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アンネシュ・ブレイビク (ノルウェー)
【1979~ 】



アンネシュ・ベーリング・ブレイビクは、1979年2月13日、ノルウェーの首都オスロで生まれた。

ブレイビクの母親はヴェンケと言い看護師で、父親はジェンス・デイヴィッドと言い、経済学者にして外交官であった。

その為、父親はロンドンやパリに駐在しており、その影響からかブレイビクが1歳の時に両親は離婚してしまう。

親権は母親ヴェンケに渡り、ブレイビクは母と共にオスロで暮らしたが、フランスに駐在している再婚した父親には定期的に会いに行った。


そんな父親はブレイビクが12歳の時、再婚相手と離婚する。

また、母ヴェンケはノルウェー陸軍将校と再婚している。


ブレイビクはオスロの高校に進学し、当時のクラスメイトによると、成績が良く、虐めを受けていた同級生をよく助けていたという。

しかし、やがて不良グループとつるむようになり、夜な夜な町中をうろつき、スプレーで落書きをするといった非行を重ねるようになる。


ブレイビク16歳の時、その落書きで逮捕される。

この逮捕時に仲間を裏切り、親友とも決別した。

また、この逮捕後、父親と会う事は2度となかった。

ブレイビクはノルウェー労働党支持である両親の政治姿勢を批判し、母親のことを「穏健フェミニスト」と発言している。

ブレイビクは大学に進学するが、すぐに中退する。


ブレイビク19歳の時、株式投資に手を出すが、失敗し200万クローネ (約3、4000万円) を失う。


21歳の時、顧客サービスの仕事に就き、真面目に働いた。

勤務態度は良く、同僚からは誰にでも親切たと評判であった。

ただ、中東や南アジア出身の移民に対しては苛立ちを見せる事が多かった。

ブレイビクはウエイトトレーニングに精を出し、ステロイド剤を使用し始めた。

その為、ブレイビクは体格が良くなり、20代に入ると、顔 (鼻、顎、額等) の整形手術を受けた。

だが、徴兵検査では
「軍務に適さない」
と判断され、入隊出来なかった (ノルウェーでは現在も徴兵制があり、兵役期間は12ヶ月~15ヶ月ほど。女性は兵役の義務は無いが、年内に女性への兵役義務が施行される予定) 。


1999年から2004年まで、移民政策に反対の右派政党である進歩党の党員として活動する。

しかし、進歩党は選挙による勢力拡大を目指し、穏健路線に変更を始めた為、ブレイビクは不満が募っていた。


2009年、ブレイビクは進歩党を脱退し、ヒトラーが率いた「ナチス」の思想に傾倒し、「ネオナチ」のサイト会員になる。


同年秋頃から、ブレイビクは移民に寛容な指針を推奨する労働党へのテロ計画を練り始める。

爆弾製造の為の爆薬や化学肥料の入手を目的として鉱山会社と農場をわざわざ購入する。


そして、自身が会員である「ネオナチ」サイトで自動車爆弾の製造方法をやりとりし、2011年5月に爆弾の材料である肥料6トンを購入した。

ブレイビクはそれを80日間費やし、ついに爆弾を製造した。

また、ノルウェーでは休暇に狩猟や射撃の為に銃を所持することは認められており、ブレイビクも許可を得て短銃と自動式ライフル銃を所持した。

ブレイビクはカトリック信者であり、狂信的な「キリスト教原理主義者」でもあった。

そんなブレイビクが許せないのが「イスラム教」であり、宗教自体を否定する「マルクス主義」であった。


2011年7月17日、ツイッターな犯行の決意を書き込み、同年7月22日、犯行直前には1514ページにも及ぶ声明文をネットに公開する。

「イスラム諸国は移民や難民として大量にイスラム教徒を送り込み、欧州のキリスト教文明の征服を企んでいる」

とし、多民族・多宗教の共生を目指す考え方や政策を痛烈に批判した。

そして、移民受け入れ政策を続けるノルウェー政府に対し、宣戦を布告する。

ブレイビクは首都オスロの中心部に建つ17階の政府庁舎を標的に決め、自動車に爆弾を設置した。

同日午後3時半頃 (日本時間午後10時半頃) 、設置した爆弾が爆破 (余談だが、その政府庁舎の最上階に首相府があったが、当時の首相イェンス・ストルテンベルグは、自宅にいた為、無事であった) 。

また、ブレイビクは石油エネルギー省庁舎も爆破し、8人を殺害する。

事件直後、警察によって付近の道路は全て封鎖され、市民に大してはオスロ中心部から避難するよう異例の通達があり、戒厳令が敷かれた。

警察は爆弾は車爆弾であると断定し、爆弾の重さは約950キロと推測された。

また、爆破は複数回起きたと報じられた。

政府庁舎爆破事件直後、ブレイビクはタクシー
乗り、ウトヤ島の近くまで行った後、警察官の制服を着てボートでウトヤ島に上陸する。

この時、ウトヤ島ではノルウェー労働党青年部の集会が行われており、10代の青年約700人が参加していた。

ブレイビクは少し前に起きた爆破テロ捜査を口実に、参加者を整列させ、午後5時頃、銃を乱射した。

ブレイビクは確実に殺すよう1人に2発ずつ撃ち込んだ。

突然の銃乱射に驚いた青年たちはすぐに逃げるが、そんな逃げ惑う青年たちにもブレイビクは容赦なく銃を乱射する。

島から泳いで脱出した者もいたが、結局、約1時間半の銃撃で69人が死亡した。

銃乱射後、ブレイビクは警察に電話し、投降する旨を告げる。

そして、ブレイビクは素直に逮捕された。

結局、ブレイビクによって爆破で8人、銃撃で69人の合計77人が犠牲となり、負傷者は96人という未曾有の大量殺戮となった。


翌日の7月23日、殺人や反テロ法違反でブレイビクは起訴され、2日後の25日にオスロ地方裁判所に出廷する。

ブレイビクは事件の動機について

「イスラムによる乗っ取りから西欧を守る為、反多文化主義革命に火を点けるには非道ではあるが必要なことだった」

と発言し、その為自分は無罪であると主張する。


同年8月13日、ウトヤ島にて現場検証が行われ、ブレイビク本人が犯行を再現している。


同年11月14日、ブレイビクは犯行を認めたものの、有罪にはならないと主張する。


同年11月29日、ブレイビクは統合失調症 (精神分裂病) であると診断結果が裁判所に提出され、裁判が行われない可能性が出てくる。

鑑定した精神科医2名が、ブレイビクと述べ36時間面会を行い、ブレイビクは犯行時も現在も妄想の中にいると診断され、責任能力無しとされた。

この診断はブレイビクが刑務所ではなく、精神病院で治療される可能性が極めて高くなる事を意味した。

その為、被害者遺族が猛反発し、2012年1月に裁判所がブレイビクの再鑑定を命じた。


同年3月7日、精神鑑定の結果出る前に、ブレイビクはテロ及び殺人容疑で起訴され、4月16日に公判が開始された。

公判では相変わらずブレイビクの精神状態が争点となり、検察側はブレイビクを精神病院への収容を主張する。

だが、ブレイビク本人は精神病ではないと主張し続けた。


2012年8月23日、オスロ司法裁判所は、ブレイビクに最低禁錮10年、最長で21年間の判決を言い渡した。

これはノルウェーにおける最高刑であり (最高で30年というのもあるが、実質的にこの禁錮刑が最高である) 、この為、廃止された死刑制度の復活や、新たに無期刑の導入等が世間で騒がれた。

その後、ブレイビクはPS2をPS3に換えて、もっと面白いゲームを買えと注文をつけたり、服役中ながらもオスロ大学の学生となり、政治学を勉強したりした。


2017年6月9日、ブレイビクは名前を「フィヨトルフ・ハンセン」に改名している。


最後に法廷で裁判官に
「あなたの職業は?」
と問われた時のブレイビクの回答で終わりたいと思います。

「作家です」



∽ 総評 ∽

爆破で8人、銃乱射で69人の合計77人をわずか数時間で殺害したブレイビク。

この69人というのは歴代最多の瞬間大量殺人数となり (爆破による殺害は基本、瞬間大量殺人とは言わない為除外) 、1982年に韓国で57人 (一説には55人、56人、61人とも言われる) 殺害した禹範坤の記録を約30年振りに更新した (禹範坤の詳細は以前掲載したのでそちらを参照) 。

また、この77人というのは、わかっている殺害数としてはスカンジナビア半島史上最悪。

ノルウェーに限っては『第二次世界大戦』以降、国内で起きたあらゆる事件・事故において最悪の被害者数であった (災害や事故ではなく殺人による被害が最多というのは国単位では極めて珍しい) 。

ブレイビクのような瞬間大量殺人を犯す人物をマス・マーダラーと呼ぶが、ブレイビクのように素直に逮捕される人物は珍しい。

ただ、ブレイビクの場合は、通常のスプリー・キラーと異なり、明確な理由と考え方があり、突発的に起こしたものではない。

ブレイビクのように、犯行時、精神病により無罪や責任能力無しとなるケースが多々見られる (ただし、ブレイビク本人は自分は精神病ではないと主張している。ブレイビクの場合はあくまで事件の正当性を述べ無罪を主張した) 。

では、精神病であれば何をしても責任はないのか?

仮に本当に精神病だったとしても殺人は殺人であり、その事実は何も変わらない。

殺害された被害者の遺族が
「なんだ~精神病だったのか~ならしょうがないね」
なんてなるわけがない。

ただ、このブレイビクの残した記録は、アンタッチャブル・レコードとして、今後、2度と破られない可能性が高い。

そう言う意味ではブレイビクはその名を歴史に刻んだことになる。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★★
・残虐度 ★★★☆☆☆☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★☆☆☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 77人
(負傷者96人)
《犯行期間:2011年7月22日》