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ジャック・ケヴォーキアン (アメリカ)
【1928~2011】



1928年5月20日、ケヴォーキアンはアメリカ・ミシガン州ポンティアックで生まれた。

ケヴォーキアンの親はアルメニアの移民であった。


幼少時から賢かったケヴォーキアンは、ミシガン大学医学部に進学する。


大学を卒業後、ケヴォーキアンはデトロイトの病院等で病理医師として働いた。


そんなケヴォーキアンは1980年に入ると、安楽死に興味を持ち、独自に研究を進める。


1987年、死亡カウンセリングの為の、医学コンサルタントとして活動を始めるようになる。


そして1989年、自作で自殺装置を開発し、病気による末期症状の患者の自殺幇助を始める。

このケヴォーキアンの行為は世界的に物議を醸した。

そんなケヴォーキアンは、結局、合計130人に及ぶ患者を自作の自殺装置で死に追いやった。


1998年9月17日、ALS (筋萎縮性側索硬化症:何らかの原因で筋肉が次第に萎縮していく病気。別名「ルー・ゲーリック病」とも呼ばれる) 患者を死亡させた様子を記録する。


1998年11月22日、そのビデオテープがCBSの番組「60Minutes」で公開され、物議を呼んだ。

安楽死自体問題なのだが、この番組でケヴォーキアンの自殺装置が更に問題となった理由は、本来自殺したい人間自身で起動させるはずの装置が、患者自身では自力で起動させることが出来ず、ケヴォーキアンが装置を起動させた為であった。

放映直後、ケヴォーキアンは第一級殺人罪で告訴された (後に第二級殺人罪に変更されている) 。


1999年4月13日、裁判でケヴォーキアンには懲役10年から25年の不定期刑の有罪判決が下される。


2007年6月1日、仮釈放が決定したケヴォーキアンだったが、健康状態が悪化してしまい、病院に収監されることになった。


釈放後、ケヴォーキアンは自殺幇助は行うことはなく、安楽死について積極的に啓蒙活動を行った。


2008年、ケヴォーキアンは下院選挙に立候補したが、大差で落選している。


その後、ケヴォーキアンは腎臓疾患で入院し、2011年6月3日、ミシガン州の病院で死去した。

享年83歳であった。



《自殺幇助数》
130人以上

《幇助期間》
1989年~1998年9月17日



∽ 総評 ∽

自作の自殺装置で重篤な患者を次々と尊厳死させ、『殺人医師』または『死の医師』と呼ばれたケヴォーキアン。

安楽死については以前より議論がなされ、現在、賛否はまさに両論である。

2014年11月1日、アメリカで脳腫瘍の為、余命半年と診断されたブリタニー・メイナードが安楽死した出来事により、日本でも安楽死の問題が大きく取り沙汰された。

もちろん、日本では安楽死は認められていないが、個人的には安楽死に賛成である。

病気の苦しみは本人にしかわからない。

生きたい死にたいは本人の意思であり、それが家族ならまだしも、他人にとやかく言われる筋合いはないと思う (あくまでも他人に迷惑をかけない事が前提だが) 。

家族の為に生きたいと考える人ならば、重い病気でも生きようと必死に努力するだろうし、それでも死にたいと思うなら、それはそれでしょうがないだろう。

よく反対派の人が
「安楽死を容認すると、患者が病気と闘う事を止め、安易に安楽死を選択してしまう」
というような事をよく口にする。

これは大きな誤解だ。

あくまでも安楽死は「最後の手段」であり、医者が最初から安楽死を薦めるわけではない。

治る可能性のある病気なら、治療はあくまで進めるべきで、快方に向けて努力するよう患者を諭すのは当然だ。

最終手段として安楽死があれば、逆に患者は
「ギリギリまで頑張ってみよう」
と考えるのではないか?

また、本件のケヴォーキアンのように、医者が患者を安楽死させると、人道的に問題ありと非難され、殺人と同じような批判を受ける。

確かに第三者としてみると、殺しの手助けをしているように見えなくもないが、では、もう助かる見込みのない患者を、最後まで苦しませながら生かすのは、果たして人道的と言えるのであろうか?

病院のベッドで管に巻かれ、意識があるのかわからないような状態が続き、そして、死んだ時
「苦しんだけど、おかけで1ヶ月長生き出来ました」
と医者に感謝を述べる遺族などいるのだろうか?

私はすぐに死ぬような病気ではないが、子供の頃から内臓が弱く、慢性的な病気を抱えており、それは一生治ることはない。

その病気とは死ぬまで付き合っていくしかなく、その為、病気で苦しんでいる人の気持ちを少しは理解できるつもりだ。

病気で寝たきりとなり、病院のベッドで管に繋がれ死ぬくらいなら、私は最後くらいは自分の家で死にたい。