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ジョディ・ハミルトン (アメリカ)
【1885~1906】



1885年、アメリカ・ミズーリ州テキサスでハミルトンは生まれた。


ハミルトンは敬虔なキリスト教徒で、21歳の時、ボイリング・スプリングスで農業を営むカーニー・パーソンズ (35歳) に雇われ、働くようになった。


1906年10月12日、ハミルトンは馬に使う鞍をパーソンズに売ったのだが、実はそれは盗品であった。

それを知ったパーソンズは激怒し、ハミルトンに
「キリスト教徒の風上にも置けない見下げた人間だ!」
と叱りつけた。

しかし、この真っ当な叱責にハミルトンはキレてしまう。


ハミルトンは自宅に戻ると、ナイフと斧、ショットガンで武装し、パーソンズの家に向かう。


家の中に入ると、まずハミルトンはパーソンズの右足に向かってショットガンを放つ。

更に、倒れてうずくまっているパーソンズの頭部を、銃床で何度も殴った。

パーソンズの頭蓋骨は粉々に砕け、パーソンズは死亡する。

そして、パーソンズの死体の額に、ナイフで3ヶ所傷付けた。


次にハミルトンはパーソンズの妻ミニー (21歳) に襲いかかり、ショットガンで3回、頭蓋骨か陥没する程、頭を殴った。

更に斧で頭部を割って殺害した。

そして、パーソンズ同様、ナイフで顔を何度も刺した。


その後、ハミルトンはパーソンズ夫妻の3人の幼い子供に襲いかかる。

まず、長男のジェス (5歳) をショットガンで殴り殺す。

そして、ジェスの喉をナイフで切り裂いた。

余りに深く切り過ぎたせいで、ジェスの頭と首はほとんど切り離れた状態であった。

パーソンズ夫妻同様、ジェスの顔や身体もナイフで何度も刺した。


続いて次男のフランキー (3歳) もショットガンで殴り殺し、喉を切り裂き斧で頭部を割った。


最後に末っ子のエドワード (1歳) の頭もショットガンで殴り、頭蓋骨を粉々に粉砕し、死体をナイフで切り刻んだ。


翌朝、ハミルトンは5人全員の死体を馬車に積み、近くを流れるビッグ・パイニー川に遺棄した。

しかし、この川は地元では有名な釣り場所であり、この日も多くの釣り人によって賑わっていた。


釣り人達は遠くで何か大きな物が投げ込まれる音を聞いた。

直後、釣り人達の下にパーソンズ一家の遺体が流れ着いた。


ハミルトンは逃走するが、あっさりと逮捕される。


同年11月12日、ハミルトンには死刑が言い渡された。


同年12月21日、この日、ハミルトンの死刑が執行される日であったが、当時、死刑は一般公開されていた。

ハミルトンの絞首刑には実に3000人もの見物客が集まり、その執行を見守った。



∽ 総評 ∽

盗品を雇い主に売り付け、それを叱責され逆切れして一家ごと殺害したハミルトン。

その動機は身勝手極まりなく、同情の余地はない。


古い時代の事件であり、あまり詳細がわからないが、ハミルトンは敬虔なクリスチャンであった。

にもかかわらず、クリスチャンらしからぬ行いは、パーソンズの叱責を聞くまでもなく、パーソンズの異常性を見る事が出来る。

これはあくまでも私の予想だが、ハミルトンの母親も敬虔なクリスチャンで、それを子供の頃からハミルトンに押し付けたのではないのだろうか。

そういった親に育てられた場合、子供の精神が歪んでいく可能性があり、シリアルキラーになってしまうことがある。


日本も江戸時代は死刑が公開されており、民衆はその執行を見る為に群がっていた。

古今東西問わず、死刑執行というのは昔は大衆イベントであり、娯楽の少かった時代の良くも悪くも民衆の楽しみであった。

賛否両論、というか否の意見の方が多いと思うが、死刑賛成派の小生としては、死刑公開は決して悪い事ではないと思う。

死刑執行を見物することで、「自分は絶対こんなことしない」という抑止の力が働くのではないのだろうか (ただし、死刑と犯罪抑止の正式な関連性はよくわかっていない) 。



【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★☆☆☆☆
・残虐度 ★★★★★★★☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★☆☆☆
・特異性 ★★★★★★☆☆☆☆
・殺人数 5人

《犯行期間:1906年10月12日》