image










ジョゼフ・キブウェテレ (ウガンダ)
【1932~2000?】



image




クレドニア・ムウェリンデ (ウガンダ)
【1952~2000?】



1932年、ジョゼフはウガンダで生まれた。


ジョゼフが生まれた時は、ウガンダはまだイギリスの植民地であり、第二次世界大戦後、ウガンダ国内は独立の気運が高まるようになる。


そして、1962年10月9日、ウガンダは独立を果たすのだが、ジョゼフはそんな国内情勢が激変する中、多感な時期を過ごした。


ウガンダは国民の60%以上がキリスト教徒で、当時、「奇跡」や「聖母の出現」を掲げて活動を行う宗教が多数出現していた。

これは、当時『黒いヒトラー』と呼ばれた独裁者イディ・アミンの独裁で混沌として国内情勢が背景にあった。


そんな中、ジョゼフはそれらカルト宗教らに強く惹かれ、影響を受ける。


ジョゼフも敬虔なカトリック信者であり、一時はローマンカトリック教会の神父をしていたこともあった。


アミン政権崩壊後の1984年、ジョゼフは突然、自宅にある電話やテレビ等の電化製品を通じ、聖母マリアと直接交信できるようになったと、発言する。

この発言がローマンカトリック教会から問題視され、ジョゼフは破門、追放されたが、その後もジョゼフは主張を変えなかった。


1989年、そんなジョゼフの元に、クレドニア・ムウェリンデという名の女性が訪れる。

クレドニアは

「聖母マリアからあなたを我々の家族として受け入れるよう指示された」

と告げ、ジョゼフはクレドニアと共に『神の十戒の復活を求める運動』を立ち上げる。


ジョゼフとクレドニアは、ウガンダ南西部カンヌグ郊外で、『神の十戒の復活を求める運動』の教会本部を設立する。

そこで2人は

「1999年12月31日、この世は滅びる。信じる者だけが天国に行く事ができる」

という聖母マリアの啓示を受けたと大々的に発表し、信者を募った。


この啓示は貧しい層からの指示を受け、あっという間に1000人を超える信者が集まった。

ちなみに、この世の終わりという聖母マリアからの啓示は、クレドニアが受けたというのが定説となっている (クレドニアはこれにより2011年度イグ・ノーベル賞の「世界の終わりを不正確に予言した人々」という項目において、数名と供に数学賞を贈られている) 。


『神の十戒の復活を求める運動』に入信した者は、土地や家、全ての所有物を売却し、入手したお金を全て教会に寄付することが義務づけられていた。

そして、男と女、子供は別れて生活するよう命じられ、家族ですら互いのコンタクトを取ることを禁じられた。


食事は1日2回に限られ、石鹸の使用を禁じ、性交渉を固く禁じた。

信者全員緑色のユニフォームを着用し、6人の男性使徒と6人の女性使徒は、黒のユニフォームを着用した。


『神の十戒の復活を求める運動』は、独特の規則があり、それは会話することを一切禁じるというものであった。

不満が上がるのを「人間は嘘をつく」という理由で抑え、手話による意志疎通を行わせた。

その手話は信者以外の人にもやるよう強要した。


信者が増えると、2人は教会の周りに学校や店、農場を作り、村をフェンスで囲んだ。

地元警察は
「信者たちはみな真面目で働き危害はない」
「周囲の村に対してお手本な良いコミュニティ」
だとして教団村を歓迎する。


その為、更に評判が増し、周囲の貧しい住民たちも次々入信するようになる。

一説では最大4000人近くもの信者がいたといわれる。


だが、1999年が終わり、2000年が無事に始まると、信者の中に疑問を持ち出す者が多く現れる。

これに対しジョゼフとクレドニアは

「マリアからXデーを延ばすという啓示を受けている」

と主張し、その日は「3月17日」だと信者達に伝えた。


しかし、2月に入り、Xデーが1ヶ月前に迫ると、2人は牛等を売却し始め、3月になると、大量のコーラを購入する。


2000年3月17日、午前10時頃、ジョゼフは信者らに

「もうすぐこの世の終わりがやって来る。一緒に天国へ行く為に教会に集まれ」

と命じ、新しく建設されたばかりの教会に信者を集めた。


そして、扉を厳重に閉めると、教会内部は爆発音と供に火の手が上がった。

その爆発は凄まじく、教会内にいた信者は全員焼死しただけでなく、遺体は炭化して完全に灰になるほどであった。

正確な死者数は分からないが500人近くが亡くなった。


3月20日、教会の3メートル先の屋外トイレの穴の中から、死後、かなりの時間が経った多くの遺体が発見された。

この遺体は集団自殺を察知した信者の口封じの為に殺害されたと思われ、その数150人以上で、全て毒殺であった (前述した大量に購入したコーラに毒を混入して飲ませた) 。


肝心のジョゼフとクレドニアは、当初は集団自殺と思われた為、2人も一緒に死んだと思われていた。

しかし、信者には2人が逃走する姿を見たという者もおり、現在はどこかに身を隠して暮らしていると言われる (ただ、死んだと言う説が現在は有力とされている) 。


集団自殺数では、以前掲載した『人民寺院』が、ガイアナでの914人 (教祖ジム・ジョーンズを含む) 自殺しているが、それに次ぐ記録となった。

ちなみに、一時は死体が924人に達し、『人民寺院』を上回り、1位と言われた事もあったが、現在は778人で落ち着いている。

だが、検死の結果、絞殺や刺し傷により死亡した遺体も多く発見され、現在は集団自殺ではなく、大量虐殺事件という扱いになっている。



∽ 総評 ∽

1990年代後半には、このジョゼフのような終末思想に被れ、暴走する宗教が多数存在した。

電化製品を通じて聖母マリアと交信できるようになったと言い出したジョゼフだが、神のお告げを電化製品から聞いたというのは、誰が聞いても胡散臭さしかない。


ジョゼフは信者を1人1人分け、家族であってもコミュニケーションを取ることを禁じたが、これはマインドコントロールする常套手段である。

信者は互いにコミュニケーションを取れない為、ジョゼフやクレドニアの言うことしか聞くことが出来ず、それが全てだと思うようになる。

信者を厳しく管理するのは、カルト宗教の基本であるが、この『神の十戒の復活を求める運動』ほど、厳しく細かく規律するのはそうはない。


また、信者の資産を全て奪い取るというのも、カルト宗教の常套手段で、それらを資金源に力を増していく。

『神の十戒の復活を求める運動』は、アフリカでは非常に珍しいカルト宗教として歴史にその名を刻んでいる。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★★☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★☆☆☆☆☆
・殺人数 不明
(全部で778人死亡)
《犯行期間:2000年3月17日》