。

弁護士は

「かわいい姪があんな酷い目にあわされてからずっと、犯人を殺してやりたいと思っていました。弁護の依頼が来た時は、自分の幸運が信じられなかった」

と供述した。

裁判で裁判官は弁護士は完全に正常であると診断した上で、
「彼は姪の身に起きた凄惨な出来事により、過度のストレスを受け、一時的に精神のバランスを欠き、ベナベンテを殺害した時点では正常な精神状態になかった」
と判断し、弁護士は今後60週間の精神治療を受ける事と引き換えに、裁判官の好意により、ただちに釈放された。

治療は口実でしかなく、結局、無罪放免という判決であった。



∽ 総評 ∽

姪の凄惨な暴行の復讐を果たした弁護士。

この事件の注目したい所は、法の番人である弁護士が復讐という名の殺人を犯した事だ。

法に詳しい故に、限界を悟っていたのだろう。

スペインでは死刑が廃止されているので、犯人が死刑になることは決してない (スペインで死刑が完全に廃止されたのは1995年だが、実質、1978年から廃止された状態にあった) 。

仮に終身刑となったとしても、刑務所内とはいえ、平穏に死を迎える事が出来るのである。

判決は精神治療を受ける事を条件に、弁護士は何の罰を受ける事もなく、釈放された。

この判決はなかなか素晴らしいと言える。

「彼は正常だが、姪が悲惨な目に遭った事で一時的精神喪失となった」
と裁判官は言ったが、もし「彼は正常」だと断定してしまうと、それなりの罪に処さなければならない。

その為、弁護士を釈放する為に、わざわざ「一時的精神喪失」という表現を使ったのだ。

これが仮に日本で同様の事件が起きた場合、この弁護士はただの殺人罪で裁かれ、無期懲役、へたしたら死刑も十分にありえる。

日本は良い意味でもダメな意味でも真面目な国柄なのだ。

このような事件が起こると「復讐の容認」等と言って批判する人もいると思うが、個人的にはこう言った復讐はあって然るべきだと思う。

法律は人間社会を形成する上で重要だし必要であるが、その法律ではどうしようもない部分は、このように一般社会の判断に任せる部分があっていいと思う。

凶悪な事件が起こると、それが赤の他人だとしても大多数の人が「可哀想」とか「犯人を許せない」と思うだろう。

ということは民主主義国家において、犯人を許せないと思う感情は「民意」であり国民の「総意」なのだ。

「復讐しても何も解決しない。新たな復讐を生むだけだ」という意見もあるだろう。

言ってる事は理解できなくもないが、私的にはそんな事は決してないと思う。

何もされてない相手に復讐する人はいない (というか、そもそも何もされてない相手に攻撃するのは復讐とは言わない) 。

復讐されるということは、復讐されるような事をしたのだ。

以前、日本で起きた『光市母子殺害事件』では、妻と赤ん坊を殺害された男性がテレビでその心情を語っていた。

犯人は未成年であった為、死刑になる可能性は極めて低かった。

その為、遺族の男性は
「少年法に守られ、すぐに釈放された場合、私が彼を殺しに行きます」
とテレビの前で何の躊躇もなく言っていた。

テレビでの堂々としたこの発言に、ほとんどバッシングを聞くことはなく、逆にその男性を擁護する言葉の方が多かった。

仮に、本当にすぐにその犯人が解放され、男性が犯人を殺したとしても、犯人の両親がその男性を恨む事ができるだろうか?

恨む事が出来るだろうか、というより恨む資格がない。

自分の子供がよそ様の女性と生まれて間もない赤ん坊を無惨に殺した。

その息子がその遺族に殺される。

私からすれば「自業自得」としか思わない。

いや、それ以上に「それでも足りない」と思う。

これはあくまで私個人の意見だ。

全ての復讐を容認するつもりもないし、基本的には復讐は良い事ではない。

ただ、復讐などしなくともいい社会を形成して欲しいものだと思う。



§ 追伸 §

今回の記事は人物の写真ではなく、スペインのとある町並みを掲載しました。

写真と事件の関連性はなく、日頃からそう言った部分を楽しみにしていただいてる方からしてみれば、少しガッカリしたかもしれません。

色々調べたのですが、本事件の資料となる写真が見つからなかったので、このようになってしまいました。

たいへん申し訳ございませんが、ご了承下さい。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★★★★★★★☆☆
・異常性 ★★★★☆☆☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★★★☆
・殺人数 1人

《犯行期間:1992年》