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ジャンヌ・ウェバー (フランス)
【1874~1918】



1874年10月7日、ウェバーはフランスで漁師の家に生まれた。


ウェバーは10代になるとパリに行き、いくつかの家で女中奉公を行った。


やがて鉄道員のジョン・ウェバーと結婚して3人の子供に恵まれるが、その内2人が相次いで死んでしまい、ショックのあまりウェバーは酒に溺れていく (当時は今ほど医療が発展しておらず、結核なども不治の病だったので、子供の病死自体は仕方ない) 。


1905年3月2日、ウェバーは妹の子供ジョルジェット (1歳半) を預かった。

妹は洗濯しに洗い場へと向かい、洗い始めようとすると、隣に住む夫人が妹の下に駆け寄って来た。

夫人が言うにはウェバーに預けている子供が、発作を起こしたというのだった。


すぐに戻ると、ウェバーが必死に人工呼吸をしている最中であった。

ジョルジェットの顔色が真っ青だったが、ウェバーの必死の人工呼吸のおかけで、息を吹き返し、医者に連れて行く事になった。


その前に、洗濯物を取りに行こうと再び洗い場に向かうと、再びジョルジェットは発作を起こし、そのまま死亡してしまう。

隣人の夫人はジョルジェットに首を絞めたような痕跡を見つけるが、医者の診断は「ひきつけ」による死亡であった。


9日後の3月11日、再び妹が生まれたばかりのスザンヌをジャンヌに預けた。


そして、数時間後に帰宅すると、スザンヌは息をしていなかった。

驚いて駆けつけた隣人の夫人は、ジョルジェット同様、首を絞めたような痕を見つけたが、医師の診断はまたしても「ひきつけ」だった。


更に6日後の3月25日、義弟レオンの娘ジェルマン (7ヶ月) がウェバーは抱かれたまま死亡する。


短期間に3人もの子供が相次いで亡くなった事で、いよいよウェバーに疑惑が上がる。


しかし、3日後、ウェバーの実の息子マルセル (7歳) が、ジフテリアにかかり死亡する。

3人の内の残った最後の1人息子を失い、ウェバーには同情の声が上がり、自然と疑惑は無くなった。


しかし、同年4月11日、義弟シャルルの息子モーリス (1歳) が死亡する。

シャルルの母親が買い物に出掛けていたわずか10数分の出来事で、子守りをしていたのはまたもやウェバーであった。


折角、自身の子供が亡くなった事で晴れた疑惑が、今度ばかりは確信に変わり、モーリスの母親がすぐに通報し、ウェバーは遂に逮捕された。


逮捕されたウェバーだったが、証拠不十分で釈放されてしまう。


釈放されたウェバーはパリを離れ、名前を変えて再び女中奉公として雇われた。

しかし、その家の息子が急死し、ウェバーは再び殺人で訴えられたものの、この時も証拠不十分で無罪となり、釈放された。


再び名前を変えたウェバーは、今度は小児科病院に雇われ働き始める。

しかし、子供の首を絞めている所を目撃されてしまう。

通常なら訴えられる所だが、訴えたことで病院の実態が明らかになり、患者が来なくなることを恐れた病院側は、ウェバーを解雇するにとどめた。


またもや名前を変えたウェバーは、今度は売春婦となったが、1908年5月10日、下宿先の息子を殺害し、それを目撃された息子の両親に通報され、逮捕される。


1908年10月25日、正気でないと断定されたウェバーは精神病院に送られる。


10年後の1918年7月5日、病院内で自らの手で首を絞めて自殺した。

享年43歳であった。



∽ 総評 ∽

『鬼女』と呼ばれ、次々と幼い子供を殺害したウェバー。

女性が理由もなく次々と子供を殺すというのは非常に珍しい。


女性のシリアルキラーが男性よりも少ないのは、アンドロゲンの量が男性が女性より40倍多い事で説明がつく。

アンドロゲンは男性ホルモンを司る物質で、この物質が多いと、性欲や攻撃性が増すと言われている。


性欲と殺人は切っても切れない関係で、殺人の際にあまりの興奮で射精に至る人物も少なくない。

また、男性の多くのシリアルキラーは、殺人と強姦はワンセットで、ほとんどのシリアルキラーが強姦している (殺害前にするか殺害後にするかはそれぞれの好み次第だが) 。

その為、以前掲載したパトリック・マッケイや、デイヴィッド・バーコヴイッツのような強姦しないシリアルキラーは極めて珍しい。


ただ、自身の首を自らの手で絞めて自殺するというのは中々聞いた事がなく、そう言った意味でもウェバーは相当珍しいと言える。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 最低6人以上

《犯行期間:1905年3月2日~1908年5月10日》